蟲と眼球と殺菌消毒
著者:日日日
事件から1月。不思議な林檎の力によって不死の身体を手に入れた3人。愚龍、鈴音、グリコは、平穏な日々を送っていた。が、世間では「手長鬼」による連続殺人事件が起きていて、鈴音の友達もが殺害されてしまう。一方、グリコは、賢木財閥からの指示により、常識を手に入れるための「両親」が送り込まれる…。
「久しぶりに日日日作品でも読むか〜」で、手に取った本作。著者自身が後書きで書いているように、「前作で完結している」と思っただけにどんなもんかな? と思ったわけだけど、やっぱり予想通りだったか。即ち、「当たり前のこと」になっていた「不思議な林檎」を巡るところが話の中心となり、さらに大きな組織が動き出す、っていう奴。良くも悪くもベタ。
で、まぁ、ストーリーの方の中心となってるのは、グリコの感情になるのかな? 遥か昔に失った家族という存在。化け物となっている自分。そんな自分を「娘」として受け入れてくれる二人、さらには愚龍、鈴音。そんな状態に鬱陶しいとは思いつつも、悪くない気分を抱く。しかし…。
展開だけを考えれば、結構凄い展開かも知れない。実質的に、ここからシリーズ化ということを考えれば、物凄い動かし方をしている。ある意味では、かなり重ーい展開なんだけど、それほど感じないバランス感は生きているな、という感じ。ただ、凄くベタ。
この辺りをどう見るか…なんだろうな…日日日の作品って。
実のところ、シリーズ1巻の話を殆ど忘れてた(ぉぃ)
(06年7月7日)

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うそつき〜嘘をつくたび眺めたくなる月〜
著者:日日日
「好き」という感情が理解できない竹宮輝夜、16歳。告白されれば、OKを出すが、やっぱりわからない。そして「下らない」とつぶやく。そんな輝夜の傍らには、仮面を被った誰かがいて…。
うーん、これまで読んだ日日日作品2作と比べると、落ちるかな?
やりたいことはわからないではない。ヒロインである輝夜が、様々な男(男子)と付き合い、それでも、それぞれの「恋」「愛」の定義も考えも、はたまた行動も全く異なることに苦悩する。そして…、っていうわけだ。別にそれ自体は良い。けれども、なんか、妙に薄っぺらい人物が続々と出てきただけ、という感じがしてしまって…。
それと気になったのが、主人公・輝夜と幼馴染の沖名のキャラクター。なんていうか…『私の優しくない先輩』の耶麻子と不破先輩のそれと酷似しているように思えてしまって仕方が無かった。落としどころも似ているし。人物が描かれているかどうか、という点に関しては、明らかに『私の優しくない先輩』の方が描かれているし。
やりたいことが空回りしている作品、というように思う。
(05年9月23日)

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ちーちゃんは悠久の向こう
著者:日日日
ちーちゃんこと歌島千草はオカルト好きの幼馴染。小さい頃から「僕」に幽霊だとか、ホラー話だとかを聞かせて怖がらせていた。毎日、両親から虐待を受けている僕は、そんなちーちゃんに振りまわされながらも続く平穏な日々をすごしていたのだが…。
うーーーーーーん…。
日日日作品は、これまでもいくつか読んできたけれども、これまた違った味わいだな。虐待、オカルト、壊れ行く日常…そんなものが描かれているんだけど、ライトノベルちっくな文体で描かれており、重くなり過ぎない程度なのは見事。適度なギャグを交えながらも、少しずつ少しずつ、「普通の日々」が崩れ去って行く。そのカタルシスが売りなのだろう、と思う。
ただ…、なんか色々な設定を投げっぱなしにしており、物語そのものに破綻している部分が見えるのがどうか? 個人的には、佐藤友哉作品っぽさを感じたんだけど…。これはこれでアリだと思うんだが、評価は分かれそうだな…。
(05年11月27日)

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四日間の奇蹟
著者:浅倉卓弥

かつて、ウィーンに留学中、事件に巻き込まれ、左手の指を失った如月。彼は、その時に助けた知的障害を持ちながらも、高いピアノ演奏の技術を持つ千織と共に各地を慰問して回っていた。その一環で訪れた地で…。
正直、ものすご〜く今更感があるんだけど、折角なので読んでみた。一言で感想を言うなら、凄く綺麗な物語、と言ったところだろうか。何か、凄く透明感のある物語、とでも言えば良いだろうか…。
ちょっとネタバレ気味ではあるのだが、これに触れないと話が進まないので書こうと思う。この作品、非常に大きな意味を持つ仕掛けが『秘密』(東野圭吾著)と同じだ、という指摘がある。確かに、そう取ることは出来る。ただ、仕掛けそのものは一緒でも、中身は全くの別物。あまり関係ないのではないかと思う。
舞台となる施設についた如月と千織を迎えた人々が、まず凄く生き生きとしている、というのを感じる。お喋り好きな真理子、医師の倉野、未来と萩原くん、藤本…序盤、生き生きと感じたこれらの人々が後半、上手く活きている。千織の体に宿だった真理子。自らの肉体が滅びつつある状況に対する悲痛な叫び。序盤の何気ない描写で、周囲の人々が生き生きと描かれていたからこそ、より痛々しく映る。そして、そんなやりとりを乗り越えてのラストシーン…。あまり綺麗な話になると、ちょっとむずがゆさを感じる私だけれども(笑)、それでも凄く綺麗なシーンを思い浮かべることが出来た。
意外性みたいなものは、この作品には無い。けれども、それは別に構わないことだと思う。変に捻ったのでは、却ってそういうのが台無しになりかねないわけだし。あまり、感動する感動する、と連呼すると興ざめするんだけれども、凄く綺麗で、後読感のよい作品というのは間違い無い。

しかし…「第1回、このミステリーが凄い!大賞」受賞作が「ミステリー」とは言い難い作品っていうことが、最大のミステリーではないか、とか思うのは私だけ?
(06年10月11日)

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ダブ(エ)ストン街道
著者:浅暮三文
「タニヤを見かけませんか?」。夢遊病の恋人を探してダブエストンだか、ダブストンだかにやってきたケン。そこは、いつも霧につつまれ、雲が空を多い、人々は皆、道に迷っていて…。
第8回メフィスト賞受賞作。
うーん…メフィスト賞受賞作は色々と読んでいるけれども、本作はこれまでの作品とは、全く毛色の違う作品だな、というのを読んだ瞬間から感じた。他の作品は「何でもあり」とは言いつつもあくまでも「ミステリー」の範疇に入っているのだが、本作は完全にファンタジーというか、(定義が良くわかっていないのだが)純文学的な印象がある。
最初にも書いたように、本作の舞台となるダブ(エ)ストンという土地。深い霧に常に包まれ、人々は常に何かを探してさまよっている。動物たちは言葉を話し、幽霊や半漁人までいる。そんな中、ひょんなことから出会った郵便配達人・アップルとともに、タニヤを探してさまよう。物物交換が当たり前、シンプルな生活そして、そこで様々な風変わりな人々と出会う。そんな中で、読者も迷いながら読み進める。
正直、感想を、と言われてもどう書けば…と迷ってしまう。ただ、この世界観が不思議と何かゆったりとした気分にさせてくれる。
異端だらけのメフィスト賞の中でも、異端の作品だと思うが、不思議な魅力を感じさせる。
(07年1月22日)

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みんなのあくあ!
著者:淺沼広太
火丸空弥、中学2年。14歳の誕生日の朝、冷蔵庫を開けるとそこには、巨大なゼリーのような物体が…。それは、スライム少女だった。パニくる空弥の前に現れた母は、「その娘と契約して、魔法使い試験を受けなさい」と言い出して…。
全体的に脱力系ですな。敵になる存在なんかも含めて、みんな抜けていて…っていうのが特徴だろうか。ヒロイン(?)で、あるスライム少女・あくあからして、人間世界とか知らない存在だし、幼馴染の千尋は妄想少女だし、可憐も可憐だし。でも、こういう脱力系の雰囲気自体は嫌いじゃない。
ただ、全体的に印象に残らない作品という感じがする。なんていうか、ストーリーそのものの筋立ては、どこかで見たような感じ。何も知らない少女に振りまわされながらも、少しずつ打ち解けて、敵になる存在が現れて戦いになって…なんていう流れ、どっかで見たような感じでしょ? ヒロインがスライムってのも、あんまり活きている感じがしないし。
なんか、ワンパンチ足りない、という印象。
(06年10月9日)

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トラジマ! ルイと栄太の事情
著者:阿智太郎
梅雨時、洗濯が全く済んでいない、という事情から母が古着屋で買ってきたトラ柄のパンツを履くことになった栄太。折りしもその日は、「パンツ鬼ごっこ」なる学校行事の日。鬼となり、パンツを脱がされかかったそのとき、なぜか栄太は…。
とりあえず最初に…納豆トーストってそんなに変? あれ、美味しくない? …いや、ジャムはどーかと思うけど…。
うーん…悪くはないんだけど…。
話としては、履くと「鬼の力」が手に入るパンツを手に入れた栄太が、同じくビキニを手に入れた少女・ルイと知り合い、そして、二人で問題にぶつかって…と言う内容。無論、そこにはラブコメ要素もあるんだけど…正直、ルイも栄太も互いに対する感情とか気づいていなくて、コメディ色が強い。
テンポとかは、凄く良い。ただ、展開が非常にわかりやすく、「突き抜けた」ような点はちょっと感じられず。だから、何か印象に残らず、というの感じ。もう1押しあれば、かなり良くなると思うんだが…。
とりあえず、この巻の最後で、鬼の服、を手に入れたのが二人のほかにも…っていうことが示され、問題が起きたら…になったわけだけど、ここからどう色をつけるか、が課題になりそうな感じ。
(08年1月22日)

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僕たちのパラドクス Acacia2279
著者:厚木隼
何の変哲も無い少年・青葉が好奇心から入り込んだ廃工場で見たものは少女が男を殺すシーンだった。その少女・ハルナは自分が未来からやってきた捜査官で、時空の歪みを防ぐことが仕事だと告げる。しかし、ハルナが戻るべき未来が何故か消失してしまっていて…。
うーん…「ヤングミステリー大賞」受賞作ということなんだけれども、あんまり「ミステリー」という感じではないな。どちらかと言うと、作品の中心となるのは、ハルナのアクションであり、ハルナと青葉のラブコメ的な部分が多かったように感じる。
なんだろうな…文章自体は非常に読みやすいし、テンポも良いんだけど、なんか微妙なんだよな。一つには、タイムパラドックスものなんだけれども、非常に大雑把で、オチになる部分も予想されるもので衝撃、というようなものは薄い。ついでに言えば、いくら時代に殆ど影響を与えないであろう存在だから、と言って、ハルナが重大な秘密をペラペラ喋ってしまったり、危機の中でありながらボウリングしたりパフェ食ったりというのもどうかと…。何か、重大な危機、っていう状況なのに、あんまり危機感を感じられないんだよな。
まぁ、次回作に期待、っていうところかな、これは。
(07年1月24日)

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美しい国へ
著者:安倍晋三

丁度1年ほど前、自民党総裁選の前に書かれた安倍晋三現首相の著書。内容を大きく分ければ、安倍氏の生い立ち、ナショナリズム・国家・外交に関する考え方、そして、年金・教育というものに対する具体的な考え方、の3つになる。
最初に書いておくと、私は、安倍氏をその当初から全く支持していない人間である。それを念頭において読んでいただけると、良いと思う(偏りがあるだろうからね)。
まず、本書では冒頭、その生い立ちについて語られ、中でも祖父・岸信介、父・安倍晋太郎との関係について語られる。特に、祖父・岸信介の影響について語られ、その中で保守主義へ傾向したことが語られる。正直、この段階で「あ〜あ…」としか思えなかった。というのは、岸信介という人物の手法、「冷徹なまでの現実主義者」という点についてが殆ど語られていないため。そして、その後についても、その手法が殆ど見られないためである。
実のところ、私が読んでいて一番感じたのは、この「現実認識」の弱さ。安倍氏が言うように、国だとかを愛する、というのは普通のことだし、スポーツの国際大会に熱狂する人々を見て「プチ・ナショナリズムだ」と批判するのは馬鹿じゃないの? というのは同感である。けれども、安倍氏の現実認識にも疑問を感じざるを得ない。
特にそれを感じるのは、終盤の年金問題と教育問題について。
年金問題で、安倍氏は「年金が破綻することは無い」ということを力説する。そして、「破綻するとすれば、収入が一切無いのに、給付を続けたときだけ。そうでないなら、保険料と給付額を調整することで大丈夫」というのである。しかし、仮に破綻しなくとも、保険料がひたすら上がって、給付がずっと遅れてしかも安い…なんていう風になったら、やはり嫌だと思うだろう。この章で「年金はお得なシステム」というが、あくまでもそれは「現時点」であって、「永遠」ではない。実際、ここまで保険料値上がり、給付額の減少を体験しているわけなのだが…。そこが理解できているのかな? と思えてならない。
教育なんか、特に「はぁ?」が多い箇所。基本的に安倍氏は「今の若者は郷土愛はないし、モラルも崩壊している」という前提で話を進めている。それは、どういう根拠で? この書で根拠とされるのは、日米中韓の若者に対する調査の国際比較だけ。ただ、これは、時系列じゃなくて、ただの「お国柄」調査でしかない。本当に、戦後の教育で…というのであれば時系列調査でなければならないのだが、そちらは一切調べない。まして、少子化問題について「子育ては、お金以上に、尊いものだという価値観を広めることが重要だ」とか(価値観があったって、現実問題として先立つものがなければ、子供は育てられないだろう)、「豊かさの中で育った若者は、経済的豊かさを希望と取れないからニートになるんだ」(首相すら、「ニート」の定義を勉強していないとは…)とか、最早、どうしようもないな…というものばかりが続いてしまう。
正直、私は、安倍氏の言うナショナリズムの理念とかには反対しない。けれども、全く地に足のついていない理念だけで、しかも勘違いすら混じった認識に基づいた政策を…という人物をどうして支持できるのか頭を抱える。

先の参院選後、安倍氏は、「年金問題だとか、失言問題が敗因で、政策は支持されている」と言っていたわけなのだが、本当か? 私は、重要問題としていた教育の教育再生会議に経歴すら怪しい「ヤンキー先生」なんていう人物を入れたりして、井戸端会議をやっているだけなので支持できないのだが…。勿論、自身が敗因と言った年金やら失言問題にしても考え得る最悪の対応をしているわけで、そりゃ支持されなくもなるわ…と考えるわけだけれども…。
(07年8月23日)

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搾取される若者たち バイク便ライダーは見た!
著者:阿部真大
「趣味を仕事に」。「自己実現」が喧伝される中、このような言葉がよく語られる。だが、その「趣味を仕事に」というのは、時に危険な場合も考えられる。バイク便ライダーの世界に飛び込んだ著者の体験を中心に考察した書。
うん…面白いか、面白くないか、で言えば、面白い。
著者の体験、著者がバイク便ライダーをしていた際の周囲の人々との会話を中心に描きながら、決して安定した労働環境ではないにも関わらず、人々がハマっていく過程、さらには、その危険性の考察というのはなかなか考えさせられる。そういう意味では実に面白い。また、一般のバイク趣味と、バイク便ライダーのバイクの趣味の違い。そして、その違いの背景の考察…なんていう辺りも含めて面白い。
ただ…不満点も結構多い。
まず、もう少しボリュームが欲しい、というところ。全部で僅か150頁程度で、なおかつ、会話文が多いため、日常だとかの描写が簡単に描かれてしまっているのが勿体無い。折角、参与観察を行っているのであるから、もっと詳細な様子だとかが欲しかった。
次に、考察そのものは面白いのだが、もう少し客観的なデータであるとかを入れて欲しい、という点。基本的に、著者がこう思った。だから、こうなのだ…的な形になってしまっていて説得力に欠ける部分が多い。勿論、調べきれない部分もあろうが、例えば、身体を壊してやめる人も多い…なんていうのなら、著者の職場で1年間にどのくらいいたのか、とか、その程度は示して欲しかった。
最後に、文体の問題。(著者が語っていたが)舞城王太郎の影響を受けた、という文体が、あまりにも軽く、全体的に散漫な印象。特に最終章辺りは、先の具体的なデータが弱い、ということも含めて説得力を弱めてしまっている感じがする。もうちょっと落ち着け! と言いたくなってしまったのだが…。
(若者の)労働環境であるとかを考える上で、重要な視点を含んでいるとは思うが、もう少し、と感じる部分が多い書だった。
(07年9月01日)

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働きすぎる若者たち
著者:阿部真大
フリーター、ニートなどが問題視される昨今。しかし、その一方で報われない労働にのめりこむ若者の問題も存在している。「あり地獄」と呼ばれるケアワーカーの実態を中心にその問題を語る。
とりあえず…『搾取される若者たち』と打って変わって文章が落ち着いていて読みやすかった(笑) 前作のあの妙に気取った文章は読みにくいだけだったので、それだけでもまずは好感(笑)
内容としては、前作同様、「不安定な職場における自己実現」と言うものの危険性について述べた書、といえる。
「理想のケアの形」として導入された「ユニットケア」。被介護者ひとりひとりに合わせた形で、と言うその仕事は、際限なく職域が広がっていく。実際に目の前で、被介護者と向き合う仕事は、自己実現の場としても成立する。だが、その労働は文字通りの重労働であり、しかも不安定。そのギャップの問題。さらに、日本における介護ヘルパー、ケアワーカーと言う職業の成り立ちから、現在まで残る形になった労働者の中にある格差。そして、問題解決へ、現場を知る研究者との対談…と言う辺りは実に刺激的で読んでいてなるほど、と思う。
前作もそうであるが、著者の主張そのものについては色々と考えさせられるし、また、データなどが明らかに不足していた前作と比較しても、現場の意見などを上手くまとめた本書の方がより説得力をもって受け入れられた。
ただ、正直、終盤の『下流社会』に絡めた議論、さらに相続と介護なんていう話の辺りは強引に結びつけた感が強いし、また、そのことによって焦点がぼやけてしまった感がある。勿論、綺麗に纏めていれば良い、と言うわけではないのだろうが、その辺りについては蛇足気味だったのではなかろうか?
(07年11月4日)

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合コンの社会学
著者:北村文、阿部真大
「合コン」に纏わる書籍は様々出ている。心理学的アプローチ、会話や作法のテクニック…などなど…。その合コンとは、どういうものであろうか? インタビュー調査を元に社会学的に検証した書。
「合コンとは、一つの制度である」
結婚相手を探すための一つの制度。そこでは、特殊なルールが要求され、禁忌を破れば白け、その中で駆け引きが行われる。舞台で相手の年収や学歴などを聞き、あからさまな態度を取ってはならない。けれども、だからと言って、参加者はそれを無視しているわけではない。むしろ、そのようなルールの範囲の中から読み取ろうとする。だから、極めて息苦しいものになる。
そして、そのような制度になったのは、「偶然の出会いからの結婚」と言うイデオロギーと、「出会いの場」「お見合い」としての合コンと言う二つの意味が存在し、その中で作られたものだから…。
こういっては何だが、物凄くぶっちゃけた話ではある。実も蓋もない言い方と言えば、それまでである。ただ、そういう形での解釈、分析と言うのはなかなか面白い。
ただし…である。本書の中で言う「合コン」と言う言葉が、一般的に使われる意味での「合コン」とズレがあるのではないか、というのを感じる。本書の中で描かれる「合コン」と言うのはあくまでも「結婚相手を見つけるための出会いの場」と言うかなり限定された意味で使われている。例えば、学生同士の「恋人探し」であるとか、はたまた「一夜限りの相手探し」のようなものは除外される。しかし、それらも含めて「合コン」と考える人は多いのではないだろうか? ちょっと範囲を狭めすぎているかも知れない。
また、あり方の変化などが語られるが、その辺りについても、著者らと同世代の(二人とも76年生まれ)20代〜30代の意見のみである点もちょっと気になる。言葉自体はもっと昔からあるわけで、もっと幅広い年代の意見もあってよかったのではないだろうか? そちらの方が、より現代の「合コン」のあり方について鮮明になったように思う。その辺りがあれば、より評価したいのだが…。
(08年1月17日)

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フェニックスの弔鐘
著者:阿部陽一
第36回江戸川乱歩賞受賞作。同時受賞に『剣の道殺人事件』(鳥羽亮著)。
毒ガス兵器を積んだ飛行機がニューヨーク・マディソンスクエアガーデンに墜落。数万名の死者を出す大惨事に発展。毒ガス兵器が、ソ連のものと判明するや、デタント路線の両国に緊張が走る。そんな頃、レバノンでテロリストに拉致された経験を持つ元軍人のレイモンドは、堅物の兄・アレックスが飲酒運転の末に事故死したとの一報に疑念を抱き、独自に調査を開始する…。
うーん…この作品、ミステリといって良いのかどうか悩む。「謎を中心に物語が進展する」のがミステリと定義するのならば、広義の意味でミステリになるのかも知れないが、いわゆるトリックだとか、アリバイだとかと言うものを中心とするものとは一線を画する。むしろ、東西冷戦を背景としたスパイ小説と言った趣だろうか。
この作品、1990年の作品だが、アメリカで新保守主義が台頭していた数年前であれば舞台として不適切であるし、また、遅くてもダメだった。翌年にはソ連そのものが崩壊してしまったのだから。東西冷戦が終結に向かい、一方でその現状に対する不安感、反発が存在していたという時代を感じさせる作品と言えよう。「現代史を題材にしながら歴史に裏切られ、傷つけられた作品」という文庫あとがきにある著者の言葉は強く感じるし、その一方で、強く時代を反映したものであると思う。ソ連崩壊から15年近く経ち、東西冷戦も過去の歴史になりつつある現在では余計に、だ。
もっとも、その一方で現代にも通ずる分析が各所にあるのも確かだ。テロによって高まり、反撃を求める人々の愛国心であるとかの描写は、2001年の同時多発テロ後のアメリカの様子と見事に一致する。また、アメリカに根強く残る聖書原理主義であるとかも同様だ。そういう部分的なところでのリアリズムは健在だろう。
作品そのものとして見るなら、様々な場面が同時多発的に展開していくため、それぞれの事情がわからない序盤はやや混乱するかも知れない。また、日本が舞台ではない、というところも、地理的な感覚などが少し掴み辛いかも知れない。ただ、それはある程度までで、中盤まで行けば全く問題ないだろう。
時代を感じてしまうのは確かだが、だからこそ、当時の空気に触れてみるのも良いかもしれない。
(06年3月13日)

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シゴフミ
著者:雨宮諒
レトロな郵便配達夫を思わせる制服に身を包み、不思議な喋る杖を持った少女・文伽。彼女が届ける黒い切手の貼られた手紙は、想いを残して逝った人々が綴った大切な人への最期のメッセージ…。
読んでいて、一番最初に思った事。「『しにがみのバラッド。』に似てる…」
こう言うのも何だけど、設定とか、かなり近いと思う。「死」というものが大きなポイントになっていること。文伽、マヤマ(杖)という存在はいるものの、あくまでも普通の人々の想いというものがストーリーの中心にあること。一見、無表情だけどおせっかいな文伽と、文句を言いながらもそれに従う相棒・マヤマ…という構図なんかも、モモとダニエルの関係に似ているし。共通点という意味では、かなり多い。
で、感想なんだけれども、収録されている3編、どれも非常にオーソドックスだけれども、読了後に優しい気持ちになれる作品。自分が死んでしまい、恋人に手紙を出すも、その恋人の態度は冷淡…という『ひとひらの想い』なんかは、ヒロイン・典子の強さ、そして、恋人のことを心から理解し、信じている気持ちが伝わってくるし、親娘でありながら、師弟関係となってしまったが故のジレンマ、感情のもつれを描いた『父さんのまなざし』も、綺麗な話。と、同時に、この2編の仕掛けなんかも良いと思う。ただ、正直、「手紙」である必然性とかが弱いんだよね。その辺りで、ただのメッセンジャーとなっていて、『しにがみのバラッド。』と同じような印象を覚えてしまう、というのはあると思う。
どうしても『しにがみのバラッド。』シリーズと比較してしまうのだけれども、今後、どういう風に進めて行くのか、独自色を出していくのか…っていうのは、ちょっと注目したい。
(07年3月9日)

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勝手に絶望する若者たち
著者:荒井千暁
就職氷河期に難関を制して入社した若い社員が辞めていく。その背景にあるのは何か? 産業医として、彼らを診た著者が、その原因を探った書…ということになるだろうか。
まず最初に。この本、物凄く読みづらい。頁数にして190頁ほど。そのうち、付章が30頁ほどなので、実際には、160頁ほどの書なのだが、序盤、著者に語った退職する理由から、職場環境の変化について語り、そこからどんどん職場環境、人材育成環境の変化と言う話が続く。そういう話に100頁近く、それも、新聞記事などから著者が考えた「仮説」などが多く、しかも、書き方そのものもやたらとまどろっこしい書き方がされているので読んでいて凄く疲れる。
冒頭の部分については、結局、仕事に対して勝手なイメージばかりが先行していて、それに囚われすぎるが故に出来ないとすぐに見切りをつけてやめてしまう、というもの。ただ…どうも、全体的に「私の経験では…」と言う経験論が多く、根拠の弱さを感じる。確かに、著者の言うような者もいるだろう。けれども、著者が語った理由を考えると他の形が見えるのである。
著者の聞いた理由とは次の通り。「仕事を教えてくれなかった」「即戦力になれなかった」「意見を聞いてもらえなかった。すべて一方的だった」「したいことをやらせてもらえなかった」「職場の雰囲気が悪かった」「一方的に責任を負わされた」「ハラスメントを受けた」というもの。ただ…これを考えると、若者だけの責任と言えないように思うのである。
やめる人が増えたのは氷河期が回復の兆しを見せた氷河期後半の若者。氷河期の中で、とにかく就職を確保するために何でも良いから就職した人と言うのがいるだろう。彼らが、回復に合わせて転職を考える、と言うことは十分に考えられる。しかも、職場環境の方も考えなければならない。散々、著者が書いているように職場環境が大きく変わった。成果主義が取り入れられ、技術革新などによって教育というものも難しくなった。その中で、教育もされず、成果主義で割を食う形になる(実績だって挙げられない)。景気が悪くなれば、リストラが待っている。過労で倒れる人々もいる。その中で、見切るな、と言うほうが難しいのでは?
正直、読んでいて、散々、職場環境の変化を書いたにも関わらず、なぜ結論部分が「したいことをする」という姿勢を捨てよ、となるのだろうか? 正直、ちょっと不思議なのだが…。
(08年1月20日)

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