パパと娘の7日間
著者:五十嵐貴久
父・川原恭一郎、48歳。老舗化粧品メーカーの副部長。娘・川原小梅、16歳。都立高校の2年生。もうここ数年、二人で会話をすることも無いし、休日などは朝食もバラバラ。そんな二人の人格が入れ替わってしまい…。
なんて言うか…読んでいて、「五十嵐貴久作品らしいな〜」というのが第一。
こう言っては何だけれども、二人の人格が入れ替わってしまう。父と娘が入れ替わってしまう。というようなお話は、小説、映画、漫画、アニメ…などなど、題材を問わずに沢山ある。出てくる展開だって、ある意味では、「お約束」の連続。そうなんだけれども、やっぱり楽しい物は楽しいんだ、これが。
「7日間」と言うタイトルになってはいるんだけれども、実質的に物語としては4日間だけ。それも、どちらかと言うと、娘になってパパの奮闘を描いた1日と、パパになった娘の奮闘を描いた1日というのがメイン。どっちもお約束なんだけれども、笑った笑った。
娘・小梅が思っているケンタ先輩。そのケンタ先輩とのデート。勿論、父親としては何とかして関係を壊してやろうと企む。ところが、ケンタの映画の選択が自分ソックリであってみたり、やってることがいつもいつも裏目に出てみたり。一方のパパになってしまった小梅は、その会社の旧態依然とした体制にビックリ。そして…と。この会社も酷いねぇ(笑) 『神様からひと言』(荻原浩著)の珠川食品と良い勝負だ(笑)
最初にも書いたけれども、題材そのものは良くあるものだし、展開だってそんなに独創的っていうわけじゃない。けれども、そのポイントをキッチリと抑えていて、わかっているんだけれども楽しい、という気分にしてくれる。
(06年12月27日)

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シャーロック・ホームズと賢者の石
著者:五十嵐貴久
シャーロック・ホームズを主人公とした短編4編を収録した短編集。
「シャーロック・ホームズ」といえば、コナン・ドイルの描いた小説シリーズの主人公であり、世界で最も有名な「探偵」じゃないだろうか? そんなシャーロック・ホームズシリーズのパスティーシュというべき作品。
五十嵐さんの作品というと、有名な映画の設定をそのまま日本であるとか別の舞台に持ってきて練り直す…というような作品が結構、多いのだけれども、この作品もそうかと思っていた。タイトルからして、こないだ完結編が出たあの小説っぽいし(笑) ただ、今回は、シャーロック・ホームズシリーズのパスティーシュではあるものの、キッチリとしたミステリ作品として仕上がっている、というの感じた。と、同時に、そこに登場した人物たちの後日談だとかを使って遊んでいる辺りに、「らしさ」を感じるわけだが。
個人的な感想だけで行くと、物語の意外性で面白かったのは1編目の『彼が死んだ理由』。いきなり、結構、際どいんじゃないか? と思わせてくれる辺りのひやひや感も含めて(笑)面白かった。本格作品らしさ、っていう意味では、『英国公使館の謎』が好きかな。しっかりと、私自身がミスリードされましたわ。
ちょっと地味な感じはあるかも知れないけれども、気軽に読むにはなかなか良い作品じゃないかと思う。
あと、巻末の日暮雅通氏による、『ホームズ・パロディ、パスティーシュの華麗なる世界』は勉強になりました。
(07年7月27日)

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過防備都市
著者:五十嵐太郎
日本の「安全神話」が崩壊したと言われて久しい。その結果、街中に監視カメラが張り巡らされ、各地域では自警組織が作られる。学校や住宅は要塞化し、あらゆる場所で「テロ対策」の言葉が見うけられるようになった。そんな日本の現状を読み解いた書。
タイトル、序文、締め、そして、ちょっとした言いまわしから著者がそのような状況に疑問を呈していることがうかがえる。「セキュリティを強化することが、新たなる不安を呼び、さらなるセキュリティ強化を求めるきっかけとなる」という考え方自体は私も賛成である。
が、この書では、多くの事例、多くの意見などが取り上げられているのだが、全体的なまとまりにかけている印象。また、先に書いたが、著者の意見がハッキリと表明されているわけでもない。なんとなく、疑問を持っているようだ…という感覚か。
もう少し、全体的なまとまりが欲しかった。
(05年6月4日)

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美しい都市・醜い都市
著者:五十嵐太郎
「美しい街づくり」「美しい景観の保護」が叫ばれ、「醜いもの」狩りが行われている。だが、「美しい街」とは何なのか? 「美しい街づくり」に関する話から、現実・虚構の街までを含めてそれを探る。
いや、実に面白い。私は、正直、建築であるとかについては、完全な素人である(大学時代、都市計画という講義を取って、1度も出席せず、単位を落としたのは秘密)。そんな私でも、色々と考えさせられる内容であった。
本書は2部構成になっており、第1部で日本橋と首都高についての議論を中心として「美しい街づくり」を巡る「美」に関する基準の問題について語り、第2部で香港、上海からアニメ内の風景、幕張、平壌まで含めて実際の街の様子を描く。
2部構成の中で、私が面白いと思ったのは、その「美」について語る第1部である。街づくりについて、「あれは醜いから排除しろ!」と言った文言ばかりが先に立ち、実際に「美」について議論されることは無いままに話が進む現在の日本。曰く「日本橋の上に首都高は醜いから排除すべき」「電柱・電線だらけの街は醜いから地中に埋めろ」…などなど…。しかし、それらは本当に醜いのだろうか? そもそも、現在の日本橋は、それほど価値があるのか? については鑑みられない。しかし、本来は、それこそが重要なのではないか? と著者は語る。同感である。
さらに、本書の中で印象的であったのは、景観を語る際のパターン。「あれを排除すれば美しくなるはずだ!」と、わかりやすい敵を作り、それを攻撃することで景観をコントロールするのは、「ゲームやアニメを排除すれば、子供が良くなる!」みたいな、私が批判的に捉えている言説と同じ構図である点。実際、建築も芸術と捉えれば、同じ構図があって当然なのだが、ここまで類似しているとは思わなかった。また、そういった話を受けての第2部。「景観論者のユートピアは平壌では?」には大笑い。芸術や文化についても徹底的に管理されている、という意味でも、全く同じになるはずだから。
本書に書かれているのは、あくまでも建築・街づくりについてである。途中、(特に幕張の街づくりなどは)やや素人からするとわかりづらいかな? と感じる点はあったものの、実に刺激的で面白い書として仕上がっている。安倍首相の掲げる「美しい国づくり」やらについて考える際にも、一度、読んでみると面白いのではないかと思う。
(07年8月2日)

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駅伝がマラソンをダメにした
著者:生島淳
実のところ、私の2006年最初の読了本はこれだったりします。テレビで箱根駅伝見ながら、これ読んでる自分の天邪鬼さにちょっぴり自画自讃(ぉぃ)
日本で抜群の人気を誇る競技・マラソン、駅伝。特に、正月に行われる箱根駅伝は抜群の人気を誇る。しかし、これだけの人気を誇りながら、五輪をはじめとして近年、男子マラソンの成績は振るわない。それは、箱根駅伝のためである…というのが本書の内容。
なるほど、言われればもっともだ…と思うところは数多くある。かつては、関東地方の大学のお祭的な存在でしかなかった箱根駅伝が、テレビ中継が始まり、正月の風物詩として定着した。これによって、本来、中距離向きの選手達もが駅伝に殺到し、中距離が空洞化する。一方、大学の側も、全国が注目するこの大会は、学校の宣伝にとって無視できる存在ではなく、次々と強化していく。結果、箱根駅伝のレベルは上がったが、中距離選手の空洞化をもたらし、一方で20キロのスペシャリストを育成するが故に、42キロのマラソンもまた手薄になってしまった…だろうなぁ…と素直に思う。
この書、1・2章で箱根駅伝の変遷を扱い、3・4章で主な大学の分析、5・6章でまとめ…という形になっている。で、思うのが3・4章。新興勢力、伝統校の分析が行われているのは面白い。面白い…のだが、正直、これがあまりに力が入り過ぎていて、肝心の「駅伝がマラソンをダメにした」という部分がぼやけてしまっている印象。注目度の高まりと学校の姿勢というのが重要なのはわかるのだが、7大学を80頁弱も用いて説明する必要はあったのだろうか? 新興・伝統を1つくらいに抑えて、医学的なアプローチだとか、スカウトだとかの実態であるとか、はたまた現場の声だとかをもっと増やして欲しかった…と思うのは私だけだろうか? ことあるごとに「燃え尽き症候群」と連呼されてしまうのもどうかと…(全く無いとは言わないが、他にも多くの原因があるだろう)。
決してつまらないわけではないのだが、どうも物足りなさが残った。
(06年1月3日)

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アマチュアスポーツも金次第
著者:生島淳
07年3月に発覚した、プロ野球・西武ライオンズの裏金問題。この金の問題は、野球だけではなく、あらゆるスポーツの世界にまとわりつく。そもそも、スポーツをするには金が掛かる。。スポーツと金(経済)について記した書。
本書はまず、冒頭でも書かれたプロ野球の裏金問題から始まって、スポーツ選手の「商品価値」の問題。さらに学校運営、経済状況とスポーツの結果(構造)、そして、世界的なプロスポーツの経済運営と言う形で構成される。
スポーツをやるには金が掛かる。ある意味では非常に当たり前のこと。本書の中にも記されている例ではあるが、小さな頃からスイミングスクールに通っている子供は、小さい頃から泳ぎが上手い。スポーツをやるには道具が必要だし、本格的にやるためには施設やら、遠征費やらも沢山かかる。お金がなければスポーツをやることは出来ないし、また、同じ才能を持った選手同士ならば、金のある側の方が強くなる可能性は高い。それは、プロだけでなく、アマチュアの世界も一緒。プロとアマ、なんていう風に言うけれども、どちらも「金が重要」と言う意味では同じ。スポーツと金、特にアマチュアスポーツにたいして一種の「聖域」のような扱いもあるだけに、そこをしっかりとつく辺りに好感を持った。
ただ、惜しむべくは、どうにも「踏み込み不足」と言う感じがすること。様々な事象を扱ってはいるのだが、本当にアッサリと表向きの部分に触れているだけ、と言う感じなのだ。例えば、4章の『北海道経済と冬季五輪の関係って?』なんて、しっかりと膨らませれば、本書で指摘しているような問題を全て含みながら実に興味深い内容になったのではないか? 正直、新聞・雑誌・スポーツニュースなんていうものに興味を持っている人ならば、(なんとなくでも)感じることレベルで止まっていて残念。
テーマそのものは面白いだけに、もっと踏み込んだ内容が欲しかった。
(07年12月13日)

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インフォドラッグ
著者:生田哲

いや〜…これだけ凄い本は久しぶりに読んだ。基本的には、『脳内汚染』(岡田尊司著)の焼き直しと言っても良いだろう。しかし、そのオリジナルのところが物凄すぎて、読んでいて笑いをこらえるのが大変であった。
基本的に本書で訴えられていることは、ゲームには依存を引き起こす、という効果があること。そして、ゲームで暴力を学習し、暴力的になる、という2点である。しかし、その理論そのものが相当に怪しい。
まず、依存性に関してであるが、この基本的な理論は『脳内汚染』同様、「ゲームをやったら沢山ドーパミンが分泌された。覚醒剤や麻薬と同じだ」というもの。しかし、ドーパミンが出たから麻薬と一緒だ、というのは乱暴であるし、ここで書かれているのはゲームの分泌量のみである。「こうやって依存になる」というストーリーが描かれるが、ここにあるのは著者が「こういう流れのはずだ」というものだけ。根拠はない。「小説や映画より、プレイヤーが主体的であるゲームのほうが依存性が高い」というのだが、そうならばゲーム以外のメディアは駆逐されているのでは?
また、暴力学習についてもそうだ。まず、前頭葉が働かなくなる…というものであるのだが、この根拠の一つ「GO/NO−GO課題」については、調査者の篠原菊紀氏が「この調査について慎重な扱いが必要」というものを何の注釈もなく載せるなどしている。また、暴力学習についても、いくつかの論文の切り張りを行うのだが、著者に都合の良いものばかりを集めた印象が強い。大体、著者自身、ゲームで暴力が増加する…と言いながら、日本の事件件数が増えていない、と自ら認めているのだが(代わりに、理由のわからない暴力が増えている、とか、その効果はすぐではなく、将来現れる…などと言い訳をする。しかし、前者については昔からいくらでもそんなものはあるし、後者については、プレイステーションが発売されすでに10年、ファミコンが発売されて20年。多少なりともその影響が出ていてもおかしくないはずだが…?)。
その解決法は非常に単純。ゲームを排除しろ。少なくとも、小さいうちは与えるな、読み書き能力を高めよう、というもの。しかし、後者について「効果があることを示す歴史的事実がある」と、1340年と1540年のアムステルダムの殺人率を持ち出してくる。…その統計、どこまで信用できるのだろうか? (この時代のネーデルランドは、激動の時代で統治体制などが次々と変わっており、単純比較できると思えない)。
さて、ここまで記されてきた科学的とされている部分への反論を書いてきたが、普通の感覚のある人間であれば1章でそのトンデモさ、著者の文化、社会に関する無知さは理解できると思う。何せ、RPGについて『ドラゴンクエスト』の名前を出した上で「ロールプレイングゲームは一度始めたら、面白くてなかなかやめられないゲームである。それは、キャラがあらかじめ設定されてる従来のゲームと異なり、プレイヤー自身が自分の演じるキャラをつくり、ゲームマスターなどと呼ばれるゲームの進行係と対話しながら進めていくから、変化が無限にあるため、飽きないのだ」と説明するのだから。…いや、それ、RPGじゃなくて、TRPG。テレビゲームじゃないし(笑) 他にも、ゲームで暴力的になる、といいながら殺人率が全く増えていないことを認めながら、「自殺は自分に対する暴力。自殺が増えたのは、暴力的になったから」(暴力的になったのなら、自殺のみが増えるのはおかしいはずだ)や、「ゲームで無気力になったのがニート激増の原因」(ニート問題に関しては、労働環境の考察を抜きに語るべきではない)、「いじめの増加は暴力を学習した結果」(昨今のいじめ増加は、マスコミが問題視した為、カウントする学校側の態度が変わったため)と著者の頭を疑う発言がこれでもかと詰まっている。多く挿入されるエピソードも、単独で見ると、必ずしもゲームのせい、とは言い切れないものが多い(例えば、ゲームにハマって大学を退学して、ゲームとバイト生活をしている米国人のエピソードがあるが、私の知り合いにサーフィンにハマって大学をやめ、サーフィンとバイト生活をしている者がいる。彼はサーフィン依存症だろうか?)
大体、著者の言う依存というのが事実としたら、我々は生活を大きく改めなければならない。仮にゲームで依存が起こるとして、他のものでもドーパミンは分泌されるため依存の危険性が高い。となれば、ありとあらゆる人間活動において脳内のドーパミン分泌量を計測し、一定以上を計測した活動は全て禁止しなければなるまい。それだけでいかに、馬鹿馬鹿しい話か、というのはご理解いただけるかと思うのだが。

最後に、著者の専門は薬学であり、脳科学などの専門家ではない。また、以前、著者で森昭雄と同様に「後天的自閉症」というようなものを記しているなど、問題のある人物のようである。

追記
「ドラゴンクエスト」を挙げてのRPGの説明が、TRPGの説明になっていることについて。
少し調べてみたところ、海外で「RPG」という場合は、「TRPG」のことを指すようである。しかし、著者が述べているのはあくまでも、日本での話である。少なくとも、ゲームについて真面目に調べ、考察をするのであればすぐにこの齟齬についても気づけるはずであり、著者が全くそのような視点を持っていないことが伺える。
(07年5月27日)

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果つる底なき
著者:池井戸潤

昨年末辺りから、江戸川乱歩賞作品を続けて読んでいるような気がする。こいつは、98年の受賞作。同時受賞には、『終戦のローレライ』の福井晴敏『Twelve.Y.O』がある。

作品の形としては、ハードボイルドになるのかな。謎の言葉を残して死んだ友人・坂本の調べていたものは何か、主人公・伊木は調査に乗り出す。
「銀行の暗部」「金融」なんてテーマが出てしまうと、なんとなく取っ付きにくい印象があるものの、いかにも説明説明した感じではなくそれなとなく折り込まれており、しかも、調査過程なども自然な流れなので凄く読みやすい。江戸川乱歩賞作品ではよく見られるような尻切れトンボという部分が無いのも好印象。
ま、坂本の妻・曜子が伊木の元恋人という設定に殆ど意味を見出せなかったり、など、ほじくれば少しは不満は出るが、完成度も高い作品だと思う。
(05年3月13日)

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空飛ぶタイヤ
著者:池井戸潤
大型トレーラーから外れた車輪は、通りがかりの母子を襲った。「整備不良」。そう結論付けたトレーラーの販売元、ホープ自動車に納得できない運送会社の社長・赤松は真相究明に乗り出す。だが、彼を待ち受けるのは困難の道…。
いや〜…かなり長大な作品ではあるものの、実に読み応えのある作品。
整備不良によって母子を殺害した犯人とされてしまった赤松。業務を請け負っていた取引先からは、それを引き上げられ、銀行からは融資を断られる。そして、学校では子供がイジメに遭う…。もう一方の主人公はホープ自動車で赤松に対応する沢田。赤松の訴えから、社内の不穏な空気を感じ、動き始める彼だが、その行動原理はあくまでも社内の派閥争いであり、自らの出世。赤松のことなどどうでも良いし、むしろ、赤松運送がつぶれてくれた方がありがたい、くらいの気持ちでしかない。そんな状況の中、物語は進展していく…。
長大な作品ではあるものの、とにかく前半は赤松の気持ちになって、全く好転しない状況に苛々苛々。後半に入って、ようやく小さな光が見えてきても、一進一退を繰り返す状況にやっぱり苛々苛々…。赤松、沢田の二人を中心として様々な視点で物語は描かれ、徹底的に腐ったホープ自動車の体質と、赤松の苦しい状況が続くので「面白いのだけれども疲れる」状況が続いていく。それだけに、終盤の一気の大逆転のカタルシスはスカッとする、ともいえるわけだけど…。
ここまで読んでいてわかると思うのだけれども、この作品、実際に起こった三菱ふそうのリコール隠し事件がモチーフになっている(と思う)。そして、最後のカタルシスはスカッとするのだけれども、ちょっと考え直すと、この上なく苦々しい感想にもなるのだ。
と言うのは、読者は実際のリコール隠し事件について知っている。しかも、様々な視点で描かれる物語によって、ホープ自動車がいかに酷い体質を持った会社かも知っている。しかも、苦境に立たされた赤松…と言いつつも、実は彼はそれでも恵まれた方ともいえる(支援を申し出る銀行があったりするわけだから)。もし、実際の事件が起こっておらず、マスコミで発表される「整備不良で母子死傷」と言う報道だけを目にしたらどう思うのか? を考えてしまう。赤松の子供をイジめ、赤松自身を糾弾する女王蜂・片山まではいかないにしろ、冷たい視線を投げかけてしまうのではないか? そんな気がしてならない。そんなことを思うと、清清しい結末ではあるんだけど、何か苦いものが残ってならなかった。
(07年10月24日)

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フレームアウト
著者:生垣真太郎
1979年のニューヨーク。映像編集者であるデイヴィッドは、自らの作業スペースに紛れこんでいた一本のフィルムを発見する。それは、「邪悪な意志」を感じさせるものだった。フィルムは「スナッフ」なのか? 主演女優・アンジェリカ、そして、失踪した「もう一人の」アンジェリカの行方を探すことになるのだが…。
第27回メフィスト賞受賞作。
うーん…「実験作」であることは間違い無い。読了後に「やられた」と思ったのも確か。ただ、それなのにどうもしっくりと来ない…とも感じてしまった。
まず感じるのが、文章に独特のクセがあるな…という点。このトリックを用いるのに役立っているのは間違い無いのだが、どうも気になって仕方が無かった。なんか、翻訳モノを読んでいるような感じがする、というと判りやすいだろうか? で、その文章で、映画論だとかの会話がどんどんと続くのだが、ここも評価が分かれそう。正直なところ、映画、レンタルビデオすら殆ど見ない私にとって、この辺りの会話があまり理解できていないのである。1979年のニューヨーク、という舞台設定もどの程度生きているのか…。
最初にも述べたように、トリックだとかは面白いと思うのだが…相性の問題かなぁ…。
(06年5月9日)

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ハードフェアリーズ
著者:生垣真太郎
バーの地下階で起こった三人の男の銃殺事件。一人が、他の二人を撃ち殺し、その後、自殺した。生き残った目撃者、ミシェルは見ていただけ。事件は、そこで終わったはずだった。だが、そのバーに居合わせたグレンは、証言の矛盾に気づき、調査を開始する。そして、20年後…。
著者のデビュー作『フレームアウト』同様、こちらもカメラ、映像というものがキーポイント。文章であるとかも、かなり似た印象。ただ、仕掛けだとかは少なくて、比較的オーソドックスな構成。
「人生」がテーマという著者の言葉ではないが、確かに描かれるものはそこなのだと思う。
偶然、居合わせた銃殺事件。その事件によって、何かに取りつかれたかのように事件を追うグレン。妨害、障害を潜り抜けた末に彼が見たもの。映画コンクールに出展された一本の映画。突如、消失したビデオテープから、20年前の事件を知ったマット。彼が知ることになる事件の真実。そして、20年前の事件に纏わる人々の人生…。「人生」と言っても、ただそれによって不幸になった、とか、幸福になった…ではなくて、それぞれが事件による影響を持ち、そしてそれをどう消化しているのか…という部分が見所。ある意味、かなり投げっぱなしになっているのだが(ある意味では、破綻かも知れない)、それが却って生々しさのようなものを感じさせる。
文章そのもののクセであるとかは、好みが別れると思うが、少なくとも前作よりは素直に楽しめた。ただ、複雑な人間関係であるとかが、ある意味じゃ、人工的と感じさせる辺りはマイナスかな。ちょっと作りこみすぎの印象。
ただ、なかなか楽しむことは出来た。
(07年5月6日)

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オーデュボンの祈り
著者:伊坂幸太郎
コンビニ強盗に失敗、護送中に事故にあった伊藤が気づいたときにいたのは、不思議な島だった。人間の言葉を喋り未来がわかるという案山子の優午、真実と真逆のことしか言えない元画家の園山、人を殺すことが許されている桜、自分では動くこともできないほどに太ってしまった女性・ウサギ…。
文庫の解説の最初の言葉が「なんとシュールな小説か」とあるが、確かにそんな感じである。いや、シュールというのとも少し違う気がするのだが。
独特のルールを持ち、「常識的に考えて」有り得ない世界である荻島という舞台。独特の世界観に戸惑いかねないわけだが、主人公同様に、のんびりとした情景、登場人物たちとの会話、そして実在人物である支倉常長やオーデュボン…そんなものを通して、不思議とその世界観に馴染めてしまうから面白い。
ミステリとしての謎解きに関して言えば、「なるほどな」という感じ。普通のミステリのような「切れ味」というよりも、「謎」という物体を分解して「なるほど、こういう仕組みだったのか」と納得するような感覚がした(わかりにくいですね)。
「名探偵は、登場人物を救うのではなくて、読者を救う」。色々と考えさせられる言葉だと思う。
(05年3月8日)

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ラッシュライフ
著者:伊坂幸太郎
泥棒を生業とする黒澤、憧れの神を「解体」しようと誘われた河原崎、不倫相手の妻を不倫相手と共に殺そうとする京子、職を失い途方に暮れる豊田、そして「金で全てを手に入れられる」という画商と共に動く伊奈子の5人の物語。それぞれの物語が、なんとなく繋がっているようにも思えるんだけれども、実際にはどうリンクしているのかわからないままに話が進んでいく。
この手の形の作品は、自分が読みなれているためか、読み終えたときに「巧いなぁ」とは思えても、スカッと言う切れ味は感じなかったものの、替わりにじっくりとそれぞれの心情が語られるため、彼らにいつのまにか感情移入してしまっていた。
物語が終了しても決して問題は解決していない。むしろ、複雑化してしまっている感じさえする。でも、それぞれが絶望のふちから希望を見出して行く。「彼らのその後も見てみたい」そんな感じがする。
(05年5月15日)

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陽気なギャングが地球を回す
著者:伊坂幸太郎
いやー…評判の良さは聞いていたけど、確かにこりゃ面白いわ。ただ、どう説明しようか、と言われるとちょっと困る。
ストーリーそのものは、ハッキリ言って、そんなに目新しいものじゃない。4人の天才たちが、その能力を活かして銀行強盗を行う。ところが、鉢合わせした現金輸送車襲撃犯に、金ごと車を奪われてしまい…と、こういう展開のものは、どっかで聞いたことがあるんじゃないかと思う。けれども、全く不満に思わない、というのがこの作品の魅力。
とにかく、キャラクターが魅力的。成瀬、響野、久遠、雪子という主役4人は勿論のこと、響野の妻・祥子や、雪子の息子・慎一なんていった人々も魅力的。彼らのやりとりとテンポの良さが、この作品の屋台骨を支えているように感じた。
と同時に、文庫本の解説にも書かれている、「ありえない設定を、ごく自然に受け入れさせる」という著者の腕がいかんなく発揮されている、という意見は素直に納得。主人公4人もそうだし、作中に出てくるちょっとした小道具も普通に考えればありえないものなんだけど、ごくごく自然に受け入れているから不思議。恐らく、伊坂幸太郎氏じゃなかったら、こうは行かなかったんじゃないだろうか?
『ラッシュライフ』の時も読了後に思ったんだけど、主人公たちの「その後」も見てみたいな、という風に思った。
(06年3月6日)

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陽気なギャングの日常と襲撃
著者:伊坂幸太郎
ある時、ウソを見破る達人・成瀬は刃物男騒動に出くわす。演説の達人・響野は店の常連の言う「幻の女」を追う。正確な体内時計の持ち主・雪子は、派遣先の同僚が貰ったと言う謎のチケットの真相を探る。天才スリ・久遠は何者かに殴打された中年男性と出会う。そして…。
読了後、一番最初の私の感想は「巧い」というところかな? タイトルの通り、本作は『陽気なギャングが地球を回す』の続編に当たる作品。メンバーそれぞれが活躍する雑誌連載の短編4編を第1章として、そこを2章以降で繋げてしまう、という形で長編に纏め上げたもの。そのため、1章が作品全体の半分くらいを占め、2〜4章で残り半分というような構成になっている。で、確かに「巧く」まとめてはいるんだけれども、やっぱりちょっと違和感を感じる部分があるな、という風に感じた。勿論、このような形でありながら「ちょっと」だけというのは、伊坂氏の構成力があってのものだと思っているのだけれども。
銀行強盗という「仕事」の時にふと目にした光景。そこに不審なものを感じた4人は、なぜか畑違いの人助けを始めることに。誘拐犯に攫われた女性は、成瀬の部下の恋人。彼女を助けるために、それぞれが仕事を始めるが、それぞれが日常で出会った人々が絡んで来たり、また、彼女を助けるために普段のツテを利用してみたり…。1章の中で出てきたちょっとした人々が、しっかりと意味を持ってくるこの構成には脱帽。と、同時に言わせて。「世間て、何て狭いんだ!」と(笑) シリーズの売りでもある成瀬、響野、雪子、久遠という4人のやりとりは相変わらずだし、そういう意味では何か安心した部分もある。
正直に言って、「1本の長編」として見ると、全体的なバランスがどうかな? と感じる部分はある。けれども、やっぱり面白い。そして、著者が自分で書いているように、途中で大きく作品の方向転換を行ったのに、しっかりと一本の作品として纏め上げてしまう著者の実力を再認識できた。話そのものもさることながら、私はそちらの部分に目がいった。
ま、個人的には、4人の一種の見せ場である「銀行強盗」のシーンがもっと描かれていて欲しかったな、と感じたのだけど。
(06年6月22日)

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