晩夏に捧ぐ 成風堂書店事件メモ(出張編)
著者:大崎梢
駅前のファッションビルの一角にある成風堂書店。そこに勤める杏子の元へと届いた一通の手紙。それは、かつて同じ成風堂で働き、現在は実家の信州にある有名書店に勤める美保からのもの。そこには、その書店で幽霊騒ぎが起きていて、店主が参っていること。そして、来て欲しい、ということがつづられていた。謎解きの得意な多絵と共に休暇を取り信州に向かう杏子だったが…。
前作『配達あかずきん』の続編に当たる長編なわけだけれども…うーん…。読んでいて感じたことを一声言えば「一長一短」かな?
連作短編であった前作と違い、今作は杏子と多絵が幽霊騒ぎについて調べる長編作品。信州の有名書店「まるう堂」で起こった幽霊騒ぎ。そこで噂されるのは、「幽霊は、27年前の事件の犯人」というもの。幽霊騒ぎを調べる中で、27年前の事件の真相についても調べることになっていって…。
正直に言うと、『配達あかずきん』を読んでいて、イマイチ、主人公・杏子や探偵役の多絵の、特に多絵のキャラクターが浮かんでこないな、というような不満点があった。その点について、本作では長編ということもあるのだけれども、物覚えは速いし、ちょっとしたことにも気づく、けれども、細かい作業だとかが実に不器用…なんていうキャラクターがじっくりと描かれていて「ああ、こういうキャラクターだったんだ」というのは素直に感じられた。それに、とにかく「本屋が好き」という杏子との対比なども面白かった。
…のだけれども、反面、前作にあった「この作品ならでは」がなくなっちゃったな、というのも感じざるを得なかった。はっきり言うと、杏子・多絵が書店員である、という必要性が無い。前作は、例えば、ちょっとした記号であるとか、店のレイアウト作りだとか、そういうのも含めて「書店員ならでは」というのを強く感じたのだが、こちらはそれがあまり感じられない。結果、なんか、「普通のミステリ」になってしまった感じがするのだ。いたるところで、レイアウトを見て感動するとか、そういうシーンはあるのだけれども直接的な部分で、書店員が関係ないのはちょっと…という感じ。
ミステリ小説としての出来は、十分に及第点。テンポも申し分ない。けれども、作品としての特色が薄れてしまったのが実に残念。
(07年8月31日)

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サイン会はいかが? 成風堂書店事件メモ
著者:大崎梢
馴染みの営業さんから、気鋭の作家・影平紀真のサイン会の話が出た。店長は早速乗り気。けれども、それにはある暗号解きのゲームをする、と言う条件つきだという。いくつも謎を解いてきた多恵に任せて、サイン会を始めるのだが、暗号を解いた多恵は「中止すべき」と言い出して…(『サイン会はいかが?』) 他、成風堂書店を舞台とした作品計5編を収録した連作短編集。
『配達あかずきん』『晩夏に捧ぐ』に続く、シリーズ第3弾。
前作、『晩夏に捧ぐ』のとき、「なんか、あまり書店員と言う感じじゃなくなった」と言うことを書いたのだけれども、本作は、『配達あかずきん』同様に成風堂書店に舞台が戻ってきて、描かれる謎も書店ならではの部分に戻り、そういう意味では減点回帰といえるかもしれない。
本作に関して言えば、書店員の日常、業務、そういうものが非常に印象的、と言うのがいえるだろうか? 書店の中には暗号になるものが多い…というような部分に関して言えば、1作目『配達あかずきん』の方が印象が強い。ただ、本作では、サイン会と言うイベントを行う際の書店での準備、はたまた、社会科見学に来た小学生への対応やら本の取り寄せに纏わるアレやコレ…そんな、日常業務が実に生き生きと描かれている。普段、客として「表の顔」を見ているわけなのだけれども、その裏の苦労話などはなかなか面白い。
エピソードとして好きなのは、社会科見学に来た小学生から始まる『君と語る永遠』、常連の老人と店員の交流が描かれた『ヤギさんの忘れもの』辺りかな。後者などは、謎と言っても大したものではないのだけれども、地元密着の書店と言う感覚も強く感じ、その良さを感じさせる。やはり、このシリーズは、壮大な謎…よりも、こういうちょっとした日常の描写があってこそ、と言うのも確認できた気がする。
(07年12月29日)

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監視カメラは何を見ているのか
著者:大谷昭宏
共謀罪、住基ネット、監視カメラにNシステム、そして、個人情報保護法。我々の生活はどんどん官から民に対する監視社会化が進んでいる。しかし、それは大きな危険性を孕んでいる。というのが、内容だろうか。
正直なところ、読んでいて、全体的に根拠が弱い、と感じる部分が多い。本書の場合、基本的な構造として、いくつかの事実などを持って、「こうではないか?」「こういう可能性がある」というようなものが多く、どうも説得力に欠ける、と感じさせられる部分が多い。読んでいて、共謀罪の孕む危険性、被害者情報を警察が出すかどうかを決定する…なんていうことの危険性はまったく異論は無いし、そういう意味では読む価値が全く無いとは思わない。
ただし、である。どうも著者の主張が一方的、いや、著者自身に都合の良い見方ばかり、という点が目に付く。
例えば、官から民への監視社会化ではなく、民による社会。昔のコミュニティのように、顔役がいて…というものを目指すべき、というものがある。官から民への監視の危険性は仰る通りなのだが、従来の民から民への監視がそこまで素晴らしいものなのだろうか? 無条件に素晴らしい、と決めつける書き方はフェアではない。
さらに、である。メディアの責任について、である。本書の中にも「メディアの功罪」と銘打たれた箇所はあるが、ここで語られるのはメディアスクラムなどの被害についてのみである。それも大事だが、メディアについてもっと大事なことがある。それは、体感治安悪化の最大の煽り手としての責任である。著者は、監視社会化の危険性を訴えているわけだが、そもそもそれを許す雰囲気を作っているのは、「治安が悪化している」「凶悪犯罪が多発している」と警察発表を全く検証もせずに、大々的に報じるメディアではないか。本書の中でも、子供達を標的にした事件が多い、というような扱いをしているが、データを検証すれば決してそんなことは無い。
101頁からの「花粉症社会」の話など、大笑いしてしまった。「花粉症社会」とは、異質な存在を大げさに扱い排除するような社会。それで、ちょっと異なった風習の外国人がはじかれた、というエピソードを披露している。しかし、「奈良小1女児殺害事件」で無関係なフィギュア愛好家を「フィギュア萌え族」などと呼び、「犯罪予備軍」として排除すべきと言ったのは他ならぬ著者自身である。何たる無責任さであろうか。
共謀罪に関する記述など、読む価値が全く無いとは言わない。しかし、全体的には厳しく見ざるを得ない。
(06年10月18日)

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殺意の演奏
著者:大谷羊太郎
芸能ショーの司会者・細井道夫こと、本名・杉山重一が自室で遺体となって発見された。部屋は密室で、中には奇妙な暗号。しかし、現場の状況、そして、暗号を解読した結果、これは自殺として片付けられた。それから十年、ラジオのパーソナリティになった重一の弟・真二はひょんなことから、兄の死を他殺と気付き…。
第16回江戸川乱歩賞受賞作。
(時代は思いっきり違うのだが)読了後に思ったのは、「メフィスト賞作品っぽい」ということだった。
十年前の兄の死を再び探る真二。そこで明らかになってくる事態、事件。そして、終盤のどんでん返しに次ぐどんでん返しの末に現れる可能性を残した結末…。この余韻の残し方が、これまで読んできた乱歩賞作品とは全く趣を異にしている、と感じたのだ。こういう作品もあったんだ、と乱歩賞に対する認識を新たにさせてもらった。無論、本格ミステリとしての作りもしっかりとしている作品である。
とは言え、気になる点もいくつか。
まず、作品全体として、かなり「ご都合主義」と感じる部分が多いこと。例えば、ラジオパーソナリティという主人公・真二の設定はヒントを得る為の設定としか取れない。もう少し、職業人としての日常があっても良いと思う。こういう部分が結構、目に付く。反対に、長々と音楽界の変遷であるとか、そういう解説が続く点。先の主人公の日常とは逆に、こちらはそれがあまりに長々と続いて辛い。
そして、終盤、作品の構造そのものの解説がやはり延々と続いてしまう点。これについては、現在の感覚で見てしまうから、というのはあるかも知れないが、あまり必要があるとは感じられなかった。
こう考えた場合、作品としての欠点は色々と浮かび上がってくる。ただ、それを上回るだけの先駆性を評価されての受賞だったのではないか? というようなことを感じた。
(06年11月12日)

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ぼけとアルツハイマー
著者:大友英一
別に昨日の森昭雄氏の講演会に合わせるつもりはなかったのだが、丁度、森昭雄氏が一緒に研究をした、と言う浴風会病院院長である大友氏の著書が手元にあるので、それについて。
日本ではかつて、認知症と言えば、「脳血管性」が主であった。しかし、現在、それにかわって「アルツハイマー」が増加している。それは何故か? そして、それを防ぐ方法について。
…というのが、本書の内容。全部で9章構成となっていて、アルツハイマーが増えている、というところから始まり、アルツハイマーやその他の認知症について、そして、どういう治療が行われているのか…といったものがあり、後半になって防ぐ為の実質的な話など…となっている。
正直に書く。前半は読んでてチンプンカンプン(笑) こう言っては何だが、前半は専門用語やら何やらの羅列という部分が随所に見られ、読んでいてよくわからない。その中で何となく、「こういうことなのだろうな」というのはわかったわけだが。と、同時に、病気の原因であるとかに関しては、様々な説などを引用して「これだ!」と決めつけではない、という辺りには好感が持てる。
ただ、あくまでも知識の無い私が読んだ感想として思うのは、著者の序盤で挙げる「アルツハイマー増加」というのが、本当に悪いことなのか? という点である。著者によれば、日本でこれまで多かったタイプの認知症というのは、脳梗塞などの治療薬などでかなり防げる、と言う。となれば、アルツハイマーが増えた、というのは…と思うわけである。
著者の訴える防止法は、バランスの良い食生活、運動などをして、また情報のアウトプットなどを行う、ということ。これ自体は別に反対する理由も無いし、やれば良いと思う。ただ、それが書かれる7章辺りから、急激に内容が劣化する。
まず、アウトプットが大事…なんて辺りから来るのがゲーム脳だ。この悲科学性については、これ以上言及するつもりは無いが、他にも犬を飼うと犬中心の生活になるから他人の迷惑を顧みず孤立して、認知症へと繋がりかねない、だとか出てくる。161頁では、態度の悪い若者をアルツハイマー予備軍と呼んでみたりとと、極めて非科学的な文章に終始しはじめる。また、9章では、「こういう性格の人はぼけやすい」「こういう生活態度の人はぼけやすい」などというものがあるが、これも問題だろう。性格なんてものは、変えようといって変えられるようなものではないわけで、こういうことはただの偏見を生むだけではないだろうか?
ということで、前半と後半のギャップが恐ろしく激しい書であると言う風に感じた。
(07年2月7日)

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アルファベット・パズラーズ
著者:大山誠一郎
井の頭公園の近くに立つAHMという名のマンション。その最上階にオーナーである峰原は住んでいる。犯罪について勉強している、という彼は、刑事の慎二、翻訳家の明代、精神科医の理絵を呼び、事件を推理する。そして…。
短編2編と中編1編の3編を収録した連作集。
基本的には、慎二が持ち込んだ事件を理絵、明代の二人が色々と質問し、峰原が解答を示す…という安楽椅子探偵作品のような様相を呈している。事件としては、毒殺事件、密室殺人、そして、誘拐事件とあり、峰原が話の中の矛盾点などから示す…という形。事件の意外な飛び方であるとかは確かに面白い。それは確か…。
ただ、正直、全体的に無理があるかな? というのが…。確かに、指摘される部分に矛盾点だとかはあるし、一応は、その結末も筋は通るのだが、実際に…と考えるとかなり無理があるように思う。また、最後の『Yの誘拐』のオチなどに関して言えば、意外というよりも、強引、という感じがしてしまった。
着眼点そのものは面白いだけに、逆にそれが目立っているように感じる。
(07年7月13日)

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少女は踊る暗い腹の中踊る
著者:岡崎隼人
連続乳児誘拐事件に揺れる岡山市。コインランドリー管理の仕事をしながら、無為な日々を送る北原結平はある時、深夜のコンビニでセーラー服を来た少女に出会う。そして、結平の原付には足を切断された乳児の遺体。少女・蒼以、シリアルキラー・ウサガワ…結平の生活は一変する。
第34回メフィスト賞受賞作。
なんだろ…これ…。
読んでいて最初に思ったのは、「舞城王太郎作品っぽいな」というところだろうか。それも、『土か煙か食い物』などのような初期の舞城作品(そういや、舞城作品を読んだ最初の感想も「なんだろ…」だった(笑))。他にも、福井と岡山という違いはあるもののどちらかと言うとローカルな土地を舞台にして、なおかつ登場人物たちがごくごく普通に方言を使って会話をしている点。新書ながら、1段という作品の形式。さらには、極めてバカバカしいほどに、極めてあっけらかんと、極めて自然に殺戮(それも異常犯罪、猟奇犯罪なんて言われるようなタイプもの)が行われる点である。
一応、導入部分はミステリーみたいな感じではあるんだけど、「心の闇」だとか「子供のダークサイド」なんて煽り文句から想像する、いわゆる社会派ミステリー的な要素は皆無と言って良い。また、ミステリーとして考えた場合のリアリティだって全く無い(これだけ色々ありながら、警察が全く動けないってのは有り得ないし)。最後はかなり投げっぱなしの部分も多い。ただ、それでも読者を引っ張るだけの魅力はある。
ま、デビュー作としては及第点じゃないだろうか。ここから、独自色をどうやって出していくか…かな。
(06年8月2日)

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滅びのマヤウェル その仮面をはずして
著者:岡崎裕信
ある秘密を抱えて暮らす高校生・倉持ユーキは、ある日、のっぺらぼうと通学中に遭遇する。その日の休み時間、真綾と名乗る謎の少女が乗りこんできて、ユーキの秘密を知っていると告げる。ユーキと真綾、2人の奇妙な生活が始まる…。
うーーーーーん……。
正直なところ、なんでこんな話になっちゃったんだろう? という感じ。テーマそのものは、なかなか面白い(まぁ、良くあるテーマっちゃあ、よくあるテーマなんだけど)。周囲を偽って暮らすユーキと、自らを偽って暮らす真綾。そして、2人の交流を通した日常…が中盤まで続き、そこから突如、全く別の作品になってしまった感じ。中盤までは、ユーキの一人称だったものが、中盤からは突如、他の人物の視点に切り替わって、過去の話の挿入が出て来たりするし。その辺りに物凄い唐突感を覚えた。いや、こういう流れなら流れでも良いんだけど、どうもそこまでの流れがしっかりと出来ていない感じで、あまりバランスが良くない印象。また、うちでも一応は隠しているけどユーキの秘密ってのも、序盤でアッサリとわかるだけに、それなら最初から出しておいても良かったような感じがするし…。
個人的には、ちょっと低めの評価としておきたい。
(05年10月31日)

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DZ
著者:小笠原慧
簡単に内容を紹介…と、なかなかし辛い作品だ。
あるヴェトナム人妊婦から始まる物語。アメリカ、ペンシルヴァニアで起こった夫婦殺傷&息子の失踪事件を追う刑事・スネル。日本のある夫婦の娘・沙耶が掛かった謎の病。アメリカ留学に全てを賭ける研究生と、その恋人の研修医・涼子。そして、そんな彼らを繋いで行くある人物の存在…。
ハッキリ言って、かなりおぞましい話である。人間を決定付ける遺伝子というもの。その技術へと踏み込んだ人々。そして、そこで次々と起こる事件。伏線は、かなり露骨に仕掛けられており、どういう方向の話なのかは結構、序盤でわかる。問題はそれが、どう繋がるか…そして、何のために「彼」はそれをするのか…を中心に展開していく。決して、「楽しい」展開ではないのだが、次が気になってページが進んだ。結構、専門用語が並ぶのであるが、(個人的には)あまり気にならなかった。…もっとも、良くわからなかった部分も多いのだが。
ただ、その専門用語の羅列、気になる人は気になると思う。また、終盤の「彼」の行動の一貫性のなさも気になる。ある意味では、「ご都合主義」と取れるわけであり…。
でも、全体を通して考えれば十分に楽しめたわけだが。
(06年5月29日)

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手のひらの蝶
著者:小笠原慧
児童福祉センターに、母親を殺害したと思われる少年・真下裕人が保護された。センターに勤める児童精神科医・小村伊緒は、彼の治療にあたり、徐々に裕人の心を開かせて行く。一方、街を騒がせる「連続吸血殺人」を追う刑事・薮原と西澤は、裕人の事件と一連の事件の共通点に気付く…。
「フィクションとして」十分に楽しめた。まず、そこは認めておこう。私は、精神科医・岡田尊司は全く評価していないけれども、小説家・小笠原慧は評価しているのだ。
この作品、「サイコサイエンスミステリー」なんて書かれているけれども、全体を通して考えれば「ホラー」小説的な要素が強いといえると思う。次々と、無惨に殺害されていく被害者。児童福祉センターで行われる「治療」の様子。それぞれの事件を結ぶ線。そして、昆虫の遺伝子…。一見、バラバラなそれらの要素を繋げ、かつ、スリリングに展開していくあたりの手腕は素晴らしい。多少、投げっぱなしの部分はあるものの、これだけの要素が少しずつハマっていく様についつい手が止まらなかった。
小説としての欠点をあげるとすれば、特に序盤、無意味に医学用語が並びたてられたりする辺りだろうか。医学用語の連呼は、ある意味ではリアリティを感じさせる効果もあるのだろうが、少し読みにくさを感じた。医学用語を医学用語で説明されても…とか思った部分があったし。あと、ちょっとわかりやすいかな。
それと、最初に「フィクションとして」とつけたのにも意味がある。この作品では、福島章氏の『子どもの脳が危ない』辺りの文章を丸写しにするような形で、「脳の機能障害、異常が凶悪犯罪に結びつく」というような説明がある。メインになる部分がフィクションと言うのはわかるだろうが、この福島氏の説も多くの批判があるものである(その辺りは『狂気の偽装』(岩波明著)などを参照のこと)。脳に異常がある人=犯罪予備軍、みたいな偏見は持たないで頂きたいな、と感じたので予断だが書くことにした。
ということで、多少、気になるところはあるものの、「フィクション」として十分に楽しめる作品だと思う。
(06年9月5日)

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サバイバー・ミッション
著者:小笠原慧
大震災と経済破綻を経験し、荒廃した2013年の日本。スラム化の進む日本で、連続して起きる首狩り殺人。新米捜査官である麻生利津は、極秘に事件捜査を命じられる。与えられた人工知能、ドクター・キシモトと共に…。
作品全体を通して見れば、テンポの良さであるとかは相変わらず素晴らしい。脳の記憶をトレースすることができる、という設定も面白いし、それによって作り上げられた人工知能・キシモトと利津のやりとりなんかも面白かった。事件そのものもなかなか全体像が見えてこず、そういう意味で、一気に引っ張られたのは確かだ。
ただ、どうしても、そのまとめ方が強引というのは感じる。多くの被害者たちが結局、非常に簡単な言葉ひとつで片付けられてしまうのはいかがなものだろう。ちょっとね。と、もう一つ。近未来という設定。スラム化する…なんていう設定がある割に、それが殆ど生きていない。さらに、である。この「脳の記憶トレース」という話をしたかったのだと思うのだが、これが出来るのであれば、本作で「猟奇事件」と扱われている「首狩り」そのものがそれほど猟奇的にならなくなると思う。記憶をトレースできるのならば、脳というのは重大な「証拠物品」になるのだから、持ち去るというのは理性的な判断となる。つまり、設定そのものに矛盾が生じる結果となっているわけだ。どうも、それが気になって仕方が無かった。
全体を通して見れば十分に楽しめたのだが、欠点も色々と目立つように感じる。
(06年10月22日)

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議論のウソ
著者:小笠原喜康

マスコミなどで良く出てくる「わかりやすい」表現。その「わかりやすい」ということに潜む問題点を、少年犯罪凶悪化、ゲーム脳、医療器具と携帯電話、学力低下問題の4つの事例を用いて説明した書。
以前、『世間のウソ』(日垣隆著)を読んだときにも同じ事を感じたのだが、この書は扱われている事例の良し悪しを論ずる書ではなくて、情報の受け取り方、情報の扱い方、を考えるための書だと思う。表面的な数字だけを見て判断していないか? 言っている人が権威のある人間(のように思える)からというだけで信用していないか? 日々状況が変わるものを昔の情報で判断していないか? …などなど、情報を受け取る際の考え方、また、そのように思わせる情報がどのような特徴を持っているのかなどが解説されている。勿論、この書にかかれていることを、この書が書いているように視点を変えて検証してみる、ということも良いだろう。私は、そのような「考え方」を記した書だという風にこの書を捉える。
まぁ、それだけに、途中、少年犯罪だとかに関する著者の持論が綴られているのは減点材料としたい。それは、蛇足だろう。
ただ、情報の受け取り方などを考えるためのきっかけとしては良い書だと思う。

と、ここまでが直接、書の内容に関しての私の感想なのだが、それとは関係なしに感じたことを。
第2章で「ゲーム脳」について論じられているわけなのだが、この書を発行した講談社は、『ゲーム脳の恐怖』の続編とも言うべき『ITに殺される子どもたち〜蔓延するゲーム脳〜』を発行した会社である。よく、出せたなぁ…というのが1点。
もう1つ。この著者は、森昭雄と同じ日本大学文理学部教授である。同僚である森昭雄のバカ理論で職場が変な扱いをされることにむかついていたのかなぁ…と思ったり。
本当、内容に一切関係のないことではあるけど(笑)
(05年9月20日)

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クラインの壺
著者:岡嶋二人
触覚、嗅覚、味覚まで実際に体験できるヴァーチャルリアリティ・システム『クライン2』の製作に関わることになった彰彦。テストプレイヤーとして参加していくが…。
あまり作品のネタバレはしたくないのだが、内容としては崩れ行く自我、自己が描かれている。岡嶋二人名義ではあるが、実質的には(現PN)井上夢人が一人で書いていたらしい。確かにこのテーマ自体は、『メドゥサ、鏡をごらん』であるとか、『プラスティック』であるとかに通ずるものがある。既に、井上夢人の作風というものが出来上がっていた、ということをこの作品を読むと感じることができる。
この作品が書かれたのが89年。「ゲームブック」という単語であるとかに時代を感じる部分がないわけではないのだが、文章自体に古臭さを感じることはない。むしろ、まだファミコンソフトが最新のゲーム機であったようなこの時代に、実体験できるゲーム機、というアイデアで作品が描かれた先見性に脱帽せざるを得ない。
現在でも十分に楽しめる作品だと思う。
(05年4月5日)

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99%の誘拐
著者:岡嶋二人
既に発表から20年近い歳月を経ている作品だが、確かにサスペンスとしての出来は見事だ。
ただ…正直、ミステリとしての驚きであるとかは薄い。真犯人という部分では、ほぼ序盤で予想がついてしまうし、恐らく途中で動機などに関しても予想がついてしまうのではないか? 少なくとも、私は読めてしまった。
また、色々といわれているハイテク云々に関しては、なんか微妙…。書かれた当時から時間が経っているから仕方が無いのかもしれないが、あまりにもコンピュータなどが都合良く出来過ぎではないか? 少なくとも、これだけネット犯罪だとかが言われる時代から見てしまうと、あまりにも警察だとかが無知過ぎる。まぁ…当時はそうだったのかも知れないが、現在の状況で考えてしまう私にとってはその辺りも白けてしまった。
ストーリーテラーとしての見事さは認めるが…。
(05年6月12日)

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ダブルダウン
著者:岡嶋二人
ボクシングの試合中、試合をしていた両者が共に死亡するという事件が発生する。死因は青酸による中毒死。出版社の編集者・麻沙美は、雑誌記者の中江、ボクシング評論家の八田と共に調査を開始する。
うーん…井上夢人氏が岡嶋二人時代の事を描いたエッセイ『おかしなふたり』の中で、「最悪の出来」という評価を下している作品らしい。確かに、試合中に殺害する必然性は薄いし、なんか2時間ドラマ的な展開になっていたり…と不満点を挙げればある。けれども、そこまで酷い作品か? 私はなかなか楽しめたのだが…。
これは、私が岡嶋二人作品に触れた時期の問題から来ているのかもしれない。私が、岡嶋二人作品を読むようになったのは井上夢人作品を読むようになったあとで、本当につい最近のことである。そして、これまで読んだ作品は『99%の誘拐』『クラインの壷』『七日間の身代金』の3つである。実を言うと、『クラインの壷』はともかく、他2つに関しては、「古い」という印象ばかり先に立ってしまった。
『99%の誘拐』は最新ハイテク機器を用いた誘拐、というものが売りなのだが、80年代の「最新技術」は、現在では良くて標準、下手すりゃ「古い」技術である。書かれた時代がそうなのだから、と頭では理解していても、「現代」が舞台にされている以上、今、この時点を基準に考えてしまい違和感を感じてしまうのである。勿論、これは作品が悪いのではなくて、タイミングが悪いのであるが。その意味で言うと、この作品は05年現在で考えても殆ど違和感を感じることなく読め、素直に楽しむことが出来た。
この作品がベストというには疑問を抱かざるを得ないのだろうが、一気に読ませるだけの内容と言い、それほど悪い作品だとは思えなかった。
(05年8月27日)

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