焦茶色のパステル
著者:岡嶋二人

宝飾デザイナーの香苗は、ある日、警察の訪問を受ける。警察は、ある大学の講師が殺された事件について、夫・隆一の行動を尋ねて行く。夫・隆一と離婚協議中であり、競馬評論家である夫の仕事内容は一切知らない香苗はその旨を伝え、その場は収まる。だが、今度は、夫・隆一と牧場の場長が2頭の馬と共に撃ち殺されたとの一報が入る。
第28回江戸川乱歩賞受賞作。
ということで、岡嶋二人のデビュー作は、競馬を舞台とした作品。とはいえ、主人公・香苗は全く競馬を知らない存在として描かれ、真相を探る中でそちらの知識も得ていく。一方で、馬券・レースを離れたところでの馬の取引であるとか、血統であるとかといった業界ネタが用いられており、近年の江戸川乱歩賞の傾向を持っている。…82年の作品なのに。
で、肝心の内容だが、新人作家の作品とは思えない。途中まででも十分に一級のサスペンス作品として楽しませておきながら、終盤に来て話が二転三転。この辺りの構成に唸らされた。
江戸川乱歩賞でしばしばあるような、最後のやや尻切れ感はちょっと…だけれども、いや、見事な作品だと思う。

それはそれとして、この作品は1982年。まだ、90年代の競馬ブームはおろか、三冠馬・ミスターシービー、シンボリルドルフすらまだ世に出ていない時代。それだけに、当時の競馬界を巡る時代性の違いだとかが感じられたのが面白かった。種付け料150万円とかで一流種牡馬って、現在の数千万円単位の時代から見るとどーなのだろう? とかね。
(05年12月26日)

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チョコレートゲーム
著者:岡嶋二人
小説家である近内は、最近、息子の省吾が学校に行っていないことを知らされる。そんな時、息子のクラスメイトが何者かに殺害されたことを知り、学校へと向かうのだったが…。
凄く個人的なところなんだけど、この書籍を読むときに私は一抹の不安を抱いていた。というのは、予備知識みたいなものを読む前から色々と仕入れていたためだ。(ギャンブルとか好きならば、名前で予想がつくと思うが)キーワードである「チョコレートゲーム」の意味であるとかは、読む前からわかっていたわけである。ダイイングメッセージが最初からわかっていた作品で大丈夫か? と思っていたわけである。
で、実際に読み終わってみて、なのだが…いや、面白かった。なるほど、確かにダイイングメッセージの意味そのものは最初からわかっているのだけれども、全く問題ない。意味がわかっていながらも、それがどのように事件へと結びついて行くのか? と言う意味での謎でしっかりと引っ張られるし、また、主人公である近内の立場そのものの二転三転具合と言い、上手いことしてやられた、という感じである。文庫本で僅か280頁弱と短い部類に入ると思うのだが、その中でこれだけ引っ掻き回されてしまったのには素直に脱帽。面白かった。
(06年1月24日)

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あした天気にしておくれ
著者:岡嶋二人
3億2000万円の高馬・セシアが不慮の事故で競争能力を失ってしまった。セシアの共同馬主の一人・鞍峰は、その責任の回避を考える。鞍峰の競馬番ともいうべき、朝倉は、鞍峰にセシアの偽装誘拐事件を思いつく。だが、偽装誘拐事件は思わぬ方向へ転がり…。
いや〜…面白かった。
岡嶋二人の処女作とも言うべき作品なんだけど、いきなり物凄くスリリングな作品に仕上がっているのだから。犯人の側から見た誘拐劇。ところが、それがひっくり返って行って…というのは決して珍しいわけではない。でも、人間の誘拐ではなく、あくまでも馬。それも、競走馬は、競馬場で走らせなければ意味が無い。しかも、人間ほど、慎重な捜査が行われるわけでもない。そういう意味で、これまで読んだ作品とは違ったスリリングさがあるし、二転三転していく展開も素晴らしい。この作品で、江戸川乱歩賞を逃した、というのが信じられないくらい。
乱歩賞の選考過程で、このメイントリックが「使用不可能」「先例あり」と出たわけだけど、それがどうした、という感じはする。前者に関しては、あとがきでもあるように、応募当時は「使用可能」ということで、選考委員のミスと言えるし、後者に関しては、それが作品の価値を下げるとは思えないから。実際、このトリックは、私も途中で思いついた。競馬とか、競輪とか、公営ギャンブルをやっている人なら、ある程度思いつくんじゃないだろうか? でも、それが陳腐であるとかは思わないと考えるのだが…。
ま、時代を感じる部分はある。何せ、この作品が書かれた当時は、まだディープインパクトはおろか、ミスターシービーすらデビューしていない時期なんだから(というか、ディープインパクトの父サンデーサイレンスだって生まれてないし)。この後、オグリキャップだとかのブームなんかがあって、別の意味で現在はメイントリックは使えない(というか、使うならもっと大きな話にならざるを得ない)。けれども、話のポイントは全く色あせてはいないわけだ。
いや、これ、本当、面白かった。
(06年1月28日)

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珊瑚色ラプソディ
著者:岡嶋二人
結婚式を挙げるために帰国した里見は、婚約者の彩子が独身最後の旅行で訪れた沖縄で盲腸炎に掛かり入院したことを知らされる。沖縄へと向かった里見だが、彩子は自分の記憶が無いと言う。彩子の痕跡を辿る里見が知ったのは、彩子と共に旅行に来た女友達が行方不明ということ、さらに、彩子が男と一緒だったらしい…ということだった…。
この作品、とにかく全てが謎だらけで始まる。彩子が裏切ったのか? 友人は何処へいったのか? 証言の食い違いは何故か? 様々なところで感じる何とも言えないチグハグ感は何か? 読み進めば進むほど、作中の里見と同じように混乱して行くことになる。そのひきつけ方が実に巧い。
この作品の舞台こそ沖縄の孤島であるが、この作品の背景にある問題は日本各地で現在も起こっていること。発表から既に20年近い歳月が経っているが、この問題は解決されていない…どころか、さらに悪化しているかも知れない。陳腐な言い方ではあるけど、全く古臭さを感じないのだ。
この作品、かなり大掛かりなトリックを用いているのだが、リアリティを考えると、流石にちょっと「?」と思う部分はある。テーマである問題は深刻としても、果たしてそこまでやってしまうか、といわれればいささか疑問が残る。また、物理的にそこまで完璧にできることも有り得ないだろう。そこはちょっと気になった。
とは言え、作品としてのレベルは高いと思う。
(06年3月20日)

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なんでも屋大蔵でございます
著者:岡嶋二人

「なんでも屋」を営む大蔵が出会った数々の事件を語って行く連作短集。
この作品、形としては、主人公である大蔵が読者に対して語りかける、というもの。まず、その中で、この大蔵のキャラクターが光っている。自らを「あたくし」と呼び、語っている中でついつい話が横道にそれてしまう。そんな飄々とした大蔵のキャラクターが何とも魅力的。そんなキャラクターを反映してか、作中の雰囲気も何ともほのぼの。いや、5編収録のうち、3編で殺人が扱われているのだから、よくよく考えればまったくほのぼのとはしていないはずなのだが、何故かそう感じてしまうのだ。これが何とも不思議。
ミステリーとしても、そんなキャラクターに劣らずにきっちりとしている。比較的、地味な事件が多いわけだが、短編らしい切れ味もある。大蔵を始めとした人物描写などの中にさりげなく散りばめられた伏線が、終盤にキッチリと生きている辺りは流石、と思わざるを得ない。
岡嶋二人の短編作品というのは実は初めてなのだが、長編同様、面白かった。

…どうでも良いが、宮部みゆき氏による解説が解説になっていない気がするのは私だけだろうか?(笑)
(06年4月18日)

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タイトルマッチ
著者:岡嶋二人
ボクシングの前世界チャンピオン・最上永吉の息子が誘拐された。事件が起こったのは、最上を破った現チャンピオンに、最上の義弟・琴川三郎が挑む世界戦の2日前。犯人の要求は、「チャンピオンをKOで敗れ」というもの。緊迫の時間が始まる。
岡嶋二人って、誘拐モノの作品には定評があるんだけど、この作品も面白い。誘拐犯を巡って、ボクシングのジム同士の政治的な力関係などの問題といった「舞台裏」的な話。さらには、試合を成立させるためにマスコミを欺き、なおかつ怪我を隠しながら…なんていう駆け引き。そして、終盤の迫力満点の試合と…実に盛り沢山で、しかも、中だるみ無く一気に読ませるところは見事の一言。予め、作品の評判は知っていたものの、期待通りだった。
もっとも、それだけに気になったところが2点。まず、序盤で真犯人が容疑者に入ってもおかしくないのに全く無視されてしまった点。容疑者の圏外になるだけの具体的な理由が欲しかった。もう1つもちょっと関連するのだが、犯人が判明する流れがちょっと単調であるところ。もう一捻り欲しかったかな。
ま、欲張り過ぎるかもしれないけれども。
(06年5月20日)

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そして扉が閉ざされた
著者:岡嶋二人
雄一が目覚めたとき、目にしたもの。それは、正志、鮎美、千鶴の3人だった。それは、3ヶ月前、雄一の恋人が死んだ時以来の再会だった。事故死として処理された咲子の死だったが、母は納得しておらず、彼女によって監禁されたらしい。頑丈なシェルターからの脱出を図りながらも、次々と出てくる証拠に再び、事件の推理が繰り広げられる…。
いやぁ…こりゃ凄いな。
まず、岡嶋二人作品全体に言えることなんだけど、この作品は特にその構成の巧みさが光っている。いきなり、何が何だかわからない状況から始まって、そこに至るまでの過程。そして、3ヶ月前の状況と現在の状況を繰り返しながら、事件のあらましが描かれる。あらかた、事件の流れが把握できたところで、怪しげな品が現れて事件の推理合戦へ…。状況が刻々と変化して…という捻りならばともかく、舞台も登場人物も同じなのにこれだけサスペンスフルにする、という手法に脱帽。
で、後半の推理合戦も面白い。ただでさえ事故として扱われている事件。それぞれにアリバイがあり、しかし、疑おうと思えば全てが疑わしい状況。それぞれ、無罪を訴えながら検証して行く。そして、すればするほど不可能犯罪に思えてくる…。
敢えて欠点を探すならば、締め方にもうちょっとページを割いても良かったかな、と思うもののこれは完全な粗探しのレベル。既に発表から20年近い作品だが、現在でも十分に通用する傑作だと思う。
(06年7月31日)

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どんなに上手に隠れても
著者:岡嶋二人

テレビ番組の収録直前、売出し中のアイドル歌手・結城ちひろが何者かに誘拐される。白昼堂々、テレビ局での誘拐劇。しかも、事件直前には警察への奇妙なタレコミ電話まで! 事件を巡り、それを利用しようとする広告社、芸能プロ、警察の駆け引きの駆け引きが繰り広げられる中、事件は進んで行く。
うん、面白かった。面白かったけれども、一方で、アンバンスさみたいなものも感じざるを得なかった作品、っていうのが一番思った事。
いや、とにかく読んでいる最中は欠点を気にせず一気に読ませてくれる。白昼堂々と誘拐されたアイドル歌手。派手な演出をして捜査員を翻弄する犯人。それだけでも、十分に作品としては面白い。けれども、その事件の一方を受けた広告社は、その事件を存分に利用することを思いつく。警察の制止をよそに、歌手本人の意志とは無関係にどんどん派手に仕掛けられて行く事件。行き詰まる捜査、スクープを狙うカメラマン…と、物凄く面白いのだ。「誘拐事件」そのものは、中盤で終わるのだが、そこから先の駆け引き、人々の動きも面白いのだ。そして、真相は…。
と、最後まで一気に読んだわけなのだが、読み終わってみると「ん?」と思う点がちらほらと。事件そのものは、非常に緻密であり、大胆なもの。それなのに、真犯人が非常に致命的な、初歩的なミスを犯している。素人であっても、このミスはありえないと思うようなものだし、警察が都合よくそれを見落とした、というのもどうかと思うのだ(そもそも、警察が行った方がよっぽど回りくどいものだ)。また、ある人物がカメラマンにリークする理由もよくわからない。「友情」といわれても…。
読んでいる最中は実に面白い。面白いのだが、読み終わってみるとどうも不満が出てくる、というなんとも不思議な感覚を覚えた作品である。

どうでも良いが、講談社文庫版の東野圭吾氏の解説。面白いのは面白いのだ。確かに、その選評には「どうせえちゅうんじゃ!」とツッコミたくなる。同感だ。でも、この作品の解説にはなっていないんですけど…。
(06年9月17日)

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殺人! ザ・東京ドーム
著者:岡嶋二人
南米から密かに持ち込まれた猛毒クラーレ。昆虫写真を撮りに来ていた久松は、ひょんなことからその毒物を手に入れる。その毒の威力を目の当たりにした久松は、自らの鬱屈した思いを晴らすべく、東京ドームの読売・阪神戦へと向かう。そして、超満員のドームで次々と事件が…。
タイトルからしてそうとわかるのだが、東京ドームの完成に合わせて刊行された企画モノ。それだけで時代がわかる、というもの。作中には、当時の王、山村両監督、はたまた選手に篠塚、水野、田尾、真弓、岡田…と、いかにも時代を感じさせてくれる面々が名前を出す。18年という時が経過した現在、コーチやら監督やら解説者で名を見る面々、というのが何とも…。
と、そんなことはどうでも良いのだけれども…、作品全体を見ればかなりサスペンス色が強いという印象。
犯人が誰かはわかっている。犯人がどういう風に行っているのかもまたわかっている。しかし、警察はその動機、方法がわからない。次々と起こる無差別殺人。さらには、それに便乗しようと試みる者。犯人の正体を探り当て、利用しようとする者…。様々な思惑が絡み合って行く様は、お見事。ハラハラ感溢れる展開に仕上がっている。
…とは言え、いかにも物語を上手くまとめるために「使い捨て」のような人物であるとかが多く、まとめ挙げる段階でご都合主義的な部分があるのも事実。この辺りは企画が先に立っていたが故の部分か…。
楽しめたか? ということであれば答えは「Yes!」。ただ、もう少し練り上げられていればより完成度は高くなったのではないか? とも思う。
(06年10月27日)

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眠れぬ夜の報復
著者:岡嶋二人
プロボウラーである草薙は、営業にいったボウリング場であるものを発見する。16年前、自分の家族を殺した押し込み強盗に繋がる手がかりを。時効を理由に、捜査を断る警察に見切りをつけた彼はある事件を起こす。一方、そんな中、警察の裏仕事を受ける「捜査0課」もまた動き出す…。
えっと…岡嶋二人作品というと、シリーズモノなし、と思っていたのだが、「捜査0課」というのだけは例外で、『眠れぬ夜の殺人』からのシリーズ2作目、らしい。どうりで、「捜査0課」の面々についての説明がやや薄いとは思った。
さて、作品としては草柳が、自らの家族が殺害された事件に関する手がかりを手に入れ、犯人捜査を開始するところから始まって、その行動が、波状に広がって行く。犯人がいる、と思い、ある企業を脅迫する草柳。脅迫を受けて、独自に調査を開始する企業。さらに、草柳らの動きを早く察知しながらも、それを泳がせながらあることを狙う捜査0課。
とにかく読んでいて、先が読めない。早いうちから、捜査0課は、草柳の居所を察知していながら、泳がせて工作を続けて行く。これは一体、何がしたいのか? そして、草柳の家族を襲った事件の内容は…? 色々な立場の人々が、それぞれの思惑を持っているだけに、どこへ向かうのかわからずに進んでいく。この辺りは流石。
最初も書いたけれども、シリーズ2作目から読んだだために、それぞれのキャラクターを掴むのに手間取ったのが勿体無かったな、というのはある。あと、終盤がちょっと強引さはあったかな? ただ、それでも流石と思われる作品だった。
(07年2月3日)

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七年目の脅迫状
著者:岡嶋二人
JRA職員の八坂は、義父であり、上司でもある江田川に呼び出され、ある調査を依頼される。それは、JRAに届いた脅迫状。「10レース、1番の馬を勝たせねば、伝染性貧血を広める」というもの。JRAはそれをはねつけたものの、実際に、感染した馬が…。八坂は、日高へと向かうが…。
うーむ…なんていうか、これはまた非常に感想の書きにくい作品だ。非常に絡み合った諸々の要素をキッチリとまとめあげていることは事実。そういう意味では非常にまとまっている作品。けれども、逆にあまりにもキッチリとしすぎているのが難点と思えてしまう、そんな作品。
JRAに届いた一通の脅迫状から始まる物語。背景を探っていくうちに、7年前に日高で流行した伝染性貧血(伝貧)にまつわるある疑惑。さらに、競走馬保険に関する疑惑が次々と浮上。そして、きわめて脅迫者にとって安全性の高い方法を使いながらも、一方で極めて危険性の高いことも同時に行うアンバランスな事件の概要…と次々に謎が現れる。競走馬に関する保険の話であるとか、そういう点で競馬にまつわる薀蓄を盛り込んでいる辺りは、『焦茶色のパステル』であるとか、初期の岡嶋二人作品に通じるものも感じる。
ただ、先も書いたように、あまりにも複雑な関係性が張り巡らされすぎていて、ややもすると人工的な印象を与えてしまうのだ。無駄がない、といえば聞こえが良いが、もう少し遊びがほしいと感じてしまう。
とはいえ、完成度は非常に高い。読んで損のない出来を維持している作品だとは思う。
(07年3月25日)

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解決まではあと6人 5W1H殺人事件
著者:岡嶋二人

次々と興信所を訪れて、依頼をする「平林貴子」を名乗る女性。彼女の依頼は、不可解なものばかり。それぞれの調査結果は繋がって…。
一応、連作短編集、ってことになるのかな?
最初にも書いたように、主人公はそれぞれの探偵たち。その依頼は、奇妙なものばかり。「カメラの持ち主は誰なのか?」「話に出てきた喫茶店はどこなのか?」…断片的にはよくわからない調査ばかり。文字通り、それぞれの主人公の調査内容は「5W1H」になっているのが面白い。
で、この作品の特徴は、その構成になると思う。それぞれの主人公はバラバラ。その奇妙な依頼に首をかしげながらの調査を行う一方、読者はそこから事件の概要を予測しながら読むことに。この構図が面白く、そして、しっかりと、最後にひっくり返してくれる辺りがお見事。
まぁ、、事件としてはどちらかというと地味な感じだし、普通の構成の作品ならば大したトリックでもないのだと思う。ただ、それを構成でカバーして、しっかりとサプライズも用意する、というのは流石だな…と思わされた。

1箇所だけ、技術的な部分で時代を感じる場所があったんだけれども、変な話、その辺りに却って新鮮味を感じた(笑)
(07年6月20日)

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クリスマス・イヴ
著者:岡嶋二人
雪の積もる山中の別荘で行われるクリスマス・パーティ。会場に着いた敦子と喬二が目にしたのは荒らされた室内と、別荘の持ち主の惨殺体。そして、凶器を手に襲い掛かる男の姿だった…。
「動機なんていらないよ。この小説の眼目は<恐怖>なんだ。とにかく、脅かしの連続。それだけでいい。あとはなんにもいらない」と言う本書に対する井上夢人氏の言葉があったらしいのであるが、解説の山口雅也氏同様、「これ以上解説する必要もないほど、簡にして要を得た内容紹介」になってしまっているのが本作。
岡嶋二人作品と言うと、比較的コンパクトな分量でありながら、これでもかと言うめまぐるしい展開と、捻られた結末が特徴だと思っているのだが、本作に関して言えば上の言葉のように、非常にストレート。雪の別荘地で起こる事件。強靭な肉体を持ち、ひたすらに自分たちの命を狙ってくる殺人鬼。その殺人鬼から何とか逃れよう、そして、何とか立ち向かうとする敦子たち。その様がひたすらに描かれている。本当にそれだけである。
この作品に関して言えば、推理であるとか、そういうものは必要ない。ただただ、その様子を、持ち前の描写力、リーダビリティで描く、それがしたかったのだろう。その狙いとしては成功しているのだと思う。
正直、本作に関して言うと、あまりコメントをすることがない、というのが正直なところである。一気のスピード感で描かれるストレートな恐怖作品。そういうものを読んでみたくなった、と言うときには丁度良い作品ではなかろうか。
(07年12月20日)

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脳内汚染
著者:岡田尊司

著者こそ脳が汚染されてませんか? と言って差し上げたい。
ゲーム・ネットなどを攻撃するためならば何でもあり、という形で、各資料、論文の曲解、捻じ曲げがこれでもか、と繰り返される。 
まず、この書では、少年犯罪の凶悪化というものが前提とされている。しかし、犯罪白書などの資料を見れば、殺人や強姦の件数は減っており、それが嘘であることは一目瞭然だ。参考文献に挙げているので、見ているはずなのだが、凶悪化というウソがばれるのを恐れてか、そのデータは隠したままである。そして、変わりに警察の方針一つで大きく数字が変わる少年による傷害事件の件数を出す、という姑息な手段に出る。極めて悪質だ。
これは、他のところにも十分に当てはまる。この書では、様々な論文・調査の引用がされるのだが、日本の実態として一番多く扱われるのは、魚住絹代氏によって行われた大阪、東京、長崎の調査である。しかし、この調査が極めて恣意的なものであり、それを著者はさらに恣意的に用いている。そこを指摘しておこう。
まず、この調査は、中学生とその保護者、計3500名余りに行ったものである。しかし、ここで、回答した生徒が何名で保護者が何名なのかが書かれていない。そして、4章。ここでは、この調査結果を元に、「ゲームを殆どしない」と「ゲームを4時間以上」の比較をして、これでもかとゲームをやる子どものネガティブな側面を出す。しかし、ほとんどしない、4時間以上の子ども、がどのくらいいるのかが記されていない。で、少し調べてみたのだが、NHKの報道によると、この調査で中学生の回答数が約2000名。そして、ゲームを4時間というのはその中の僅か4%に過ぎない。一方、ゲームを全くしない35%、1時間以内42%である。「ほとんどしない」が、どちらかわからないのだが、仮に1時間以内とすれば、全体の77%になる。77%の大多数と4%の極少数で割合の差がこんなにあった、と比較することに意味があるのだろうか?(勿論、やらないの35%と比較したとしても、である)。 また、この調査の質問、例えば「将来に不安を感じるか?」など、どうとでも取れる質問が続き、この調査そのものが信頼に値しないのだ。(参考:せんだって日記さん)
この書の中心として扱われている調査とその扱いに関して述べてきたが、そのほかにも、極めて偏見的なひきこもり論、ニート論、などなど、次々に出てきて、とてもではないが、読むに堪えない。いや、堪えないだけならば良いのだが、これらの偏見により「ひきこもり=犯罪予備軍」のような誤った認識が広がり、彼らをより孤立させる。結果として犯罪に駈りたててしまう危険性さえあるだろう。また、ゲーム以外の検証を全く行っていない点も問題だ。「ゲームばかりが良くない」これは当然だ。だが、それは「ゲームだから」ダメなのか、それとも「何か一つだけしかしないからダメんだのか」などの検証もすべきであるが、一切、そのようなことはされていない。
冒頭、世間を騒がせた凶悪事件などを次々とあげて「これもゲームのせい」「これもゲームのせい」と述べているが、それらについての検証も無い。恐怖を全面に押し出した印象操作、都合の良いところだけを使う手法など、虚偽の論法溢れた書籍といえるだろう。

追記
本書で大きなウェイトを占める「寝屋川調査」を分析した魚住絹代氏の『いまどき中学生白書』を読んでみたが、こちらにも一次資料が無かった。と同時に、書の内容から、かなり偏った調査である、というのも強く感じざるを得なかった。

追記その2
著者は、小笠原慧名義で横溝正史賞を受賞した小説家でもある。で、そのデビュー作『DZ』を読ませていただいた。「残虐なゲームで攻撃的な人間が出来る」と著者は述べているが、この小説も、次々と人が殺害されるなど、非常にグロテスクな表現の多いものであった。また、著者は本書の中で「ゲームをあと5分、10分などとダラダラ続けるのは、麻薬中毒状態になっているから」と述べているわけだが、私は、『DZ』の先が気になってついつい読みつづけて夜更かししてしまった。ゲーム中毒同様、私の脳でドーパミンが大量に出て麻薬中毒状態になっていたことだろう。著者の小説は発禁処分にしなければならないのではないだろうか?
(06年1月20日)

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誇大自己症候群
著者:岡田尊司
自分に誇大な万能感、絶対感、ヒーロー願望などを持つ「誇大自己症候群」。「普通の子」が突発的に起こす凶悪犯罪の背景には、この広がりがある。それは、子ども、若者から社会一般に広がっている…。というようなところだろうか。
特に根拠も無く、他人を下と見て優越感を得る…というのは『他人を見下す若者たち』(速水敏彦著)にある理屈であるが、本書の「誇大自己症候群」も意味としては近いだろう。本人の能力などを超えて万能感などを持つ、というようなことなのだから。そして、その検証などの方法に関しても同じような感想(ツッコミ)を感じた。
まず、著者が言うように「誇大自己症候群」の人間は増えているのだろうか? 自分に根拠の無い自信を持つ、なんていうものは、多寡の差こそあれ、誰にでも持っているものだろう。著者は、多くの事件の事例を出して説明するのだが、こんなものは「増えた証拠」にはならない。しかも、その事例には、著者自信が診たわけでもなく、伝聞を頼りに「こうだろう」と想像しただけのものも多い。
そして、若者に増えた理由が、家庭教育と「アニメ」「ゲーム」など…なんていう辺りもなんだかなぁ…という感じ(ちなみに、ここで絶対に、小説、といわないことがポイント。小説家・小笠原慧としては、そこは譲れないのだろうか? セコいねぇ…)。前半のケースファイルでは必ず、それを入れているが、別に万能感を育む要素は何にでもあるだろう。後半でO・J・シンプソン、マイク・タイソンなどの例があるが、日本の部活動なんて、最悪じゃなかろうか? 学年が1つ上ってだけで、神様扱いされたりするわけでしょ?
そして、そもそも、これが悪いのか? という疑問が出る。書内でも少し触れられているが、根拠の無い自信であろうと、それをプラスに転化させて成功へ繋がることも多い。プラス、マイナスがあるのは当然だが、過剰にマイナスばかりをあげつらうのはどうなのか? 
この書、前半から疑問点はあるが、後半、社会一般に広げると最早、自分でも収拾がつかなくなったのではないかと感じる。社会一般の自称などに対する非常に薄っぺらい解説もそうだし、その「対処法」なんていうのも非常に薄っぺらい。「誇大自己症候群の人にどう対応すれば良いか?」「なるべく相手にするな」って、なんだそりゃ(笑) 勿論、結論は「全ての諸悪の根源は誇大自己症候群!」となる。マハトマ・ガンジーだとか、ビル・クリントンだとか、ヘミングウェイだとかの生涯を差して「こういうはずだ」とか言い出す著者こそ、「万能感」に浸っていないかい?
正直、「なんだかなぁ…」。
(06年7月16日)

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