学校の階段5
著者:櫂末高彰
学園祭まであと数日。天栗浜高校は、山上桔梗院高校との交流が組まれている。そんな中、階段部の部員、井筒は、凪原を応援する生徒たち、さらには、なぜか絡んできた山上桔梗院の生徒と次々と難題が現れ苦悩していた…。
うーん…なんか不完全燃焼。正直、階段レースが殆ど意味を成していないんだよね、これ。井筒&ナギナギの話ではあるものの、階段レースの意味そのものが殆どないし。しかも…、筋肉部も無理やり出しただけ、って感じだからね(そこ?)。
ある意味じゃ、ナギナギを巡る人間関係は上手く描かれているとは思う。実際、いるもんなぁ…こういうある意味じゃ、おもちゃにしているだけ、っていうようなタイプ。ナギナギみたく、自分の言葉を発することが出来ず、その期待に…というので、自分にプレッシャーをかけてしまう…っていう人もね。けれども…それと階段レースが殆ど関係ないんだよね。
ついでに言うと、最後の学園祭のシーンも、なんか、長かったかな? というのを感じる。エピローグと次回以降への伏線なんだろうけど、なんか、本編が終わった後だけに、ここ長すぎると感じてしまった。
まぁ、ナギナギは眼鏡が良い、ってのは、私の最初からずっと訴えてきたことなので、戻ってくれたのはうれしいが(ぉぃ)
(07年5月9日)

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学校の階段6
著者:櫂末高彰
文化祭の一件で、居残り補修をさせられる階段部の面々。それが済んで、練習に戻る幸宏だが、何か気が乗らない。虚無感に襲われる幸宏の前に、転校生・あやめが現れ…。
うーん…なんか、シリーズが続きすぎたかな? 「飽きたんじゃないかな?」っていう台詞があるけど、なんか、それに近いものがあるのかも。
簡単に言うと、物語の規模を大きくしすぎている、っていうところ。もともと、学校の階段を走ってタイムを競う、という極めて馬鹿馬鹿しいものをストーリー化して、当然、反発する学校とかとの対立があって…みたいなものがあったわけなんだけど、非公認とは言え、一応の了承を取れてしまったり…で、広げざるを得ないのかな? と、頭では理解できるけど、それだけ、とでも言うか…。もともと、スキマ産業みたいなものなんだから、それを強引に広げられても…と思ってしまう。
今回にしても、幸宏がスランプに陥ってしまう…というのはわかるにせよ、それを陰謀とかの方と結び付けられてしまうから余計に。と、同時に、今回、初登場のあやめが、キャラクター的に風紀委員の中村と被るんだよね。最初から対立している、っていう構図とかがあったから中村じゃダメだった…みたいな感じで…。
マンガとかでも、長期連載になって話を広げざるを得なくなって…っていうのは多いけど、同じことはラノベでもあるんだな…という変な感想を抱いてしまった。
(07年8月5日)

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学校の階段7
著者:櫂末高彰
生徒会長選挙に出馬することにした幸宏。その行為は、御神楽あやめの支持で固まっていたクラスに困惑を与えてしまう。常にあやめ優位の情勢の中、階段部の面々を中心に追撃体勢に入るのだが…。
「筋肉をバカにするな!」発言に、なんか感動した。ただ、その後の筋肉部の活躍は、ちょっとキレがなかったかな? 毎回、ちょっと使いすぎの部分があるんだろうな…。
うん…とりあえず、なんか話としては、ここで完結しても良かったんじゃないか? 物語としては、選挙戦を中心としてのやりとりで、殆ど階段部関係ない、と言う気がしないでもないけど…でも、ここ一番でレース…ではないけれども、その特技を使った形での戦いを入れたりで、しっかりと作ってきた印象。これはこれでいいんじゃないだろうか。
うん…久しぶりにまっすぐな展開で楽しめたかな。幸宏中心で、物語の展開も、極めてまっすぐだからね。ここ数巻のフラストレーションは多少、緩和された感じ。一方で、なんか陰謀臭いものはまだくすぶってはいるけれどもさ。
ただ、本当、これで物語的には一段落ついた感じなんだよな。これ以上、物語を引っ張ってどうするのか? と言う気がしないでもない。しかも、大げさになり過ぎそうでちょっと怖いし。今回は比較的、良かったと感じるだけに、後が心配になるんだよね。余計なお世話? とりあえず、この巻は素直に楽しめた、と言うことで。
それにしても、今回、実は地味に一番良い仕事をしたのは井筒なのではないかと思う今日この頃。
(07年11月10日)

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午前三時のルースター
著者:垣根涼介
旅行代理店に勤める長瀬は、大手宝石店のオーナーから孫のガイドをするように頼まれる。孫である慎一郎は、長瀬に目的を次げる。その目的とは、4年前、ベトナムで失踪した父の捜索であった。手がかりは、1年前に撮影されたビデオテープ1本。長瀬は、元テレビマンの友人・源内に連絡をとり、調査を開始する…。
第17回サントリーミステリー大賞受賞作。
うん、つまらないとは思わない。序盤からグイグイと引き込まれるし、その後もテンポよく進んで行くので、本当に一気読み出来た。猥雑な、サイゴンの風景であるとかも浮かんで来て、実に魅力的だ。ストーリーの流れ自体は、シンプルなものだけど、慎一郎少年の成長物語的な要素もあってそれはそれで良いし。
ただ、先の言葉と矛盾するけど、サクサク読め過ぎるような…。あんまりにもサクサクと読め過ぎてしまって、軽いという印象が残ってしまう。妨害を受けたときの対処の葛藤、父と会い、真実を知ったときの慎一郎少年の葛藤…そういうものもアッサリと流されてしまった感じがしたのが残念。あと、妨害する側の動機も弱い…というか、やりすぎだろ…って感じだし。
と、欠点は目に付いたんだけど、でも楽しめた。
(05年8月26日)

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クレイジーヘヴン
著者:垣根涼介
心に黒い衝動を抱えながら「普通の会社員」として生活する恭一。しがないヤクザの情婦として美人局の片棒を担ぎながら暮らしている圭子。そんな二人がひょんなことで出会って…。
垣根涼介作品を読んだのは、『午前三時のルースター』に続いて2作目なのだが、こちらもそれと同様にとにかくさくさくと読める。分量は結構あるんだけど、殆ど一気読みだし。
ただ、やっぱり「軽い」印象。『午前三時〜』はそれでも、事件の真相だとかそういうもので話の展開もあったけれども、この作品は全編とおして暴力描写とセックス描写というバイオレンス作品。その作品で、この軽さというのは、あまり良いことだとは思えないのだ。もうちょっとねちっこい描写でも良いと思うのだが。
登場人物に感情移入もしにくいし、展開の起伏もあまりあるとは言い難い。ちょっと欠点が出てしまった作品かな。
(05年9月18日)

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ヒートアイランド
著者:垣根涼介
渋谷のストリートギャング達を束ねるチーム雅。そのリーダーであるアキとカオルの元へ仲間が持ちかえったのは、ヤクザが経営する非合法カジノから奪取された金だった。その金を巡り、ヤクザ、強奪犯を巻きこんだ争奪戦が始まる。
これまで読んだ、垣根涼介作品の中では、一番面白いな。カジノから奪われた金を取り返そうとする強奪犯、松谷組、さらに松谷組から金を奪おうとする麻川組。それぞれが、それぞれの思惑を持って雅を追いかける。その勢力からの包囲網をなんとか掻い潜ろうと策を練るアキとカオル(と雅の面々)。そして、アキが打開策として打ち出したのは…。
「ミステリー」というとちょっと違う気がする。謎で引っ張るタイプの話ではないし。むしろ、それぞれの思惑、駆け引き…そういうものと、二転三転の物語を楽しむものだろう。登場するアキ、カオル、柿沢、桃井などのキャラクターも魅力的だ。
正直なところ、序盤、それぞれの陣営が出揃う辺りまではあまり動きが無く、しかも多い登場人物がバラバラ…という感じなので、欠点と言えば欠点かも知れない。けれども、それぞれが出揃った辺りで一気に話はヒートアップ。そこからはまさに一気読みだった。面白かった。
(06年2月10日)

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ギャングスターレッスン
著者:垣根涼介
チーム解散から一年。柿沢と桃井の仲間にすることを決意したアキ。裏の世界での仕事をするにあたり、柿沢と桃井は、アキの身辺の準備から、仕事にまつわる技術、知識の手ほどきを始める…。
『ヒートアイランド』の続編。先の事件で知り合った柿沢、桃井の元でのアキの生活を描いた作品。当然のことながら、前作を読んでいないと、なかなか物語りに入れない、と。
読んでいて、一番思ったこと。車の薀蓄がやたらと多いな(笑) 警察にいえないような金を狙うギャングとしての「仕事」
なので、逃亡手段としての車の重要性は当然わかるんだけど、なんか、やたらとその薀蓄が多かった気がする(笑) これまで読んだ作品でも、そういうこだわりは感じられたけど、この作品は段違いに多いような…。
ということで、作品全体を通しての感想だけど、なんていうか…アキのレッスンを中心として、桃井・柿沢らの「仕事」についての詳細を描いた話、っていう感じなのかな。アキの身辺調査と、戸籍だとかの整理から始まって、車の取り扱い、銃器の取り扱いと仕入れ、そして…と描かれていく。気さくな印象の桃井と、厳しい柿沢。二人の要求になんとか食らいついていくアキ…、前作から続く作品だけど、前作以上にそれぞれのキャラクターが立っていてより身近に感じられた。と、同時に、前作ではあまり語られなかった、柿沢たちの「仕事」の準備だとかもなかなか面白かった。
ただ、1〜3章は特に、アキが二人から指導を受ける、という描写が多いだけにどうしても淡白な印象が残ってしまう。ある程度は、それを狙ってのものとは思うものの、もうちょっとメリハリがあっても良かったかな? と感じる。桃井の昔の恋人とか、意味ありげに出てきて、「あれ?」という形で終わってしまったりしたし…。まぁ、それだけやっても、実践では緊張でガチガチになっているアキの姿などは面白いのだが。
ある意味じゃ、前作で描かれなかったような部分を描き、さらに続編『サウダージ』へと向かうための「繋ぎ」の物語なのかな? というのを読了後に感じた。次作は評判も良いし、そちらに期待しようと思う。
(07年3月29日)

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サウダージ
著者:垣根涼介
日系移民の子として生まれ、幼き日に日本へと戻ってきた日系ブラジル人の耕一。コロンビア人の売春婦・DDと関係を持ちながら、現金強奪を生業に生きていた。一方、桃井の勧めもあってスポーツジムへと通うアキは、そこで和子と言う女性で出会う。
ということで、『ヒートアイランド』『ギャングスターレッスン』の続編、シリーズ3作目に当たるわけだけど…今回はちょっと毛色が違う作品。形としてはちょっと変わっているけれども、これは一種の「恋愛小説」なのかな? と。
暗い過去を持ち、強奪犯として生きる耕一。かつて、柿沢たちの元で修行をしたものの、その危険性から追放された彼と、直情的で考えなし、奔放なDDのあっけらかんとした関係。「頭が悪い女は嫌いだ」と言いながらDDに振り回され、それはそれで良いと思っている耕一と、自分なりに耕一のことを思っているDD。最初はひたすらに鬱陶しいくらいなのに、だんだんとそれはそれで良い相性だ、と思えてくるから面白い。耕一の台詞じゃないけど、「なんでこうなるんだ?」と思うような感じで。
一方で、アキの方もスポーツジムで出会った和子との関係に悩む。「雅」のリーダーとして、それなりに経験はあったはずなのに、これまで出会ったことのないタイプの女性である和子との関係、さらに自分の「仕事」を打ち明けられないこととあって悩む。『ギャングスターレッスン』の終盤もそうだけど、今回もその辺りに妙なウブさみたいなものが垣間見れて面白い。
そして、そんな両者、さらにDDも加わっての「仕事」へ…。
正直、かなり頻繁に出てくる性描写とかは、ちょっと食傷気味になるんだけど、一見、対照的なようで似た部分のあるアキと耕一、そして和子とDDだとかが良いコントラストになって物語を盛り上げてくれるように思う。結末部分の展開なんかは、ある程度、予想される展開ではあるんだけど、それに文句はないし。濃厚な描写がある割に実に爽やかな終わり方で、妙に印象に残る作品になった。
(07年11月4日)

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ワイルド・ソウル
著者:垣根涼介
1961年、ブラジルへと向かう一隻の船。中には、ブラジルへの移民達が多く乗りこんでいた。希望に溢れる未来が待っている…はずだった。だが、彼らを待っていたのは、ただただ過酷な現実であった。そして、40年あまり…東京へと男たちが集まる。ある目的のために…。
いや…こりゃ面白い。
半ば騙されるような形でアマゾン奥地へと送られた人々。1章、2章でその過酷な状況を描き、そこから外務省、日本という国へ対する復讐劇へ…。序盤、溜めに溜め、中盤から一気にヒートアップという構成は『ヒートアイランド』と同じ。ただ、どちらかと言うと、人物紹介のような形が主で、ちょっと退屈さも残った『ヒートアイランド』の序盤と違って、現地の過酷な状況で溜めに溜める形の今作では全く退屈に感じることは無かった。
勿論、それだけでも面白いのだが、登場人物のキャラクターも良い。実行犯の松尾とケイ。ひたすら陽気で、女好きなケイ。麻薬シンジケートの幹部で、冷静な松尾。そして、ケイの犯行に巻き込まれて行く報道記者の貴子。さらには、脇を固める人々と、それぞれのキャラクターがしっかり立っている。特に、重くなるであろうテーマなのをカラッとした雰囲気に仕立て上げるケイの存在が光っているように思う。
様々な賞を受賞した、というのも納得。文句なしにお勧めできる作品だと思う。
(06年4月17日)

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ゆりかごで眠れ
著者:垣根涼介
リキ・コバヤシ・ガルシア。無政府時代のコロンビア・日系人移民の村に生まれ、ゲリラの襲撃により両親を失った男。混血人のベロニカに引き取られ、貧民街で育った彼は、義兄の死によって彼の率いていたギャング団のリーダーとなり、コロンビアの麻薬カルテルのセブン・スターにまで上り詰めていた…。
…と、説明文を書いたら、何だこりゃ? っていう感じなんだけど、いや、面白かった。
ストーリーは至極単純。麻薬密輸組織の頂点に立ったリキ・コバヤシ。彼がそこまで上り詰めた最大の理由は、「愛は十倍に、憎悪は百倍にして返せ」を徹底すること。組織の者は、どんな窮地に立ったものであっても、必ず助け出す。決して裏切る事はしない。しかし、裏切り者には徹底的に報復を行う。そんなリキに、組織のメンバーは絶対の信頼を置き、強い団結を示す。そんな、気質と、その目的の溜めに、対立するカルテルのボスにはめられた部下を救出するために動く様子を描く。それだけ。
それだけなのだが、その描写が圧倒的。主人公であるリキ、そのリキがひょんなことから養女にしたカーサ。部下であるパパリト、パト、ニーニョ…。そして、彼らに関わってくる元女性刑事の妙子と、悪徳刑事の武田。ほぼ前半を丸々キャラクター紹介に当てているのだけれども、それが全く無駄になっていない。それほど、それぞれの人物が生き生きと描かれている。そして、後半になると、その「愛は十倍に、憎悪は百倍にして返せ」の言葉のとおりに動き出す。それぞれが、楽天的なように見せながら、胸に熱いものを秘めた行動・言動は本当に面白い。
凄くシンプルな構成で、語られるのも「愛は十倍に、憎悪は百倍にして返せ」という一点に集約されるのだが、それを手を変え品を変え、全く退屈させずに貫くのは見事の一言に尽きる。
…と、終盤までは全く文句無しだったのが、締め方がイマイチ。何か、それまでの展開とな終わり方が物凄く残念。そこまでが素晴らしかっただけに余計にギャップを感じてしまう。
ということで、締めが残念なのだが、総合的に見れば当然、良作といえる。
(06年9月29日)

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君たちに明日はない
著者:垣根涼介

『日本ヒューマンリアクト(株)』。規模は小さいながらも、各種業界の大企業とも取引のある企業。業務は、社員へと退職勧告を行うこと。その社員・村上真介は、「何をやっているんだろう…」と呟きつつも今日もまた、職務に向かう…。
ということで、企業の首切り人・村上真介を描いた連作短編集。
実のところ、私はこの作品に関しては2重の意味で裏切られた感じがする。
まず、他の垣根涼介作品とは全く異なった趣であるからだ。これまで読んだ『ヒートアイランド』にせよ、『ワイルド・ソウル』にせよ、アンダーグラウンドな世界観漂う暴力の世界。しかし、本作は暴力とは程遠い。舞台となるのはごくごく普通の企業であるし、登場人物たちも(変わり者はいるけど)ごくごく平凡な人々。そんな人々の思惑と、首切り人・真介の思惑が重なる。
と、なると、真介とターゲットの駆け引きがメインかと思えば、そこでも裏切られた。そういう要素が全く無い、とは言わない。しかし、メインとなるのはそこではなくて、そんな首きりをしながらターゲットである相手に自分を重ねる真介の思いであり、会社・組織、そんなものに対して様々な思いを抱えるターゲットとなる人々の思いだ。その点で文字通り2度、私は裏切られたと思ったわけだ。
それぞれのエピソードで、内情暴露のようなものがあり、鬱屈した思いがあり…と重いテーマを抱えているし、それを相手にする真介の心中も複雑。しかし、それが重くなりすぎずにさらっと読めるのは、垣根涼介作品の持つ独特の「軽さ」が作用しているからだろう。何をしているのだろう…と言いつつも、恋人である陽子とバカ騒ぎをして…と言う辺りがいかにも垣根作品の主人公と言った印象。バイクの薀蓄が出てきたりとか、作品としては異色ながら、そこかしこに「らしさ」が出ている。
各エピソード、そして、全体を通した部分と、実のところ、きっちりと完結した、という感じはしなかった。これは、続編があるのか、それとも…。
(07年2月11日)

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真夏の島に咲く花は
著者:垣根涼介
南国の楽園と言われるフィジー。そこで料理店を営む日本からの移民・良昭。良昭の恋人で、インド系のサティー。サティーのかつての恋人で、フィジアン・チョナ。チョナの恋人・茜。何気ない日常…。
垣根さんの作品らしいと言えばらしいし、らしくないと言えばらしくない、とも思える。なんか、凄く不思議な感覚。
大雑把で楽天的な気質のフィジアン。几帳面な気質のインド系の人々。ちょっと強引で商売上手な華僑。そして、日本人。表面上は、平和に暮らしながらも、そのウラにあるそれぞれの人々に対する複雑な思い。そこに起こったクーデタと、その中で変化していく4人の関係。そんな4人の人間関係が中心に描かれる。
「らしい」というのは、垣根さんの描く人々の様子。楽天的なフィジアンと、そこに移住してきた人々。これまでも、主に南米を舞台にした人々のそれ同様、考え方の違いであるとかが文字通り「らしく」感じる一方で、主人公たちはあくまでも日常を生きている、という辺りに「らしくない」と言う感覚も覚える。ウラ社会があるわけでもなく、大事件に巻き込まれるわけでもなく、あくまでも日常の中での変化(最後にちょっとした事件は起こるけど)。そういう心理描写中心の作品に仕上げてきた、というのが新鮮であり、また、普段とは違ったアプローチだな、というのを感じた。
人種も生活観もまったく違った人々が暮らす世界。そこに流れる微妙な隔たり。普段、それほど気にはしていないけれども、それでもどうしてもそれは横たわっている。そんな状況っていうのは、日本では絶対に感じられないもので、何をおいてもその設定が全てになるのかな、というのは感じる。勿論、それを十分に生かしている、とも思うが。
最も、普段の生活様式、生活観の異なる人々でありながら、恋なんかに関してのメンタリティがまるっきり日本人というのは本当なのか? とか思ってしまうところはある。ただ、それを言うのは野暮かな? とも思える作品に仕上がっているのも確か。
(07年8月1日)

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透明な季節
著者:梶龍雄
ポケゴリこと諸田少尉が死んだ。殺されたらしい。旧制中学の教練指導官として配属された将校。生徒達を徹底的に痛めつけることに嗜虐的な喜びを覚えていた男。事件当時、たまたま近くを歩いていた少年・高志は、その関係で知り合ったポケゴリの妻・薫に惹かれていく…。
えっと…これは「ミステリ小説」なのか? ミステリというよりも、戦時下の東京を舞台とした青春小説、という趣が強いように感じる。
まずこの作品、中心となるのは、少年・高志の日々である。ポケゴリが殺された、という事件からスタートするものの、そこに絡んで描かれるのは、犯人探しや謎解きではなくて、ポケゴリがきてからの日々であったり、その非日常の状態となった高志の周囲であったりする。そして、中盤からは、そのポケゴリの妻である薫に対するほのかな恋心であったり、悪化して行く戦争という事情であったりする。事件は、それを表現するためのアクセントに過ぎないのではないか?
本作を語る上で、やはり外せないのは戦時下である、ということだと思う。諸田少尉という存在自体が、戦争の賜物であるし、高志が見る様々なところに戦争の影が見て取れる。そんな中で、大人の汚さを知り、また、知っている人々が目の前から消えて行く様、寂しさが描かれて行く。事件の真相も戦争あってのものと言えるし。戦時下、という時代設定が巧く生きている。著者である梶氏自身が、戦時中に少年期を過ごした人物だけに、私小説的な要素もあるのかもしれない。
ただ、「ミステリ」として見た場合には弱さを感じざるを得ない。ここまでにも書いたように、物語の中心は高志の成長であり、事件はオマケに過ぎない。終盤、ちゃんと真相は明かされるものの、やや唐突感はぬぐえない。そもそも、主人公・高志が推理したり、謎を解いたわけでもない。その意味で、ミステリとしてのカタルシスは無い。
この作品、ミステリ作品と言うよりも戦時下という時代を舞台にした、時代小説・青春小説として捉えた方が良いのかもしれない。
(06年8月5日)

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これであなたも競馬通!
著者:柏木集保

UHF局の競馬中継の解説でお馴染みの柏木氏の著書。
柏木氏というと、まずは競馬予想、というイメージであるが、馬券検討の考え方などは最後に少し出てくる程度。全体を眺めてみると、世界的な競馬の流れ、調教師・騎手など関係者の仕事、血統などのサラブレッドの歴史…と競馬全般に渡る内容。
具体的な内容に目を移すと、ページ数の関係もあるし、専門書のようなものほどまでは突っ込んでおらずそれなりに勉強した人ならば知っているレベルだと思う。もっとも、だからと言って全くの素人がこれを読んで競馬を始めよう…というには難しいだろう。ターゲットとしては、競馬用語などを覚えもっと色々と学んでみよう…という「脱初心者」を目指す人向けだと思う。

一番最後に、時計を基準にした評価が出てくる辺り、私なんかは、「柏木氏らしいなぁ…」とニヤッっとしてしまったのだが。
(05年5月6日)

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こんな子どもが親を殺す
著者:片田珠美
正直に告白しよう。私は、この書を読み始めて、冒頭2頁で2度ずっこけた(笑)
まず、本当に1行目からの部分。「少年の親殺し急増」というもの。確かに、パーセンテージで言えば、物凄く急増している。何せ、毎年、3〜10件程度だったものが、05年は17件になったのだから。…普通に誤差の範囲だと思うのだが。さらに、そこから続いて、「少年犯罪は増えていない、という議論もある」と言いながら『少年犯罪』(前田雅英著)で増えていると言うから増えているんだ、と結んでしまう。なぜ、前田氏のものが正しいと判断したのか教えていただきたいものである。このように、いきなり「なんでやねん」と言う部分が多いのだ。
本書の構成としては、まず「ひきこもりの親殺し」「母殺し」「優等生の暴走」という3つテーマにそって計8つの事件の流れを整理し、加害者の犯行までの心理的な動きを分析。そして、それらをまとめての提言…という形を取っている。ただ、色々と問題点はある。
まず、8つの事件の分析であるが、これ自体がそもそもかなり偏っているのではないか? という印象を持った。というのは、著者自身が事件現場などで取材を行ったわけではなく、雑誌報道を中心としたメディアによる報道をまとめて事件前後の流れを整理。そこから分析を行っている為である。当たり前のことであるが、報道されたもの、というのはその時点で取材者の主観が入り込む。主観の入ったものからさらに分析を…ということで、本当に正確なのだろうか? また、著者自身が取材を行っていない為、報道で出なかった部分などについて「こういう流れだったのではないか」というような「予想」によって話を展開してしまっている部分も多い。大きく疑問が残る。
次に、結びの部分で著者が訴える「前兆」について、である。著者は「家族構成員の変化」「攻撃性・破壊性の示唆」「部活動をやめた、やめさせられたこと」というものを取り上げる。確かに、本書で示された事件には当てはまる物が多い。しかし、これが本当に一般性を持つのだろうか? 例えば、「部活動」について「部活動をやめたことで、性衝動が昇華されなくなって」と説明するわけだが、部活動は、中学・高校ともに3年夏前後になれば殆どの人が辞めるわけである。途中でやめる、であったとしても、事件とは関係のない生徒が大多数なわけである。「共通していた」としても、それを前兆とミナして良いのだろうか? という疑問は尽きない。恐らく、8つの事件とも、犯人は米を主食にしていたと思うのだが、米を主食にすることが前兆だ、といわれたらどうだろうか?
結論としては「子供に過度の期待をかけるな」というもの。確かに、ここで示された事件はそういう家族関係がある。ただ、穿った見方をすれば、その結論にあった8つの事件を選んだのでは? という疑念が出る。冒頭で、05年の少年による親殺しが17件、というのならば、その17件全てを分析する、という方が意味があるのではないか? 04〜06年にかけての事件が出るのだが、04〜06年の事件の中で著者の言いたい結論に都合の良い8件を選んだ、という印象がどうしても残る。
著者が問題視するのは、母子密着ということであるが、その結果としてモラル低下、キレる少年の増加、などと言う曖昧なものを前提にしている辺りも気になるところだ。キレる、の定義を私は教えていただきたい。
このように、色々と気になる点は多いのだが、私が一番思うのは、このような形で「こうすると子供が殺人者になる」「こういう行動をしたら、事件を起こす前兆」など、子供を過度に危険視し、親を不安に陥れることの害である。「こうすると殺人者になる」という不信感による子育てで親子間の信頼関係など生まれるだろうか? このように不安を煽る、という行為こそが、最悪な結末を呼び込むように思えてならない。
(07年1月30日)

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