掌の中の小鳥
著者:加納朋子
歩行者天国の銀座。僕は4年ぶりに佐々木先輩と再開した。学生時代、苦い思い出のある佐々木先輩に連れられて行ったパーティーで僕は彼女と出会った…。
という形で始り、カクテルの充実した店・エッグ・スタンドを舞台を中心に展開される連作短編集。
加納朋子作品、と言えば日常の謎、ほんわりとした雰囲気。それが作品の特徴だと思う。そして、本作もその基本的な流れは変わらず。
本作の場合、主人公の圭介と、彼女(一応、ここも謎解きになるので伏せておく)が恋人同士…というのが、これまで読んだ加納作品とは違いになるだろうか。理性的で頭も切れるのだけれども、どこか気弱な圭介と、ストレートでさっぱりした性格の「彼女」。中でも彼女の性格が実に魅力的(まぁ…毎度毎度、大きな遅刻をされても困るが)。
本作で印象的なのはプロローグに当たる1編目『掌の中の小鳥』と、2編目『桜月夜』のインパクトが強い。両者の過去を語りながらもしっかりと謎解きが出来あがっている1編目、そして、そこではまだ謎であった「彼女」の名前が明らかにされる2編目という繋ぎ方が実に巧妙。この2編で一気に物語に惹き込まれた。
逆に言うと、その後はいつも通り、という感じになってしまった…という感じで、そこまでのインパクトがなかったのが残念。もう少し、後半のインパクトが強ければ言うこと無しだったのにな…。
(06年11月27日)

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沙羅は和子の名を呼ぶ
著者:加納朋子
10編を収録した連作短編集…ではなくて、短編集。加納さんの作品、というと、連作短編集、というイメージを持っていたのだが、本作については、連作ではなくて、純粋な短編。とは言え、統一されたテーマはあるのだけれども。
「あの時、選択を変えていたら…」という夢想から、現実とパラレルワールドが交錯していく表題作を始めとして、皆、幻想的な事件が起こる。そのうちのいくつかは、ちゃんと現実的な解答が用意されているし、またいくつかは、その不可思議な事件がそのまま余韻として残す。その匙加減が良いと感じさせてくれた。
インパクト、という意味では、収録作中で最も短い『花盗人』かも知れない。何せ、この作品、文庫でわずか5頁。タイトルで1頁を使っているので、実質的には僅か4頁しかない。それで、事件を説明し、解答を残しつつも余韻が残る…というのは凄くインパクトがあった。
加納さんらしさ、を覚えた作品で私が好きなのは『フリージング・サマー』だろうか。従姉妹の留学により、その家に住むことになった知世子の前に現れた少年と、謎の手紙。従姉妹と少年、それぞれの思いが感じられる結末。ちょっぴり哀しいけれども、これで良かったんだ、という結末は「らしさ」が溢れていて好きだった。
シリーズものの割合が多かったり、ということもあって比較的同じような印象を抱く作品の多い加納作品なんだけれども、シリーズ作品ではない本作は結構、新鮮に感じられた。
(07年1月17日)

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月曜日の水玉模様
著者:加納朋子

毎朝乗る通勤電車。いつも、同じ車両の同じ席で幸せそうに眠っている「彼」。曜日ごとに違うネクタイをしている彼と、ひょんなことから知り合いになったことで、彼・萩広海と陶子の周囲には謎が起こっていき…。
まず、読んでいてふと思ったのが、同じ加納さんの作品である『掌の中の小鳥』との比較。どちらも、ふとしたことで出会った男女が中心になって…という話のため、「あ〜…似ているな〜」と感じたのだ。ただ、本作の場合、恋人同士ではなくて、親しいし、萩の方は…という状態。テキパキとして、しっかりとしたOLの陶子と、のほほんとして、いつも笑顔を絶やさない萩という組み合わせのやりとりが、何とも良いコンビになっている、と思う。
と、まぁ、こういう組み合わせでテンポもよく進んでいくのだが、描かれる事件そのものは結構ビター。どちらかと言うと、作品を読み終わるとほっとした、優しい感じになることが多い加納さんの作品にあって、こういう作品は珍しいな、という風に感じる。
ただ、一方で、ちょっと事件が大げさかな? という感じもする。刑事事件とか、ちょっと「日常」からは外れている物が多いというのは気になった。また、連作で、最後にきっちりとまとめて1本の話としても通じるように作り上げる可能さんの作品らしくなく、今回は単発の話が7本、というように感じられた。その辺りもちょっと違うかな? と思った。
勿論、ちょっと違うな、というのは悪いことじゃないし、1本1本の話は良く出来ていると思う。ただ、もう少し、「日常的な話」でも良いな、という風に思う。
(07年3月16日)

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レインレイン・ボウ
著者:加納朋子
高校時代の女子ソフトボール部の面々が再会したのは、仲間だった知寿子の通夜の席。高校を卒業して7年。25歳になった彼女たちは、それぞれ人生の岐路に立っていて…。
以前読んだ『月曜日の水玉模様』の姉妹作というか、続編というか…。ただ、どちらかというと、ほんわかとしたラブストーリーのようなテイストを持っていた前作とは、作品そのもののカラーがまるっきり違い、また、一方でこれを上手く一つにつなげるなんて凄いな…という感想を抱いた。
作品としては、冒頭にも書いたわけだけれども、高校時代のソフトボール部の面々。その面々が、25歳という年齢になった現在の様子を、当時の様子などと絡ませて描く…というスタイル。高校時代を共にすごした面々。しかし、それも卒業から7年という時間を経て互いのやりとりは薄くなり、また、当時からの人間関係もそこへと影響している。そして…と。
正直、序盤は「元ソフトボール部」というつながりだけの関連性で、連作と言っても結構、バラバラな感じが残る。そして、序盤の一編一編は「ミステリー」としての印象も弱い。そころが、終盤の方の作品になるにしたがって、その関連性がどんどんと深くなり、やがて亡くなった知寿子を取りまく謎も絡んできて、着地する。文庫版にある北上次郎氏の解説の出だし「うまいなあ加納朋子」という一文が、これほどピッタリくるものもないだろう。
『月曜日の水玉模様』とは、一応のつながりはあるものの、本作単独で読んでも何の問題もない。ただ、本作の序章として読んでおくことで、作品の味わいがより増すと思うし、また、(偉そうな書き方だが)加納さん自身の成長も感じられるのではないかと思う。
(07年6月5日)

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ぐるぐる猿と歌う鳥
著者:加納朋子
東京の学校で、乱暴者といわれていたおれ、高見森(たかみ・しん)は父さんの転勤で北九州に越してきた。むかつく奴はいるけど、気弱な心、超強気な美少女・あや、それに竹本5兄弟など、色々な奴がいた。そして、パックという変な奴も…。
なんだろうな…作中の8割くらいまでは、非常に元気な少年たちの日々、という感じの物語。上の作品紹介のところにも書いたクラスメイトたちと、ちょっとした暗号を探してみたり、屋根に描かれた空中絵(?)を見つけ、自分たちもまた描いてみたり…。終盤になっても、いかにも「子供らしい」復讐だったりと、少年らしい冒険譚という印象で進んでいく。その中で謎の人物・パックと、そのパックとのやりとりで癒される主人公たちの姿に優しい気持ちにされる。
一方で、謎がつまったプロローグ、モノローグが挟まれて、これがどう繋がっていくのかな? と引っ張り、最後に一気に謎が解かれるのと同時に、パックの生い立ちについて語られる。
この終盤の部分がかなりほろ苦い。それぞれの謎が解け、そして、それをやはり自分たちで克服する前向きな部分。けれども、子供の力ではどうしようもない現実も描かれる。パックが持つ自由な立場、けれども、同時に持っているリスク。ある意味、当たり前のことではあるのだけれども、それをまっすぐに描くというのは、なかなか大変なことだと思う。
このミステリーランドのシリーズは、「本当に子供向け?」と思うようなものも多いのだが、この作品は、そういうほろ苦さを持ちながらも、子供にも読ませたいな、と感じるものだった(まぁ、私が読ませたい、と感じるものと、子供が読みたい、と感じるものは違うんだろうな、とかも思うけどね(笑))
(07年9月15日)

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ガラスの麒麟
著者:加納朋子
学園でも、美しさ、知性…他の生徒の憧れの対象だった少女・安藤麻衣子が通り魔に殺害された。そんな彼女に纏わる6つのストーリー…。
一応、連作短編と言っていいのかな、これは。
正直、この作品を読み始めた段階で、「加納朋子作品だよな?」と言う一種の戸惑いを覚えた。加納朋子作品と言えば、優しい、やわらかい…そんなイメージが頭に浮かぶのだが、本書の場合、まずいきなり女子高生の殺害される場面から始まるため。本作もそんなイメージで読み始めたため、まず、冒頭のシーンのインパクトが強く残った。そして、その後の事件でも、結末としてはともかく、猫の虐待、家の前の死体…など、悪意を感じる事件。その辺りの印象がちょっと違うのだ(そういえば、『コッペリア』も、同じ講談社だったなぁ…編集さんの関係か?)
全編を通して感じるのは、タイトル『ガラスの麒麟』のように、脆く、壊れそうな心。殺された少女・麻衣子の心、それぞれの編に出てくる心、そして、探偵役でもある神野先生の心…。それぞれが、実に脆く、不安定な中、何とか壊れることを免れている状態でいる。その心細い状況が読んでいてハラハラしている。
読んでいる最中、一応の謎は解けたものの、犯人だとかは置かれたまま…というものがあり、それがどうなるのか? と言うところはあったが、それを最後の1編『お終いのネメゲトサウルス』でしっかりとまとめあげている辺りは流石。その脆い心が見える苦しさみたいなものを感じつつも、最後には希望を感じさせてくれる。良い作品だと思う。
(07年10月29日)

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モノレールねこ
著者:加納朋子
ある日、我が家にやってきた猫。デブでぶさいくなその猫につけられていた首輪を介して、ぼくは、タカキと手紙のやりとりを始めた…など、全8編の短編集。
加納さんの作品と言うと、「日常の謎」を扱ったミステリ作品。連作短編。こんな感じのイメージがあるのだけれども、本作は、それぞれ独立した短編集。そして、作品そのものもミステリではないものも。
全編を通して見えてくるテーマは、絆というか、繋がり…というか…。表題作の『モノレールねこ』は、猫の首輪、と言うものを介したやりとりだけだけど、親友としかいえない絆を作り上げる物語だし、他の作品にも親子、夫婦、家族…そんな絆、つながりを強く感じさせる作品が揃っている。ミステリ作品ではないけれども、元々、読了後に「あたたかい」気持ちになれるような作品を書いてきた加納さんだけに、その辺りはやっぱり上手い。
結構、個人的に好きなのは、表題作『モノレールねこ』、主人公がザリガニと言う『バルタン最期の日』辺りだろうか。『モノレールねこ』は、猫(それも文字通りにデブ猫だ)を以前、飼っていたことがある、とか、そういうのもあるんだけどふてぶてしい猫の様子だとかも含めて印象深かった。『バルタン最期の日』は、お人よしな家族の下で飼われることになったザリガニのひとり語りなんだけど、自分を飼ってくれる家族の様子、そして、知らず知らず自分もその中に入っていくザリガニの様子が凄くよかった。
勿論、どれが好きになるか、は好み次第なのだろうけど、私はこの2編が特に好き。
そういえば、この作品、凄く情けない、というか、グウタラなオッサンたちが随分と…。加納さんの旦那さん……貫井さん???(ぉぃ)
(07年11月25日)

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東京ダモイ
著者:鏑木蓮

1947年、極寒のシベリア。日本人捕虜収容所で一人の将校が首を切られ殺害される。それから58年。京都・舞鶴の港で一人のロシア人女性の遺体が発見され、彼女の身元引受人の医師が行方をくらませる。自費出版を手がける出版社の営業・槙野は、シベリア抑留の経験を著した手記を出したい、という老人の元を訪れたことから事件に巻き込まれていく…。
第52回江戸川乱歩賞受賞作。
まず、なかなか上手くまとまっている作品だな、というのが第一。シベリア抑留、というのをメインテーマに、俳句、自費出版なんていうものの世界を交えて物語を展開。いろいろなものの裏舞台を描く、というのは90年代以降の江戸川乱歩賞作品でよく見られる傾向であるが、それを踏まえつつも、キッチリとまとまっている辺りは好印象。
特に、作中に登場するシベリアでの過酷な状況というものの描写が秀逸。横暴なソ連軍。粗末に扱われる日本兵たち。思想教育に、スパイの疑惑……作中に描かれる様子は実に生々しい。第2次大戦をテーマとした作品も、乱歩賞作品には多いのであるが、これだけ生々しさが表現された作品というのは始めてではないだろうか?
と、ここまで褒めてきたのだが、その謎解きのような部分になると失速した、という印象。まず、58年前のトリックが、プロローグを読んだ時点で「これだったら、嫌だな」と思ったものがずばり来て苦笑。そして、終盤の謎解きが、手記の中にある俳句を読んで物証とか無しに「こうじゃないか?」と推理していき、その通りでした、となるだけなのはちょっと辛い。ここがもう少し良ければ…と思う。
でも、十分に乱歩賞受賞作としての水準はクリアしているのではないだろうか?
(06年9月23日)

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NO CALL NO LIFE
著者:壁井ユカコ
従姉妹の航兄と暮らしている女子高生・有海。航兄に想いを寄せながらも、何をするわけでもなく、将来の展望も見えないままの日々を送っていた。そんな時にかかってきた見知らぬ少年からの間違い電話。そして、その電話に引き寄せられるように、有海は春川と出会い…。
個人的に、こういう作品の感想を書くのって凄く苦手(苦笑) どういう風に表現したもんかな…と考え込んでしまう。
ジャンルとしては、恋愛小説…ってことになるのかな。不思議な間違い電話をきっかけに知り合った有海と春川。飄々としていて、あまり良い噂の無い春川。そんな春川に自分と同じような匂いを感じ、少しずつ惹かれていく…。複雑な家庭環境を持った二人。どう見ても「子ども」の持つ甘さ、刹那的な思考しかない。けれども、そんな状況に全てを投入する状況。甘さ、みたいなところは子どもの弱さといえるのだけれども、そこに全力投入できること、それはある意味では強さ、でもある。その結末は決して甘くないわけだけれども…。
いわゆる「青春」モノの作品というのは、それなりに読んでいるわけだけれども、強さと弱さの共存、というのを中心にして切ない形で纏め上げた作品の出来は見事だと思う。面白かった。
…って、全く想っていることを表現しきれておりませんがな(苦笑) こういう作品、やっぱり苦手だ…。
(06年11月26日)

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イチゴミルクビターデイズ
著者:壁井ユカコ

千種いずみ、24歳。平凡なOL3年目。連休で帰省した私は、偶然、立ち寄った母校で古池鞠子を見かけた。そして、数日後、私の家にその鞠子が転がり込んできた。「強盗してきた」という3千万円の大金を持って…。
『NO CALL NO LIFE』は「擦り切れそう(というか、擦り切れてるって)な恋」と言うテーマだったけど、こっちは「ダメダメな恋」とでも言うのかな? 冒頭に書いた紹介文だと、なんかもっとサスペンスな展開とかに感じるけど、そんなタイプの話ではないし。
高校時代、学校へと転入してきた鞠子。並外れた美貌と、色々な噂と、不思議な魅力を持っていた鞠子。そんな鞠子といずみはあることを通して親友になる。けれども、鞠子の言うことは嘘だらけ。そして、もう一人。高校時代からくっついたり離れたりを何度も繰り返しながらも今も続いている一志。浮気性で、甲斐性もなく、現在は劇団とバイトで暮らしているダメ男。何度分かれても、結局、元の鞘に戻ってしまう…。物語は、24歳の現在と、高校時代、17歳を交互に繰り返しながら進んでいくんだけど、そんな派手な物語ではない。ただ、上に書いた鞠子、一志との関わり、人物像が描かれていくだけ。かなり、ダメダメな恋って感じなんだけど、なんか、それを見ていてほっとできるような部分がある。
個人的な経験談から言うと、このいずみたちの田舎の風景っていうのが、私自身のそれと重なる部分が多いっていうのもある。
東京から特急で2時間半。近くはないけれども全くの別世界と言うわけでもない、中途半端な距離感。そんな場所に暮らす高校生の風景。ここで描かれる感情とかが、自分の経験とも重なって、結構リアルに感じられた。この辺り、また、人によって感じ方は違うんだろうけれども…。
この作品の場合、あとがきで著者が「現役の学生さんにも読んでもらえたら嬉しい」とあるんだけど、やはり、少し振り返るくらいの年齢の方が素直に感じられるんじゃないかな? と言う風に思った。個人的な経験とも重なったこともあって、結構、思い入れを持って読むことが出来た。
(07年12月24日)

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とある魔術の禁書目録
著者:鎌池和馬
「超能力」が「一般科学」として認知された学園都市。その学生、上条当麻の部屋に降ってきたのは純白のシスター。「自分は魔術の世界から逃げてきた」というそのシスター姿の少女・インデックスをいぶかしむ当麻の前に「魔術師」が現れて…。
あれ? ここで完結しちゃってない?(笑) いや、シリーズが続いているのはわかっているんだけど、なんか、ここで終わっても違和感無いんですけど(笑) いや、ビリビリ中学生とか、明かに今後のための顔見せっぽいキャラクターはいるんだけれども…。
物語の方は、素直に面白かった。あらゆる「能力」を無効化することのできる右手を持つ少年・当麻。その前に現れた少女・インデックスと、二人の魔術師。インデックスを付け狙う、という二人の目的は…。
テンポの良さと言い、物語の捻り方と言い。何ていうか、「これが物凄い」って言う言い方がちょっとしにくいんだけれども、全体的にバランスが良いな、という感じ。「超能力」、「魔術」に纏わるルールがしっかりと存在して、っていうことで、ただの「凄い人たちのバトル」じゃないわけだしね。
以前、コメント欄でお勧めしてもらった作品だけれども、面白かったです。続編がどうなるのかな? という興味を持って次ぎも読んで見ようっと。
(06年12月1日)

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カタコンベ
著者:神山祐右

洞窟に調査に入ったアタック班が落盤によって閉じ込められた。水没までのリミットが迫る中、東馬は単身、救助に向かうが…。
ストーリーの大半は、洞窟からの脱出劇。水が流れ込んでくる洞窟という状況を舞台にしたスピード感、パニック…なんていうものが最大の魅力だろう。どちらかというと、「ミステリ」というよりは「冒険小説」と言った趣である。
ただ、全体的に見て不満な部分が多すぎる。まず、序盤はあまりにもバラバラに登場人物が現れて混乱を来す。しかも、その中の数名は殆ど話に絡んでこなかったりして意味が無い。中盤、洞窟に閉じ込められたアタック班と救助に向かった東馬、そして合流してからは、比較的安定してくるのだが、今度は過去の事件が絡みはじめる。この事件の扱いがまた厳しい。犯人の動機であるとかは極めて不思議であるし、終盤、謎解きがされても「かなり偶然に頼った」計画になってしまっていて苦しい。洞窟内に閉じ込められた5人プラス東馬の6人が主な登場人物だというのに、殆ど書き込まれていない人物も多い。
最初にも書いたが、スピード感であるとかはあるのだから、下手にミステリ要素などをいれずに、洞窟からの脱出を描いた作品でも良かったのではないだろうか? そうであれば、素直に楽しめたかもしれない。…もっとも、それでは江戸川乱歩賞受賞はできなかったかも知れないか。
(05年6月5日)

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サスツルギの亡霊
著者:神山祐右

フリーカメラマンの拓海の元へ届いた1通の葉書。差出人は、3年前、南極で行方不明となった兄だった。そんな拓海の元へと南極での仕事が舞い込む。
うーん…『カタコンベ』以来の作品だが…。
前作が洞窟でのケイビング、今作が南極と、著者はいわゆる冒険モノとサスペンスを組み合わせる、というのを好んでいるのだろうか? 今作も、同じような感じである。
南極という閉ざされた空間。極限の大地で起こる事件の数々。僅かな人々すらおらず、警察も居ない土地。その中で、人々が疑心暗鬼に陥っていく…なんていう辺りはなかなか面白い。また、その中で行われていたことの真相もなかなか善いんじゃないだろうか?
ただ…やっぱり全体的に見るとイマイチって印象が残る。まず、全体的に唐突と感じる部分がしばしば。例えば、途中、犯人として追われることになる拓海を、ヒロイン(?)の瑶子が匿う、という場面があるのだが…言葉で「いつも憎まれ口を…」とか言われても、それまで殆ど接触していた場面が描かれていなかった気がするのだが。また、最初の殺人のトリックもどうも…。(ネタバレ反転)ブリザード吹き荒れる中、加害者は現場まで単独で向かったわけだが、そこまでやれるものだろうか? そもそも、目撃者も合わせて、こういう環境で勝手にスノーモービルを使用できるのだろうか? 移動手段が限られ、しかもブリザードという極限状態で勝手に抜け出して数キロ離れた中継基地へ…なんていうのは、加害者の命の危険を含めて相当に無理があるように感じるのだが。(ここまで)どうも、全体的なチグハグ感はぬぐえなかった。
前作と比較すれば、と思うが、それでもちょっと…という感じがしてならない。
(06年4月30日)

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なぜ日本人は劣化したか
著者:香山リカ
学力やモラル、さらには、売りにすべきコンテンツ産業に至るまで日本人はいつの間にか劣化してしまった。日本はいつから劣化し始めたのか。どうすればよいのかを考察した書。
というのが、本書を説明した文章になるだろうか。しかしねぇ…というのが、どうしても思う感想だ。
まず、本書では1〜6章に掛けて、いかに日本人が劣化したか、というのを連呼していく。しかし、これがツッコミどころ満載なのだ。
例えば、第1章。著者が雑誌に1200字の原稿を書いたら、編集者から200字で、と訂正を頼まれたという。違和感を感じて、知り合いの編集者に聞いたら「長いと読んでもらえない。200字くらいまでが限界」といわれた。日本人が劣化したんだ。
これだけでツッコミどころ満載なのはわかると思う。そもそも200字くらいが常識、というのの担保は知り合いの編集者の言葉だけしかないわけだ。しかも、どのような雑誌なのか、もわからない。本当にそうだ、というのならば、いくつも編集部に取材をするとか、くらいは必要なのではないか? 著者が「劣化?」という違和感を感じた。知り合いに聞いたら似たような感想・意見を持っていた。劣化は決定だ…という展開のものばかりが連呼されるのだ。以下、いくつか挙げてみる。
企業の不祥事発覚が相次いでいる。これはモラルが劣化した証拠。…本当にそうだろうか? かつてなかったのは、モラルの問題ではなく、隠蔽がより強かった、という見方も出来る。発見されるのは、内部告発などモラルが上がった、とも家用。
テレビゲームの売り上げが伸びていない。そして、中心も「脳トレ」のようなすぐに結果が出るものが多くなった。RPGなどが売れなくなったのは、劣化したからだ。笑わせてくれる。まず、ゲームなどの売り上げなどについては、当然、経済状況との兼ね合いを無視すべきではない。また、脳トレなどの購入層は、これまでのゲーム愛好者とは違った層が多いことも考慮していない。さらに、すぐに結果の出るゲームは、インベーダーゲーム時代から脈々とあるし、RPGなどがムービー優先などでファン離れを呼んだ(と同時に、開発費が膨大になり、種類を作れなくなった)などがある。中心ジャンルの移り変わりを劣化の証拠、と言い出すのは間違いだろう。
05年の衆院選で自民党が圧勝した。日本人が右傾向化している。劣化したからだ。わけがわからない。そもそも、05年の自民党圧勝は、小選挙区制という制度では起こり得る事態(小選挙区制は、その選挙区で最も得票数を得た候補が、その選挙区の議席数を独占する仕組。政党支持率など以上に大きな差となって現れることは珍しいことではない。だから、政権交代が可能とされて導入された、ともいえる)。実際、このときの得票数でも、自民党がこれまでと比較して飛びぬけて多く取ったわけではない。
これらは、ごく一部であるが、かなり強引な展開をしていることはお分かりいただけるだろう。著者は、日本人は劣化したことをまず認めるべきだ、というのだが、このような展開の連続でそれを認めるのは無理な相談である。むしろ、このようなデタラメな議論によって「日本人は劣化したんだ」などという論を強引に進めてしまう著者こそ、劣化しているのではないだろうか?
(07年5月3日)

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わたしはレンタルお姉さん
著者:川上佳美
NPO法人・ニュースタート事務局の活動の一つ「レンタルお姉さん」。そのスタッフとして現場に赴く著者の活動、思いを綴った書。
以前、この活動に関するルポ『レンタルお姉さん』(荒川龍著)を読んだことがあり、そのいくつか疑問とあまり良くないイメージを抱いていたのだが、本書を読む、それがますます強くなった。
まず、先に書いた荒川氏の著書の中で「ニート」と「ひきこもり」の区別すら出来ていない、ということが気になっていたのだが、本書でも全く同じことになっていたのにまずガックリ。「ひきこもり支援」と言う看板を掲げた事務局のスタッフですら、それを混同している、と言う時点でまず大きな減点。「頭でっかちはダメ」とか言うが、初歩レベルの知識がないのは問題では?
その上で感じるのは、この活動の持つ危うさである。本書の3章は、著者が「レンタルお姉さん」になった経緯、そして現在の心境が記される。そこにあるのは、「この仕事に生きがいを感じている」と言う言葉である。「感謝の言葉などは殆ど期待していない」と言うが、「引きこもりの人が自分と喋ってくれたことに喜びを感じた」などの言葉からみてもここに善意があるのは確かだろう。だから、危険と感じるのである。本書でも(控えめに)書かれているが、荒川氏の著書によれば、この活動で、引きこもりの人の部屋へと強引に入る。時に脅迫まがいの言葉で、入寮する、などと言う活動をしているという。これらの強引な行動を「善意」で正当化した結果の暴走、これが起こりうるのではないか? と思えてならない。
しかも、引きこもりの家庭事情などで「こういうのが問題だ」「親が甘やかしている部分もある」などと言うような言説が書かれているのを見ていると、拉致・監禁で提訴された長田塾、引きこもりだった青年を殺してしまったアイ・メンタルスクールとどう違うのか? と言う気持ちすら沸いてくる(この事件については『引きこもり狩り』(芹沢俊介編著)参照)
どうも、私は本書の内容に、この活動の危うさばかりが見出されてならなかった。
(07年12月25日)

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