ルール
著者:古処誠二
終戦間際のフィリピン・ルソン島。既に本土に戦火が及ぼうとするその時、寄せ集めの中隊は、最後の抵抗を試みるための物資輸送を開始する…。
個人的に、これまでも少ないまでもいくつか「戦争モノ」の作品は読んできた。ただ、それまで読んできた作品とは一線を画している感がある。
この作品の感想を一言で言うなら、とにかく生々しい、ということだ。ハリウッド映画のような華々しいアクションがあるわけでも、戦略を巡る虚虚実実の駆け引きがあるわけでもない。この作品であるのは、ただただ過酷な戦場の風景。慢性的な飢餓と戦い、マラリアの熱を騙し騙し進み、いつ襲い掛かるかもわからないゲリラの恐怖に怯える。僅かな栄養を求めてヒルやカタツムリまでも齧る…そんな生き地獄のような状況の描写が続く。そして、そんな状況の中で、「人間の尊厳」が問われて行く…。とにかく、重いテーマで描かれる重厚な作品だ。
最後のどんでん返しはどうかな? という印象が少し残ったのだが、極めて完成度の高い作品であると思う。
(05年10月30日)

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遮断
著者:古処誠二

癌で余命幾ばくも無い老人・真市。その真市のところへ、一通の手紙が届く。その手紙の差出人を見て、ある情景が思い浮かぶ。昭和20年の沖縄。逃亡兵である真市は、赤ん坊を置いてきた、というチヨを伴い、米軍のいるはずの北を目指す。
古処誠二の戦争モノというと『ルール』に次いで2作目なんだけど、やはり、何とも言えない重厚さ、凄惨さと言うものに溢れている、というのを感じる。
物語の構成としては非常にシンプル。主人公・真市、チヨ、そして、途中で加わる負傷兵である少尉。チヨをどうしても連れて行きたい真市の理由。沖縄人を馬鹿にし、逃亡兵である真市を侮辱しながらも北上する真市を利用しようとする少尉。真市もまた、少尉への信頼はなくとも北上のために利用しようとする。そこで繰り広げられるやりとり、そして、過去の出来事。
沖縄戦というと、ひめゆり部隊であるとか、知識としては現地の凄惨さは知っているつもりだが、やはり物語として綴られると重みが全く違う。生き残るために現地の人々から濠を奪う軍。自らを取り繕うこと。様々なしがらみ。そこで何を信じるか…。そして、それらを経験した真市が取った行き方…。
2作しか読んでいないのに言うのも何だが、読み応えのある戦争モノを描く作家だな…と改めて思った。
(06年1月31日)

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未完成
著者:古処誠二

航空自衛隊所属の野上は、調査部の朝香と共に東シナ海に浮かぶ島へと向かう。隊員数41名、島の人々と打ち解けた基地で起こった小銃紛失事件を調査するために…。
古処氏のデビュー作、『UNKNOWN』にも登場する野上、朝香コンビによるシリーズ2作目…で良いのかな? その後は、戦争関連の作品ばかりになったのでシリーズ続編は無いのだが。
この作品で、私は古処氏がこれまでに刊行した「ミステリ作品」3冊を読破したことになるのだが、3作ともに共通した特徴を感じる。それは、全体の8割くらいまでは、トリックは何か? 犯人は誰か? という「本格ミステリ」の形を取っているのだが、そのトリックが判明すると、そこから一気に社会的メッセージの強い作品へと展望を遂げる、という点である。この作品も、そのパターンは完全に踏襲されている。
日本人から見ても、なかなか見えにくく、また特殊な組織として見られる自衛隊という組織。巨大な組織にはびこる事勿れ主義。さらに、日本が過去に犯した出来事…。飄々とした朝香と、生真面目だが人間味溢れる野上というコンビで話を進めながら、伝えるべきメッセージは伝える。ミステリとしてのトリックは、決して意表を突いたものではないのだが、完成度は実に高いと思う。『ルール』『遮断』といった古処氏の終戦前後を舞台にした作品も好きなのだが、こちらのシリーズも私としては続けて欲しいのだが…。

なお、最後のページに書かれたある実在の事件に関しては、自作自演との声も大きい。私の不勉強もあるのだが、どちらが正しいのか判断しかねる。ただ、仮にこれが自作自演だったとしても、作品のメッセージそのものは揺るぎ無いものだと思う。
(06年3月9日)

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分岐点
著者:古処誠二
1945年8月。太平洋戦争末期。日本は、本土決戦を覚悟し、中学生すら勤労動員として様々な作業に借り出されていた。そして、その部隊で事件が起こる…。
アジアの解放、大東亜共栄圏を作り出す。そんな大義名分を持って始められた戦争。連日、連戦連勝が伝えられるものの、物資は確実に減っていき、授業も受けられず、頭の上には敵軍の飛行機が飛び交う。そんな状況の中、勤労動員に出る少年達も戦争に疑問を抱き、現実を知っている兵士たちも薄々はその現実を知る。しかも兵の中でも、現在の為に将来を犠牲にすることに違和感を感じる将校と、負けることはわかっていながらも、綺麗事を述べるだけの将校とは相容れない下士官。そんな中、ただ一人、当初の理想を頑なに信じつづける少年…。それぞれの立場、それぞれの現実、元は同じ理想だったはずなのに、ずれてしまったもの。そこへと至る分岐点…。
作品を引っ張る最大の要因は、少年がなぜ兵士を殺したか。動機という謎を追う、という意味ではミステリー作品とも言えると思うのだが、最後に明かされる真相はちょっと弱いかな? なんか、ちょっと唐突に感じてしまった。ただ、そこに至るまでの過程、様々なことを感じさせてくれる作品であったのは確か。
(06年5月31日)

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接近
著者:古処誠二

サイパンが陥落し、沖縄決戦へと突入しつつある1945年春。国民学校の生徒である弥一は、本土からやってきた兵に協力し、国を守ることこそが皇国民の義務と信じていた。本土の兵を悪し様に言う大人たちを軽蔑していた。そんなある時、防衛召集からの帰りに日本兵同士の争いを目にする。負傷して残された北里、仁科と名乗る上等兵への援助を周囲の人々は厭うものの、弥一は一人、彼等への援助を決意する。
今作、まず読みながら思ったのは、古処誠二氏の他作品との比較である。終戦直前という舞台の中でも、沖縄戦というのは『遮断』と同じ、軍国少年という意味では『分岐点』と同じである。特に、『分岐点』との比較で色々と感じることが多かった。
同じ軍国少年とは言え、『分岐点』の成瀬少年は揺るぎ無い信念を持っている少年。一方、今作の主人公・弥一少年はそうではない。「国を守る」という名の元にやってきた本土からの兵士たち。自分の身近にいた白沢伍長、自分が助けた北里、仁科は「兵士らしい兵士」。そんな彼等を大きく信頼する。しかし、その一方で、大本営発表とは裏腹にどんどん苦しくなってく現状、余裕さえ感じられる米軍の様子。さらには、自分達を裏切るような行為を繰り返す日本兵たち。そんな状況に、揺れ動いていく弥一少年の心。そして、最も信頼していたはずのものが崩れた時に彼が取った決断…。
舞台は極限状態の沖縄であるし、現在とは事情が大きく異なる、というのは事実。でも、この弥一少年の感情に近いものを持つ人は少なからずいるのではないか? 他者が悪し様に言おうと、自分にっとは信頼できるもの。そして、その信頼が崩れそうになればなるほど、自らを鼓舞し、より信じようと試みて行く…。どうだろう?
古処誠二氏の終戦前後の作品も色々と読んできたけれども、個人的には今作が一番好きだ。
(06年7月31日)

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七月七日
著者:古処誠二
1944年6月、サイパン島。圧倒的な物量で日本軍を追い詰めていく米軍。日系2世の語学兵・ショーティも、その最中にあった。日本生まれの両親に、日本の風習で育てられながらも米兵として従軍する彼の目に映るものは…。
作品の形としては、「連作短編集」ということになるのかな? 章ごとに、ある程度、話としてはまとまっているわけだし。
よく、日本の文化であるとか、その行動規範というものが独特ということは言われる。本書の最後に参考文献にも挙げられている『菊と刀』(ルース・ベネディクト著)なんていうのは、そういう話をする上でよく出てくるものだし。実際、戦力差がありながらも、死を気にしない戦い方、そして、玉砕・自害…なんていう思考は研究対象として興味深いものだったのだろうな…というのは容易に想像できる。そんな、日本人に向ける日系人・ショーティの視点が印象的。
冒頭の内容説明にも書いたが、主人公・ショーティは、日系2世。「自由の国」を標榜する米国でありながら、結局は肌の色で差別されてしまう日本人。自分の忠誠を誓うためにも、軍に協力し、戦争に続く。そんな彼の前に現れる日本人。米国を恐れながら、一方で捕虜となることで、今度は日本で生きていけない、という人々。建前であることはわかっていても、日本を救うための戦い、という言葉によって生き、そして、自らの行動もまた、日本的な規範によることを痛感せざるを得ない…。
著者の作品では、『ルール』の中でも、米人パイロット・オースティンの目から日本人の理解不能さ、というのは描かれている。しかし、本作とは違い、あくまでも「理解不能」であるからこその戸惑いであるのに対し、本作の主人公・ショーティは、日本人の考え方も理解できる。出来るからこその、苦悩が生まれる。
ラストシーン、捕虜収容所で純粋な子供たちの願いを護衛兵に伝えられなかったショーティの想いが痛いほど伝わってくる…。
(07年5月11日)

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敵影
著者:古処誠二
昭和20年8月14日、沖縄。米軍捕虜収容所では、間もなく天皇によるラジオ放映がある、との噂が駆け巡っている。そのような中、元軍曹の義宗は、ある人物を探していた…。
うーん…これまでの作品と比較すると、やや焦点がハッキリしなかった、と言うのがまず感じたところかな?
終戦も間近に迫った沖縄の捕虜収容所。多くの将校、兵士が収容され、その数は増えている状況。米軍の扱いは決して酷いものではなく、むしろ、長くいる者ほど健康な状況に近付いている。一方で、非情な命令をした将校に対し、下級兵からの私刑も頻発している。しかし、そんな下級兵たちもまた、一般の人々から恨まれている部分がある。将校たちは、それを避けるため、偽名も辞さない。
「真面目な者、愚直な者から死んでいく」 戦争の現実。その現実は、義宗自らが良く知っている。しかし、それでも自らを偽らざるを得ない状況と、その葛藤の間での苦しみ。そんな中での日々…。
ここのところの古処作品と比較すると、実際の戦闘などがなく、舞台も主に玉音放送後が中心となり、過酷さと言う意味では少なめ。そして、捕虜収容所での日々、風景がその中心になる。上に、色々と書いてみたが、これはあくまでも私が「中心だ」と理解した部分であり、人によっては少し感じ方は異なるかもしれない。最初にも書いたように、この日常の風景が中心となるため、これまでの作品と比較すると、ちょっと焦点が曖昧で、やや読みづらいと感じる部分があった。勿論、その辺りも含めて好みの問題なのだろうが、私は、やや、本作は他の作品と比べると今一歩かな? と感じる。
(07年12月26日)

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幽霊列車とこんぺい糖
著者:木ノ歌詠

2007年7月某日。地元ローカル線に飛び込んで死ぬはずだったあたし・海幸は、絶望を味わっていた。廃線。その現実に打ちのめされていたあたしの前に、彼女・リガヤは現れた。線路の先の廃棄車両に誘った彼女は、「ボクがこいつを『幽霊列車』として甦らせてみせる!」と宣言した…。
うん、なかなか良いじゃないか。二人の心に抱えたものがぶつかっていく一夏の出来事。そんな雰囲気を大事に描いている、という感じで楽しめた。
一人では何も出来ない母を持った海幸。自分の誕生そのものも、そのようないい加減な母の象徴でしかない。そして、祖母の残した「母をよろしく」の言葉。そのプレッシャーに押しつぶされていき、その結果。一方のリガヤにもまた…。
結構、状況証拠のようなもので描かれるから、海幸にしてもリガヤにしても、その抱えているものが何なのか? とかは、比較的予想のつくものだと思う。けれども、その過程が丁寧に描かれていて、その痛み、重みが伝わってくるのは好印象。一夏の出来事、と言うことがかもし出す雰囲気ともマッチしている感じだし。
海幸側の問題の解消の過程がアッサリ…というか、ちょっと性急に感じられてしまった、と言う部分だけが気になったのだけれども、凄く面白かった。良い作品だと思う。
(07年10月19日)

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暗黒告知
著者:小林久三
足尾鉱毒事件の発覚から数年。被害に見まわれた谷中村は、貯水池の底へ沈むことが決まり、反対派住民と執行側の対立が続き、田中正造もその中に身を投じていた。そんな中、地元新聞の記者・藤田は、有力反対派住民の男が裏切ったとの噂を耳にし、話を聞こうと待ち合わせた。だが、「正造にやられた」と残し、男は密室で殺され…。
第20回江戸川乱歩賞受賞作。
いくつか投げっぱなしの部分はあるが、出来は良い。これが素直な感想。
最初にも書いたけれども、作品の舞台は足尾鉱毒事件。被害を訴える農民たちと、それを抑えようとする警察をはじめとする政府の対立。有力反対派住民の死。それは、反対派住民を裏切った男への報復か? それとも、反対派を崩すための警察の策略か? そんな疑念が並ぶ中、警察は事実はどうあれ、それを利用した切り崩しを図る…。文庫で400ページ程度の作品ながらも、それらのやりとり、当時の風俗、そして、密室事件と濃密な内容となっている。
実のところ、最初の密室トリックについては、ちょっと弱い。いくつか「これはどうなる?」と提示された謎がそのまま残ったままであるし。ただ、その後の、「当時だからこそ」のトリックであるとかは、やはり上手い。
作品としてのレベルは高いと感じさせてくれる。
(06年10月17日)

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食卓にビールを
著者:小林めぐみ
短篇8本を収録。 ボケボケのヒロインが行動するたびにUMAが現れ、彼等の行動にツッコミを入れつつ巻き込まれ、事態が進行し、なぜか日常に着地というお約束パターンがしっかりと定着。今回は中篇のあった2巻と比較すると短篇だけなのでかなりあっさりした印象。小ネタの濃さは相変わらずだが。 良くも悪くもこなれてきたように思う。
まぁ、個人的にはもう少しボリュームがあっても良いかな?という感じはするけど。
(05年2月13日)

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食卓にビールを4
著者:小林めぐみ

女子高生で作家で、人妻の主人公が行く先、行く先でUMAと出会って騒動に巻き込まれる(起こす?)シリーズ第4段。
うーん…1篇2〜30ページの短篇集なので、1作1作解説していくのも何だけど…。パターンとしては完成しているからなぁ。偉大なるマンネリとでも言うか。ハチャメチャさと、散りばめられた小ネタは相変わらずピリッと効いているし。
個人的に好きなのは「植林祭編」かな? 勿論、いつも通りの騒動ではあるんだけど、植林、緑化とかいうようなものに対する皮肉みたいなのも効いてるし、オチも笑った。どっちかというと、皮肉の聞いた話って好きなだけに、気に入った。
全体的に見ると、これまで「ボケボケの主人公」と書いたんだけど、今回は結構まっとうだった気がする。その分、周りの環境が馬鹿馬鹿しいんだけど。何だかんだで、このシリーズは追いかけていくんだろうな。
(05年9月14日)

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食卓にビールを5
著者:小林めぐみ
女子高生で小説家で人妻で物理オタクのヒロインの生活を描いたシリーズ第5段。
…なんか、書くことが無いな(ぉぃ) いや、基本的にはいつも通りの話なものでね。ヒロインが、ひょんなことからUMAたちの起こす騒動に巻き込まれて…。と、雰囲気にしても展開にしても、いつも通りのパターン。これが良いか悪いのか、というのは人それぞれだろうけど。
流石にシリーズを重ねているだけあって(単行本は5冊目だけど、それぞれ7〜8本の短篇入り)、ヒロイン以外にも銀河刑事とか、お馴染みの人物が出来ていて、そのやりとりとかもなかなか。個人的にお気に入りは、自分がミステリ好きってこともあってか、銀河刑事の出てくる『食卓にビールを☆クリスマスパーティ篇』が好き。いや、こんなミステリありえないんだけどね(笑)
いつも通りに軽〜い気持ちで手に取るが吉。
(05年12月13日)

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食卓にビールを6
著者:小林めぐみ
女子高生で、幼な妻で、小説家で、物理オタクの繰り広げるSFコメディ第6弾! 11編収録。
…なんだけど…ビックリした。これが「最終巻」なのね(笑) ハッキリ言おう。「最終巻」と内容説明のところに書かれていないと、全く最終巻って感じがしない(笑) 本当に、いつも通りの物語が展開しているだけだから。ついでに言うと、私自身は5巻以降、1年半近く全く音沙汰なしだっただけに、もう5巻で終わりだとばかり…(ぉぃ)
内容としては、相変わらずの超ゆるゆるコメディ。久しぶりだった、ということもあるんだけど、結構、新鮮に読むことが出来た、うん。
今回、一番好きだったのは…『クリーニング編』かな? 「魔法の粉・重曹」の威力、凄すぎる(笑) 『おばあちゃん仮説編』のくだらなさもなかなか好きだけど…。
でも、本当、これで最終巻っての、何か寂しいな。ブログ開設当初から追いかけていたシリーズなだけに。ま、いつでもまたシリーズ続けてくれて結構ですので、小林さん!
(07年7月22日)

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国見発 サッカーで「人」を育てる
著者:小嶺忠敏

高校サッカーの強豪校としても有名な長崎県立国見高校のサッカー部総監督である小嶺氏の著書。その著者が、サッカー部の指導方法などを交えながら、その信念などを語った書といえる。
著書の指導の中心にあるのは、「当たり前のことを、当たり前にする」ということになるだろうか。目新しいことに目を奪われるのではなくて、とにかく自分たちのすべきことをする。そのためには、指導者の側も信念・熱意が必要となるし、また、生徒と対等の関係で無ければならない、と言う。私自身はあまりサッカーに詳しくないのだが、そんな人間でも知っているような有名選手のエピソードなども綴られているので、そのようなところも好きな人には嬉しいかも知れない。
ただ、細かく見ていくと、どうも気になる点も見うけられる。例えば、「公立高校だから、地元の生徒でやるしかない」と著者は言うのだが、中学時代に地元に「留学」してきた選手を「地元」とし、さらに自ら主催する「小嶺アカデミー」などで県内から多くの生徒を集めているなどと言うのが「地元」なのだろうか?(アカデミーでは、国見に入ることを強制しないし、入学するのは6〜7割と言うが、県内全域から集まった有力選手の6〜7割、しかも、何割かは「ここじゃ無理」などと思ってやめるのもいるだろうことを思えば、かき集めてることになるまいか?) 私立の入試免除・学費免除の特待生…みたいなことが出来ない、と言うのは確かにしても、一般入試で入ってくる生徒でやりくりしている普通の公立高校と同列には語れまいて。無断外出で騒動になった日本代表O選手を「まじめな生徒」と擁護するが、「遅刻は許さない」などの著者の言う「人間教育」が出来ていればそのようなことはなかったのでは? 重箱の隅をつついたような指摘かも知れないが、どうも都合の良いところだけを抜き出した感は否めない。最終章の現代の子どもについての部分などは、マスコミなどの意見をそのまま述べているだけのようにしか思えないし。
別に著者の考えが悪い、とは言わないが、特に目新しさを感じる内容でもなかった。
(05年11月30日)

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アルキメデスは手を汚さない
著者:小峰元
女子高生の美雪がその生涯を閉じた。表向きの死因は病死だが、原因は子宮外妊娠によるものだった。美雪の父・健次郎は、娘を妊娠させた男を捜そうと決意し、仲の良かった友人を招き話を聞く。しかし、そんな時、その内の一人の弁当を食べた少年が中毒を起こしたとの連絡が入り…。
第19回江戸川乱歩賞受賞作。
東野圭吾氏がこの作品に大いに影響を受けた、なんて言うことを耳にして読んだのだが、雰囲気としてそれを感じる部分はある。東野圭吾氏の作品、特に初期の学園モノなどには、この作品に似た通じる部分を感じた。
本作のテーマとも言うべきものは、やはり世代間のギャップというものだと思う。主人公は、ハッキリしないものの、物語の進行役とも言うべき存在は、美雪の父・健次郎、刑事の野村、美雪たちの担任教師・藤田と言った面々。つまり、「大人」の側の人間である。事件そのものもさることながらも、少年少女たちとのギャップに戸惑うことになる。
作品全体を通して考えるのならば、先に述べたように次々に主人公たちを交替し、また、謎そのものも、美雪の妊娠、少年の中毒、殺人。密室トリックに時刻表トリック、さらには供述調書風の表記など、目まぐるしく展開することで次々と読者を翻弄していく。一つ一つの謎は弱いながらも、それらを組み合わせての作り方は巧い。
ただし、である。本作の一番大きなポイントが色々と問題を孕んでいる。まず、最大の謎である動機などが、結局、世代間ギャップという一点によって為されている部分。無論、世代を超えて共感できる部分はあるのだろうが、この作品の主人公は、現在の50代の年代ということで、現在読むには多少、違和感を感じる部分があるのではないか? という点。また、その若者像が、当時の「○○世代」なんて言われていた若者像のステレオタイプのように描き過ぎではないか? という点。これは、78年の乱歩賞作品『ぼくらの時代』(栗本薫著)などを読んだ時にも感じたのであるが、世代差、特に世代の特徴(?)をポイントにした作品は、時間の移り変わりに対応しにくいのではないか? と感じるのである(そう言えば、73年の高校2年生が、5年経った78年には大学生。『ぼくらの時代』と丁度、同じ世代になるわけだ)。本作の方が、流行り言葉の連呼みたいなものがない分、読みやすいのは確かなのだが。
最近になって、復刊されたわけであるのだが、現代に読みなおすと果たしてどう評価されるのだろう?
(06年10月13日)

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