エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ教室
著者:佐藤友哉

う〜ん…どうしたものか…。
人肉しか食べることができなくなった少女・砂絵、コスプレをすることで自らのコンプレックスを解消する少女・羽美、イジメの中心にいながら何故か達観している少年・中村、ドッペルゲンガーに自らを取られたと訴える少女を保護した男・王田、そして鏡稜子。
多彩な話のタネ、多くの語り手を駆使しながら物語を膨らませている辺りは巧いし、ちゃんと、それもしっかりとまとめられている。見事といえば見事だ。
ただ、最初の設定の部分を見ればわかるように、そもそもの世界観がかなり特殊なだけにこういうのもアリだとは思うのだが、やはり「ミステリ」として見てしまえば違和感を感じざるを得ない。これでは、何でもアリ、という風になってしまうから。そういう意味では、「破綻している」という評価もあり得るだろう。『フリッカー式』も、それに近いところはあったが、今作はその度合いがさらに増しているように思う。評価は分かれて当然だろうな。

また、作品内のイジメの描写、人食にまつわる描写はなかなかエグいところがある。そういうのが苦手な人にも、あまりお勧めはしない。
(05年5月17日)

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クリスマス・テロル
著者:佐藤友哉

中学生である冬子は、衝動に突き動かされて乗った貨物船で小さな島へと辿りつく。そこで出会った男・熊谷真人にある男を「監視」するよう命じられる。だが、監視中、その男は消えてしまう…。

「問題作中の問題作。あるいは傑作」

とは、本書に書かれた文句であるが、たしかに「問題作」である。
この作品、厄介なのは、物語そのものではない。物語そのものは、まぁ、言いたいことがないわけではないが、成立している。だが、それはどうでも良いのだろう。ハッキリ言えば、物語はその部分の付属品に過ぎない。
著者、佐藤友哉氏の思いはわからないではない。が、それを買わされた方はどうなのか? 言っちゃ悪いが、私には、著者が愚痴っているだけとしか思えなかった。金を払って、著者の愚痴を買わされるのか? 読後、最初に思ったのはそのことである。
まぁ、05年には、新作も出たし、その意味では撤回されたとも言えるのかもしれない。
(05年7月15日)

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鏡姉妹の飛ぶ教室 <鏡家サーガ>例外編
著者:佐藤友哉
ただの1日だと思っていたその日、鏡家の三女・佐奈は大地震に遭遇する。液状化現象で地下へと飲み込まれる校舎。その中で生き残った生徒たちは狂気に染まっていき…。
佐藤友哉にとって『クリスマス・テロル』以来、久々の発刊となったこの作品なんだけれども、なかなか良いんじゃないかな、うん。
地下に埋まってしまった校舎で生き残った生徒たち。普通だと、皆で脱出を…なんだけれども、そこは佐藤友哉作品らしく、そう簡単には行かない。その中に残ることを選択するもの、これまでの作品で出てきた世界で作り上げられた『闘牛(トロ)』とそれを狩る『闘牛士(トレロ)』の壮絶な戦い…まぁ、極端に作られた「妙な人達」の交錯。そして、崩れ落ちる校舎というパニック作品的な要素。それらが巧い事組み合わさっているように思う。これまでの作品は「ミステリ」っていうカテゴリにあったこともあってか、その方向で見て「そりゃないだろう…」的なところがあったわけだけれども、この作品に関しては、そういう部分が無いこともあってか、ストレートに物語を楽しめた。
と言っても、明らかにこれまでの作品と繋がりがあるから、それを知っていないと面白みが半減する部分はあるだろうし、相変らずの後味の悪さだとかはあるから、読み手を選ぶことは仕方が無いと思う。でも、私自身は十分に楽しめた。
(05年7月29日)

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子供たち怒る怒る怒る
著者:佐藤友哉
5篇の作品を集めた短・中篇集。他の作品は、みな講談社ノベルスからの作品だが、これは初の新潮社からの出版。とはいえ、良くも悪くも佐藤友哉っぽい作品だな…っていう感じはした。
自己完結してしまっている3兄妹を描いた『大洪水の小さな家』、幼くして亡くなった少女の遺体の周りで起こる出来事を描く『死体と、』、突如無軌道な殺戮を繰り返す少年たちが描かれた『欲望』、連続猟奇殺人鬼・牛男を巡る賭けにでた子供たちを描いた『子供たち怒る怒る怒る』など…。
なんだろうな…佐藤友哉の作品ってみんな、読了後に妙な感覚に陥るんだよな…。ハッキリ言って、決して文章が上手いとも思えないし、暴力表現・近親相姦・死体愛好などが物凄く安易に使われている。評価しようにも、どう評価すりゃ良いんだろう? とさえ思えてしまう。けど、なんか不思議な感覚で、また次回作を…と手に取っているのは何故か? 自分でも良くわからないんだが…。
こういう言い方が正しいのかもわからないんだけど、佐藤友哉作品ってのは、決して間口は広くないけど、波長の合う人を惹きつけるものがある…ということなんじゃなかろうか? なんか、そんなことをこれを読んでいて感じた。
…って作品そのものの感想じゃないな…これって(苦笑)
(05年10月17日)

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リヴァースキス
著者:佐野しなの
夏休み。目を覚ました俺は、なぜか美少女になっていた。そして、俺の身体には、見知らぬ奴にのっとられていた。トモヨシと名乗るそいつは、交通事故死したものの、この世に未練があって成仏できなかった、という。そして、そいつの未練とは、好きな子とキスをすること。そして、俺に一目惚れ…。
みんな濃いなぁ(笑) とにかく、登場人物にマトモと思える奴が誰もいないのはどーなんだ?(笑) それこそ、デパートの店員さんくらいじゃないのか? この作品でマトモなのは。
短編小説大賞受賞作、ということで、確かに、連作短編、といわれればそんな感じなんだけど、ちゃんと話として一本に繋がっていると思う。てか、それぞれのキャラクターが登場するたびに、そのやりとりが、より強烈な漫才になっていくのはなかなか心地良い。とにかく、そのボケとツッコミというやりとりの良さが売りだろうな、この作品。設定とかは、それほど珍しいわけじゃないんだけれども、そのやりとりの楽しさが光っていた。
まぁ、みんな濃いんだけど…なんか、親父さんが良い味出しているなぁ(笑) 挿絵の頑固親父っぷりと違って、何なの、その純情キャラ?(笑)
いや〜…楽しかった。
(07年8月17日)

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「死」の教科書
著者:産経新聞大阪社会部

平成18年4月から平成19年6月にかけての産経新聞連載記事「死を考える」を加筆修正したもの。
本書を読んでいて、まず感じたのは、章ごとに内容の出来に大きく差がある、と言うことだろうか。全体的に言うと、様々な個別の事例の当事者の声、思いについて綴った部分については非常に考えさせられるものがある。その一方で、客観的データであるとかの扱いは全くダメと言うところだろうか。
本書は、8章構成になっており、第1章が現在の日本人の生死観に関する概論。2章、3章がJR福知山線を中心とした事故・災害とその周囲の人々の思い、4章が自殺、5章が死刑制度、6章が終末医療、7章が葬儀、そして終章が戦争となる。
この中で、内容として良いと思われるのは、2章、3章、そして6章だろうか。事故で身近な人々を喪った者の思い、叫び、実際に終末医療の場で働く人々の抱える葛藤…これらは、人間の死が誰のものなのか。命とは、その尊厳とは何か、について考えさせられる。
同じようなものは、4章・自殺によって身近なものを亡くした人の言葉であるとか、5章での刑務官の葛藤にも見て取れる。ただ、この4章、5章などは、その部分は良いのだが、やはりデータ、統計の扱いには疑問を覚える。例えば、死刑制度に関して、無期刑は「いずれ出てくる」となっているが、実際には終身刑化している、という指摘もある。また、冤罪であるとか、死刑判決の増加と、基準の変化であるとか、そういう客観的に見ることの出来るデータは示して欲しいと感じる。
そして、一番どうしようもないのは第1章。ここでは、生死観の変化、と言うのであるが、ここは常に「今の若い世代は、死が身近にないからおかしくなっている」と言う前提で、「今の若者は命を大事に思わないから、異常な少年犯罪が起こるし、自殺も多い」なんて俗論が綴られてしまう。異常な事件について言えば、件数自体が減少してるし、また、『戦前の少年犯罪』(管賀江留郎著)などに見らるように、昔から大量にある。後者についても青少年の自殺は減少しているのだが(ちなみに、ここで矛盾が生じないようにするためか、第4章の自殺の部分では、自殺者の数で30代以上は年代で自殺者数を出し、それ以下では「生徒・学生の自殺者数が過去最高」などと言う姑息な書き方をしている。大学進学率などが増加して分母が増えれば、数の増加は当然である)。また、7章の葬儀、8章の戦争などで郷土・コミュニティとの関係が語られるのだが、それが薄れることが「悪い」と一貫して書かれている部分についても、議論が分かれるところではないかと思う。
「死について考える」と言うことは、非常に大事なことであるし、また、意味のあることだろうと思う。そして、本書はそのきっかけの一つにもなると思う。ただ、その一方で、注意して読まなければならない部分もあるように思う。少なくとも、これを「教科書」というには抵抗を覚える程度には。
(08年1月4日)

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亡食の時代
著者:産経新聞「食」取材班
「飽食の時代」と言われて久しい。しかし、朝食を食べさせない親、サプリメントだけ、肥満、添加物…「食」が「食」でなくなりつつある「亡食の時代」になりつつある…。という、平成18年1月〜11月に、産経新聞に連載された特集を書籍化したもの。
うーん…読んでいて一番感じるのは「煽り過ぎ」ってことかな?(苦笑) 書かれていることの一つ一つは、確かに重要なことだし、考えるべきことも多い。多いのだが、あまりにも特異な例であるとか、異様な例であるとかを強調しすぎていて、そちらのインパクトばかりが頭に残ってしまう。新聞記事だったから、仕方がないのかも知れないが、もう少し冷静な書き方をしてほしかった。
そのこととも関連するのだが、書籍化するのであれば、もう少し補足的な部分もあってよかったのではないか? というのも感じる。書かれている中に、様々な人々の意見などで「○○な人が増えてきた」とか、「△△な例が多い」とか、そういうものが沢山あるのだが、ここには具体的な数値が書かれているわけではない。新聞の場合は、スペースの都合もあるのだろうが、こうやって書籍にするのであれば、そういうものに関しての補足として具体的な数値であるとかが欲しい。はっきり言えば、これだけでは本当にそうなのかどうかすら怪しい(単に、昔はそうじゃなかったはず、という思い込みだけの可能性だってある)。
ここまでが、書籍の形式を中心とした部分なのだが、その他に気になった点をいくつか。
まず、「食」に関することが様々な点でおかしくなっている、というのが本書の主張なのであるが、その視点に囚われ過ぎている感がある。例えば、15頁。保育園の先生が、落ちた食べ物を「3秒以内なら大丈夫だよ」と食べさせたら親から批判が来た、というのが異様な事のように書かれているけれども、これは異様なことか? 書内の文脈で読むと異様なことのように思えるが、別にこれはおかしいことではないだろう。また、「朝食を抜くと成績が落ちる」とか、「キレる原因は、食生活」なんていうものもあるが、これらも疑問だ。簡単に言えば、食事が原因、ではなくて、生活全体の中の一部分と見るべきだろう。こういう書き方をすると、「食事さえ良ければ…」という風に思えてしまいかねない(それこそ、本書の中で、批判されている「この食品を食べておけば…」と同じ思考だ)。また、155頁からの「キレる子供」に関して言えば、低血糖が原因という説には否定的な意見も多い。そもそも「キレる」って一体、どういうことだ?(「キレる」と言う言葉は、語る人によって定義だとかが異なっている言葉だ)
最初にも書いたが、指摘されている事柄自体は、考えるべきことは多い。多いのだが、あまりにも書き方が煽動的過ぎる。もう少し冷静な議論をして欲しい、と感じる。
(07年4月14日)

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競走馬の科学 強い馬とはこういう馬だ
編集:JRA競走馬総合研究所
「三冠馬ディープインパクトはなぜ速いのか。走ることを運命づけられた競走馬。そのために極限まで鍛えられシェイプアップされた馬体と、装具や馬場の秘密を徹底解剖。"速い馬"とはどんな馬かが分かる一冊。」という宣伝コピーがついているんだけれども、ディープインパクトが強い理由だとかが書かれているわけではない。
この書は「こういうトレーニングをすると、強い競走馬に育つ」というようなアプローチではなくて、競走馬を生物学的な肉体構造、走り方などといったアプローチで見て、その上で、「理想のフォーム」とか、「ペース配分」などというものを考察し、また、そこへ近づけるための工夫(馬具であるとか、健康管理であるとかの方法論)の紹介というものが記される。どちらかと言えば、具体的な話というよりは、一般論的な話と見たほうが良いと思う。
私自身、競馬は好きなんだけれども、血統の歴史みたいなものは知っていても、生物学的にこういう骨格をしていて、筋肉の形がこうで……というところに関しては完全に無知。だから、生物学的なところから、競走馬がどういう風に走っているのか、とかを考えると言うのは実に新鮮で面白いものだった。
ま、読んでいて結構、専門用語…とまではいかないが、細かい数値だとかを示して書かれているので、一般書としての読みやすさという意味ではちょっとマイナスかな? とは思うが、調教師だとか、騎手、競馬評論家なんていう人々が書いた文章とはまた違ったアプローチで見た競馬という視点が面白かった。
(06年6月4日)

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滅びゆく思考力
著者:ジェーン・M・ハーリー
翻訳:西村弁作、新美明夫

現在(と言っても、書かれたのは90年だが)、アメリカの学生達の学力が低下しつつある。特に、論理的思考の基盤となるべき言語能力に関して大幅な低下が見られる。これは、脳の機能、そのものが変容しつつあるためであろう。この傾向に歯止めをかけるために、すべきことは何なのか?
簡単に内容を言えば、こういうことである。が、この書に書かれたことはどの程度まで正しいのだろうか?
まず、著者の経歴であるが、著者のハーリー氏は、「教育心理学専攻。30年間つとめた公立学校およびクリーブランド州立大学を退職し〜」とある。これだけを見ると、「脳」の専門家ではなく、専門は「心理学」と言う事になる。
それで、である。内容に関してであるが、脳に関する記述も多いのだが、「ある調査で、○○という報告がされている」とか、「学者は△△と言っている」のような記述が多く、その調査の具体的内容であるとかが殆ど出てこない。科学的な装いをしている以上、読者としてもそれを判断して考えることが必要であるのに、そのデータは全て著者が握り、読者側はそのデータを元にして著者が考えた話のみ、というのは大きな減点材料と言えよう。(尤も、翻訳者のあとがきによると、本来は15章構成の大作であったものを、ページの都合などにより専門用語などの多い部分を削除して、10章に削減、内容的にも3分の2になってしまったとあり、その削除された部分にそのようなデータがあったのかも知れない。そうだとしたら残念なことである)
結論として出てくる、成長過程に合わせた教育を行う、読み書きなどの重視、様々なことを行って刺激を与える…などに反対する理由は無い。だが、この書を読み、その通りにしたからと言って、脳が正常に成長する(そもそも、子供の脳が違っている、ということすら、この書で証明されてはいない)というような事は言えないだろう。

ところで、この書は私が過去に読んでいた日本のそのような論を訴える書を考える上でも関連性を見出せる。例えば、この著者の別の書は、片岡直樹氏の書の参考文献に挙げられている。この書の中にある、子供に読み聞かせが、言語能力の発達にとって重要で、不充分だと言語能力の低下につながる…というのは、片岡氏の「新たな言葉遅れ」という説に類似性がある。「テレビで自閉症」という岩佐京子氏の説と、この説を複合すると、実に片岡氏のそっくりになるように思えてならない。
また、テレビを見るとアルファ波が優位になり、ベータ波が減って良くない…というような説も紹介されているのだが、こちらも森昭雄氏の「ゲーム脳」理論とそっくりである。ある意味、その辺りを研究する材料としても面白いかもしれない。

こう言っては何だが、この書の中で、唯一、データらしいデータが示されるのは、著者が全国の教師達にインタビューした際に出てきた(個別の)意見くらいである。それらは、皆こう言う。「昔の子供の出来は良かった。今はレベルが落ちている」。果たしてこれはどの程度信憑性があるのだろう? 確かに、第1章で示されているように、学力低下の現実派あるのかも知れない(ただし、これも、公民権運動などが起こっており、人種差別などによる進学率の差などもあった頃と、それが終った頃の比較などがあり、検討の余地がある)が、「昔の子は出来が良かった」などと言う場合、極端な美化などが背景にあることが多い。まして、普通の教師が語る心理学的考察がどの程度信頼できるだろうか? このような部分を強調する、というところは、巷に溢れる「最近の若者はいかん!」という議論の延長線とも考えられる。
(05年4月21日)

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沈むさかな
著者:式田ティエン

元日本代表で、水泳教室のコーチだった父の死から1年。カズは、中華料理店でバイトをしながら暮らしていた。そんなとき、父の水泳教室で知り合った英介と再会する。「プールの事務長だったタムラが、お前の父の死についての話をしていた」という彼の言葉と強引な誘いに、カズはイベントへと足を運び…。
うーん…それほど長い作品ではないのだが、妙に読むのに時間が掛かってしまった。独特の文章、というのもあるんだろうが…。
正直に言うと、この作品、私はあまり評価していない。というのは、この作品、「青春小説」みたいなところを中心に様々な要素を絡めて行くのだが、肝心の主人公・カズに感情移入できなかったから。父の死について英介に語られながらも、あまり乗り気でなかったカズ。しかし、半ば強引につれられていったクラブのイベントで、CPに出会い、ダイビングに出会い、惹かれていく。しかし、一方で、そのクラブが怪しく…と正反対の状況。勿論、両者が対立し、それで迷って…という心情は十分にあると思う。しかし、「きみは…」で語られる文章で、カズの心理描写がないため、全く入り込めなかった。
また、「ダイビングミステリー」というものについても、ハッキリ言って、ダイビングでなければならない理由がない。ダイビングの様子であるとかの描写は良いのだが、あまりそれである必要が感じられなかったのも気になった。他に、主人公・カズに関する終盤のどんでん返しもストーリーのメインとあまり関係がないように思う。どうも、その辺りが気になって仕方がなかった。
なんか、色々と詰め込んではみたもののうまく処理しきれていない感じがした。
(07年4月2日)

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疾走
著者:重松清
広大な干拓地が広がり、「浜」と「沖」による対立構造の残る町。シュウジは、寡黙な大工の父、気弱な母、秀才の兄と暮らしていた。しかし、町に起こった一大リゾート計画と、進学校に進んだ兄のつまずきから運命は狂っていく…。
実は、私にとって、これは初めて読む重松清作品。社会の辛さ、厳しさ、そういうものを描きながらも最後に救いを見せるのが作風と言う風に聞いていたのが、本作については、ただひたすらに辛い、痛い、という感覚ばかりを投げつけられた気分だ。
とにかく、主人公・シュウジを待ちうける運命は過酷の一言。秀才といわれながら、進学校で躓いた兄・シュウイチ。そのシュウイチが壊れた事を契機にして、壊れて行く家族。犯罪に走ってしまう兄。仕事を干され、ぷっつりと消息を絶ってしまう父。酒とギャンブルに溺れて行く母。その皺寄せは、シュウジへと集中して行く。
逆境にあるシュウジの目の前にあるのは、「孤高」を体現したような少女・エリ。しかし、エリそのものも、決して順風満帆とは言えず試練が襲いかかる。そして、シュウジ自身は、と言えば、「孤高」を目指しながらも「孤独」の中で誰かとのつながりを求めてしまう。そして、更なる試練が待ちうける。
家族というのは、血縁関係であり、同時に一番身近な人々の繋がり。兄の事件からシュウジを待っているのは、身近な存在から消えていく、といえるかもしれない。壊れて行く家族、親友だったはずの徹夫、ある種、憧れの存在であったはずのエリ。リゾート開発という中でのものも、町という中での人々の繋がりの破壊であるし…。自分がこうしなければ、と言う後悔を残す中での消失、というのがシュウジにとって最も辛い試練だったのかもしれない。そして、この順番がちょっと違っていれば…などと思わずにはいられなかった。
とにかく、読んでいて爽快とか、そういう作品ではない。決して読んでいて救われる、とか言うことはないのだが、力作であることだけは疑いない。
(06年12月28日)

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流星ワゴン
著者:重松清
会社をリストラされ、妻からは離婚を切り出される。息子は、不登校に家庭内暴力。僕は、「車代」を貰う為に、折り合いの悪かった父の元へ見舞いに向かう。「死んじゃってもいいかなぁ…もう…」そう僕が思ったとき、その車は現れた。5年前に事故死した父子の乗るワゴン。僕は、それに乗って…
重松清作品を読むのは、これが2作目なのだが、この作品を読んで、「なるほど、これが重松作品なのか」ということを知らされた。何せ、以前に読んだのが『疾走』だしね(笑)
この作品、タッチこそ軽妙ではあるものの、描かれているものはかなり厳しい現実。最初にも書いたけれども、「僕」を取り巻く状況は文字通り「サイテーの現実」。その現実へ至った分岐点へとワゴンに乗って向かう。途中で出会った現在の「僕」と同じ年齢の父親と一緒に。そこで見ることになるのは、後で考えると「ここはこうだったんだ」という現実の数々。その時の選択肢を変える事は出来る。でも、現実は全く変わっていない。これって、かなり残酷。
成仏できないでさまよっている状態の案内役・橋本父子の関係。同い年の父親「チュウさん」と「僕」の関係。そんな面々とのやりとりを通して、「変えられない過去」の「やりなおし」を続けて行く「僕」。そして…。主人公の「僕」同様、「なんでそんな残酷なことをするの?」というところから始まった、物語の意味が読むうちにだんだんわかっていく。そして、「僕」が「サイテーな現実」に戻って…。
「とことん厳しい現実を見せつけながらも、最後に一抹の光りを見せる」という評をどこかで読んだのだが、まさにその通り。良い作品だな、と素直に感じた。
(07年3月4日)

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ナイフ
著者:重松清

5編の作品が収録された短編集。
うーん…これまで、今まで読んだ重松清作品は3作目だけど、これまで読んだ中で一番、キツかったかも知れない。収録されている5編、全てが学校、親子関係を描いていて、4編がイジメを扱っている。正直、これまで読んだ作品の主人公たちの置かれた状況って、ニュースとかで考えれば重大な事件ってことになるはず。けれども、ここで描かれたイジメの描写であり、その周囲の描写が物凄く生々しい。そして、身近な話であるが故に、より怖い…というか、嫌な気分になる。
学校の中にある「子供たちだけ」のコミュニティ。そこには、子供たちだけのルールがあり、行動基準がある。そして、そこへは親であろうと、入ることが許されない。入れば、彼らを待っているのは、更なるイジメだけ…。子供自身もキツければ、親もまたキツい。そして、見ている側も…。
で、もう一つ、この作品を読んでいて気分が辛くなったのは、その最後が決して救われたとは言いがたいところ。確かに、それなりに明るい材料は見せているような終わり方ではあるんだけど実際にそうか? と言われれば疑問の残る形が多いし。(例えば、『流星ワゴン』は、主人公が気持ちを入れ替えたことで、状況は変わらずとも救いにはなっていた。けれども、この場合、気持ちを入れ替えたから良い、ってわけじゃない)それが、イジメという問題の最大の厄介な部分なんだろうが…。
短編集であるのに、凄く読んでいて辛かった…と、やっぱりこういう感想になってしまう…。
(07年7月3日)

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砂楼に登りし者たち
著者:獅子宮敏彦
戦国乱世の日本。貧相に見える牛に乗り、若き弟子を連れて諸国を渡り歩く老医師・残夢。そんな残夢が、次々と不思議な事件に出会う。
舞台となるのは、1530年代の日本。山本勘介、明智光隆と言った戦国の武将たちを主人公にし、彼らの前で起こった不可能犯罪(というか、事件)を残夢が解いて行く…という連作短編集。
戦国の世を舞台にした作品、ということで、その検証をする歴史ミステリ…というわけではなくて、あくまでもその時代を舞台にした、本格ミステリ。戦国乱世を舞台にした時代小説に、本格ミステリとしてのそれを加えた、と言えばわかりやすいかな。戦国という策謀渦巻く社会を背景にして主人公たちの前に起こる不可思議な事件。まぁ、それぞれの事件は比較的地味と言えるのだけれども、その時代的な背景の中にしっかりとマッチしていて素直に楽しめた。また、その事件を使い、それぞれの主人公である武将のその後の生涯を説明する…なんていう試みも面白い(まぁ、細かくツッコミは入れられるんだろうけど、あくまでもフィクションとして楽しむ分にはOKでしょ)。4編を含めた後日談もなかなか良かった。
敢えて欠点を言うならば、4編の中で多少、出来不出来のバラツキがあることかな? という点だけれども、それは仕方が無いか…。
なかなか楽しめました。はい。
(06年11月21日)

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犯人に告ぐ
著者:雫井脩介

姿の見えない連続幼児殺人犯を追い、警察が取ったのは、捜査を指揮する刑事自らがテレビ出演し、犯人に呼びかけるというもの。その大役を任されたのが、かつて児童誘拐事件の際の会見で、マスコミと騒動を起こした巻島だった。
いや〜…各方面での高評価を目にして読んだわけだが、期待通りに面白かった。
まず、設定そのものが面白い。姿の見えない、連続殺人犯。自己主張が強い、ということで警察が取った方法は、テレビ番組を使い、挑発を兼ねた対話をする、というもの。
その設定だけでも良いのだが、そこを行う巻島の過去。それを踏まえての、巻島の計算づくの発言の数々とその余韻。さらに、一局にだけ、視聴率を持って行かれている、という状況に対する放送局同士の対立。さらには、個人的な事情もあって、その情報をリークする警察内部の動き。警察、放送局、両者を巻き込んで行われる組織戦。とにかく、グングンと引っ張ってくれる。
ま、これだけ引っ張った割に、最後がちょっとあっけなかったかな? というところはあるものの、些細な問題に過ぎない。十二分にお勧めできる作品だと思う。
(04年12月23日)

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