黒い仏
著者:殊能将之
こういうのもアリだと思う。真面目にミステリを求めている人は怒るかもしれないが、「何でもアリ」が小説の良いところ。こういう作品もどんどん作られるべきだろう。全く問題なし。
…は良いのだが、それをやるのであれば、もっと詳細にまで徹底的に拘って欲しかった。『美濃牛』などの超長篇作品であっても最後まで読ませる事ができるだけの力のある作家なのだから。もっと長篇でも良かったのに…と思えてならない。
ネタの云々は良いにしても、そちらの面が残念だ。
(05年2月19日)

BACK


鏡の中は日曜日
著者:殊能将之

文庫本は『鏡の中は日曜日』のタイトルで、『樒/榁』も同時収録されているが、別々の長編で、単行本としては別々に出たものであるので、感想を書く上で一緒にしない方が良いと思ったので別々にする。で、今回は表題作の『鏡の中は日曜日』。

あんまりネタバレを書くのもどうかと思うけど、石動シリーズの『美濃牛』は正統派の本格ミステリ、『黒い仏』は超変化球。で、今回は…というと…すっかり騙されましたわ(笑) ただ、やられた〜…と思う爽快感はある。しかし、この石動戯作シリーズって主人公が石動戯作というだけで、石動が必ずしも活躍しているっていうわけでもない辺りが、ある意味での魅力なのかも。まぁ、今回は活躍したと思うけど。
相変らず薀蓄というか、パロディみたいなものもたっぷり。フランス文学がどうのこうのとか、はたまた綾辻行人作品のパロディ的な要素があったり(するらしい)と、そっち方面で見ても楽しめるのかもしれない。私はフランス文学なんぞ全くの無知だし、綾辻作品も未読なのでわからないのだが。
まぁ、でも、そんなのが分からなくても、今回は素直に楽しめた。
(05年6月15日)

BACK


樒/榁
著者:殊能将之

文庫本は『鏡の中は日曜日』のタイトルで、『樒/榁』も同時収録されているが、別々の長編で、単行本としては別々に出たものであるので、感想を書く上で一緒にしない方が良いと思ったので別々にする。で、今回は併載の『樒/榁』。

『樒/榁』はタイトルの通り、『樒』と、『榁』の2部構成を取る。香川県のひなびた温泉地・飯七温泉で起きた密室殺人を『鏡の中は日曜日』にも出てきた名探偵・水城優臣が解決する、『樒』。そして、16年後、その飯七温泉にやってきた石動戯作を描いた『榁』となる。
時代を挟んで、同じ舞台・同じ状況で全く違う解決に導くという辺りがこの作品の趣向なのかな? 形としては複合ネタというところかな。これ以上言うと、作品としての面白みを損なうだろうから言わないけど。
ちなみに、今回の薀蓄は和歌。

冒頭部分で、別の作品と書いたし、少なくともそれまではそう思っていたんだけれども、やはり文庫ではまとめて正解なのかも。少なくとも、これをバラバラにして、『樒/榁』を先に読んだら、『鏡の中は日曜日』は全く面白くない。それだけは間違い無い。
文庫版を読む人も、絶対に『鏡の中は日曜日』から読んで欲しい。
(05年6月16日)

BACK


子どもの王様
著者:殊能将之
ヒーローものの番組が大好きで、いつも友達とサッカーなどをしている小学生・ショウタ。そんなショウタに、学校を休みが血で本ばかり読んでいる親友のトモヤは途方もない作り話ばかりする。今日も、残虐非道な「子どもの王様」という話をトモヤはしていた。だが、ある日、ショウタはトモヤの言った通りの「子どもの王様」を目撃し…。
「かつて子どもだったあなたと少年少女のための"ミステリーランド"」の一作として刊行された作品。
殊能将之作品っていうと、石動戯作シリーズの「アンチミステリ」とでも言うような作品が中心になっているんだけど、ジュベナイル向けの作品ということもあって、それとはまた違った印象。勿論、『ハサミ男』とも全く別物。
私がこれを読んでいると「懐かしさ」みたいなものを感じる。学校で友達と、ヒーローものの最終回について喧喧諤諤と議論を交わす。下らないバラエティ番組を見て大笑い。嫌味なオバサンや、口うるさい自治会長。なんとなく、ノスタルジィを感じる人は多いと思う。そして、子どもなりの考えで、親友を助けようと奔走する。ま、本当に小学生の考え方がこうなのか? と言われれば微妙なところで、むしろ、大人向けなんじゃないか? とも思うんだけど。
「大人向け?」という点で言えば、結末部分の後味の悪さも気になる。この辺りも、私は嫌いじゃないんだけど、これが子供向けなんだろうか? といわれれば、ちょっと疑問。子供向けの装いをしながら、それに懐かしさを感じるような世代をターゲットとした作品。そんな風に思えて仕方が無い。
(05年10月24日)

BACK


キマイラの新しい城
著者:殊能将之
名探偵・石動戯作の下へ殺人事件の犯人を解決して欲しい、という依頼が舞い込む。喜び勇んで現場たる移築された古城へと駆けつける石動だが、どうも様子がおかしい。聞けば、事件が起きたのは750年前。かつての城主が何者かに殺害され、その霊が現在の城の持ち主・江里に乗り移っているのだという。気落ちしながらも調査を行うことにする石動だが…。
相変わらず、滅茶苦茶な設定だな(笑)
作品は基本的に、石動とエドガー(江里に乗り移った霊)の視点で進む。その設定だけで、既にツッコミどころだらけ。さらに、石動達は霊なんて信じていないから、全くやる気が無いし、反対にエドガーの方はエドガーの方で、750年前の人間だから現代の日本の風習に疎く、トンチンカンなやりとりを繰り返す。
いや、面白いことは面白い。いつもながらの人を食った石動の活躍(?)に加えて、日本の風習に疎いエドガーの全く年を感じさせない大立ち回りであったりと、飽きさせないものを持っていて、十分に楽しめた。ただ、ミステリとして見たらどうなのかな? というか…。確かに、この結論が一番確かなんだけど…。ある意味、究極のアンフェア?
普通に「楽しめる」作品ではあると思う。ただ、怒る人は怒ると…思う。って、この石動シリーズを読んでる人は、もう慣れているかな?
(06年1月3日)

BACK


空を見上げる古い歌を口ずさむ
著者:小路幸也
「みんなの顔が<のっぺらぼう>に見える」。息子は、そう言った。僕は、「周りで<のっぺらぼう>を見るようになったら呼んで欲しい」と残して20年前に家を出た兄に連絡を取った。早速やってきた兄は、自分もそうであること。そして、昔、起きたことを語り出す…。
第29回メフィスト賞受賞作。
うーん…なるほどね。「懐かしさ、ノスタルジィを感じさせる作品」という話を聞いていたが、まさにそのとおり、という感じであった。
起こったことだけを取り出して見ると、ファンタジーというか、ホラーというか、そんなものになると思うのであるが、語り口調、強調される部分は、紛れも無くノスタルジィである。70年代。パルプ工場を中心にして出来あがっている地域コミュニティ。そこに住む少年少女たち。地域の大人たちともみんな顔見知り。そんな地域で起こった不可思議な事件。そんな中で、事件を調べたり、冒険をしたり…。
先にも書いたが、本作、事件を取り出してその恐怖を強調することで引っ張ることも十分に可能だろう。しかし、本作は敢えてその方向には引っ張らなかったのだと思う。結果、この作品ならではの独特の作風が出来あがっているように感じられる。(私は、そんな世界に住んだことは無いのだが)何と無く懐かしさを感じさせる、という作風は実に貴重だと思う。
もっとも、終盤、まとめかたについてはやや性急さ、強引さみたいなものを感じた。その辺りが少し残念。
(06年11月30日)

BACK


東京公園
著者:小路幸也
北海道から上京してきた大学生・圭司。友人であるヒロと同居し、亡き母がやっていた写真家を目指し、公園に出掛けて家族の写真を撮っている。そんなある日、ひょんなことで知り合ったサラリーマン・初島から、妻と娘を尾行して、写真を撮ってほしい、という依頼を受けて…。
なんていうか…ミステリーと言えば、ミステリーなんだろうな…この作品。ただ、ミステリー、という印象は物凄く希薄。
初島から、妻の写真を撮ることを依頼された圭司。都内各地の公園に向かっては、二人の写真を撮影する。どうやら、二人は圭司の存在に気づいている様子。しかし、言葉はない、不思議な関係。そして、その尾行&撮影が圭司を取り巻く人間関係にも波及していって…と。
なぜ、初島の妻は圭司の存在に気づいていながらも、何も言わないのか? がメインの謎とは言えるものの、同居人・ヒロや圭司の姉、富永の圭司に対する思い、やりとり…ある意味では人間関係が複雑ともいえるんだけれども、それぞれがそれぞれを想っている…というのが素直に描かれていて、凄く温かい気持ちになれた。実際に、こんな風になれば、ドロドロしちゃうんだろうな…とか、嫌なことを思ってしまうのは私の悪い癖(笑) 素直に受け取るのが正しい読み方だろうな(笑)
あと、個人的には、作中に出てきた様々な公園の風景が印象的。作中に出てきた公園で、私が言ったことのある場所は日比谷公園と井の頭公園だけなのだけれども、それぞれに個性があって違った味わいがあり、それを思い出した。あんまり積極的に、こういう公園とかには行かない私なのだが、たまにはそういうところを散歩してみようかな…なんてことも感じた。
丁度、この前に読んでいたのが、人間関係の入り組んだ重厚な作品だっただけに、より、この作品の爽やかさ、というのを強く感じた。
(07年5月17日)

BACK


そこへ届くのは僕たちの声
著者:小路幸也
幼い頃、震災によって母を喪い、父は今でも意識不明で入院中の少女・かほり。彼女は、ときどき「空耳」が聞こえる、という特異な体質を持っていた。そんな彼女は、同じく震災で母が意識不明になり、そこから奇跡的な回復をした経験を持つ同級生・リンの所属する天文クラブへと入会する。一方、新聞記者である辻谷は、全国で「不思議な誘拐事件」が起きていること、植物状態の人に奇跡を起こす人がいるという噂を追っていた。双方に共通するのは「ハヤブサ」…。
冒頭から、回顧録のような形で物語が始まり。視点もかほり、辻谷をはじめとして色々と変化しながら展開。なかなか凝った構成。冒頭の部分で、何と無くの部分はわかるのだが、そこに何があるのかわからない。そして、次々と現れる不可思議な謎…。読んでいて感じるのは、「優しい話だな」ということだろうか。
不可思議な誘拐事件にしても、独特の雰囲気を持った少年・葛城やリンにしてもそうなんだけど、何かあるんだろうな、というのは感じる。でも、良くわからない。そんな不安定な状態で物語が展開するのだが、なぜかそこに「悪意」というか、「悪いこと」という雰囲気は無い。何か、善意を持って謎を作っているんだろうな、という安心感を感じる。その雰囲気がまず心地よい。で、その心地よさが、謎が解けたあとの展開にもあふれている。「子供には不思議な力がある」という台詞じゃないんだけど、特殊な力を持った子供たちの一途な思いと、そんな子供を守るのが親の、大人の務め、と言う大人たち。その信頼関係がすごく綺麗に描かれている。
結末としては、完全なハッピーエンドというわけではない。けれども、すごくさわやかな後読感を得ることが出来る。良い作品だ。
(07年7月9日)

BACK


HEARTBEAT
著者:小路幸也
アメリカ留学中の紆余曲折を経て、日本へ帰国した僕は、10年前のヤオとの約束を果たすため、母校の前へとやってきた。だが、そこにヤオは現れず、替わりに現れたのは夫を名乗る男。そして、3年前、ヤオが失踪したことを告げられる。一方、大きな館にすむ少年・裕理は、亡くなったと言われていた母の幽霊騒動に巻き込まれ、友達のエミィ、ハンマと共に調査を始める…。
この作品で、小路氏の作品を読んだのは、4作目なのだけれども、それぞれ、独特の雰囲気を持ったファンタジー作品を書く作家だな…というのを感じる。「ミステリ・フロンティア」の中の作品らしく、行方不明となったヤオの捜索、幽霊騒動の調査という二つの視点で話が進み、やがて結びついていく…という展開は、極めてオーソドックスなミステリ小説のそれ。けれども、この作品の中に作られたファンタジーとしての要素が、そのオーソドックスなミステリ作品をちょっぴり哀しく、けれども清清しい物語に仕立て上げているように感じる。
大人である「ぼく」のヤオとの関係。アメリカへ渡っての哀しい事件。子供である裕理の母に関する出来事。そして、二つの物語の共通点。悪意やら何やらはあるものの、全てに共通する一途な愛情とでも言うか、そういうものは、凄く優しい気持ちにさせてくれる。
ファンタジーとしての仕掛けの部分は、ミステリとしてのサプライズもあるのだけれども、そこに至るまでの描写の部分が非常に巧いと感じる。ただ読んでいるだけでわかるのは、小説として不要なところを省いただけ…と感じるものが極めて大きな意味を持っていた。この辺りの緻密さはかなり好き。
まぁ、それでもいくつか投げっぱなしかな? と感じたところはあるものの、他の作品同様、優しい気持ちになれる作品だな、と感じた。
(07年8月22日)

BACK


高く遠く空へ歌ううた
著者:小路幸也

丘の上の街。高く広い空が見渡せる街。僕は、春の合宿へ向かう途中、死体を見つけてしまった。これで10人目。少年・ギーガンと周囲の人々を描いた作品。
小路氏のデビュー作『空を見上げる古い歌を口ずさむ』と、登場人物であるとか舞台は違うのだけれども、世界観をともにする姉妹作とでも言えば良いのだろうか。雰囲気であるとかも似ている。
4年前、ふとしたことで片目を失い、それ以来、感情表現も上手く出来ない主人公・ギーガン。ギーガンの片目を潰してしまったことが心に残る少年・ルーピー。ギーガンの学校の優等生、柊先輩。ギーガンのクラスメイトで野球チームの仲間・ケイトに誠…。事件と言えば事件は起こるんだけれども、そんな少年たちの日常の描写、彼らの周りの大人たちとのやりとり…なんていうものがメインだろうか。物語の主軸とは関係がないような部分が多く、ある意味では冗長と感じる部分もあるかも知れないが、このやりとりによって描かれる少年たち、街の様子が前作同様に、非常に温かで、心地よく感じる。
本作の場合、終盤の急展開については、別に構わないのだけれども、ただ、そのまとめの部分で明かされるものが結局、前作の中で開かされた部分を繰り返しているだけ…というような点はちょっと気になった。結局、前作で明かされなかったものは、そのまま今作でも謎として残ったままなだけに…。
ただ、それでもユウイチの言葉。そして、ギーガンの変化…なんていう辺りに、少年の成長と言う面を見出せ、ちょっと哀しい、けれども、爽やかにまとまっているので後読感はすごく良い。これが小路氏の作品の魅力だと思う。
(07年11月1日)

BACK


Q.O.L.
著者:小路幸也
『殺し屋』の父が死んだ。遺したものはクラシックカーと拳銃。父の遺産を取りに、龍哉は、同居人の光平、くるみと共に函館へ向かう。それぞれに想いを秘めながら…。
何ていうか…物凄く意外な展開をする物語で、ちょっと驚いた。
龍哉の父の残した拳銃を運ぶ。そのことに、光平、くるみは一緒に旅をすることを決める。二人とも、過去に対する想いがあり、殺したい相手がいる。そんな3人の思いを秘めながらの道中…と言う作品ではあるんだけど、それが中盤にアッサリと崩れてどんどん意外な方向へ行くものだからビックリ。そして、の結末も…。
正直言うと、かなりご都合主義にも思える部分はある。あるんだけど、不思議とそれがこの作品の読了後の心地よさに繋がっているのが面白い。その事件の結末と、その背景にあった狙い。その仕掛けが明かされた結末は、他の小路作品同様に実に気持ちの良いもの。そして、最後に「全て仕掛けられてたのでは?」と言うような文章があるんだけど、それはそれで良い、と感じる。こういう方法もあるのか、と、読んでいて良い発見になった。
欠点をあえて言うならば、序盤がちょっと冗長かな? と言うところ。物語が動き出す前に、光平、くるみが、それぞれの過去について語る部分があるのだけど、動き出す前だけに、ちょっとこれが長く感じた。この辺りの過去の物語の挿入の仕方がもう一工夫されていれば文句なしだったと思う。
でも、本当、読んでいて気持ちの良い作品なのは間違いない。
(07年12月24日)

BACK


ホームタウン
著者:小路幸也

幼い頃、両親が殺しあう、と言う壮絶な過去を持つ僕。今は百貨店の「特別室」で、調査員のような仕事をしている。そんな僕のところへ届いた一通の手紙。それは妹からの「結婚する」というものだった。同じ傷を持ちながらも、祝福の気持ちを抱くそんなとき、妹のルームメイトから、妹が失踪したことを知らされる…。
物語の展開としては、比較的シンプルで、失踪した妹、さらにはその婚約者を探しながら、僕自身の過去も関わっていく…と言う形。
両親を壮絶な形で喪った柾人。「人殺し」の血が流れている、ということに恐怖し、また、自分が家族を持つことにも恐怖する。実際、調査の仕事を通じて人を死に追いやってしまったこともある。それは、妹も同じ。妹は、何故、結婚を…。そして、何故消えたのか…? 事件か、自分の意思か…。これまで読んだ小路作品は、どちらかと言うと、事件と言っても「当人にとって」みたいな部分が多いのだけれども、本作は珍しく大きな事件。暴力団が絡んだり、なんてこともあって珍しく「生臭い」臭いのする作品になっている。
実際、そういう経験をしてしまったら負い目もあるだろうし、まして、今もまた…というのがあるだけに、僕の気持ちは良く伝わる。しかし、その一方で、カクさんや、草場さん、婆ちゃん…と言った面々の視線を無視している(気づかない)辺りにもどかしさ。普段と違い、生臭い雰囲気を醸しながらも、やはり小路作品だな…と感じさせてくれる。そして、妹の思っていたこと…もまた…。
とにかく、印象的な存在は、婆ちゃん。柾人が実質的に息子を死に追いやったことを知っているだろうが一緒の家に暮らし、「腹にためていることを出すといい。それを黙って聞くのは年寄りの役目」と温かく見守る。この人の存在だけでも、柾人の心がどれだけ軽くなっているのだろう…と感じる。
比較的、地味な印象だけれども、きっちりと纏められた佳作じゃないだろうか。
(08年1月28日)

BACK


消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿
著者:翔田寛

ご一新から間もない明治6年。横浜の外国人居留地に暮らす医師・ウィリスと、その友人の新聞記者・チャールズ。彼らの耳へと次々と事件の話が入ってきて…。と言う連作短編集。
まず、読んでいて思ったのは、この時代設定、そして主人公たちの立場と言う設定が、非常に絶妙なところを突いているな、ということだろうか。
まだ「武士」などの身分制度の面影が残る明治初期。外国人による治外法権と言う制度が存在し、日本へやってきた外国人たちもまた、日本の風習に溶け込んでいるとは言い難い。そんな時代背景を持ってきた辺りの絶妙さがまず何よりも光る。
作品の形としては、ウィリスが耳にした事件について、ワーグマンが直感を働かせ、そして推理し…と言う手堅い短編ミステリと言う印象。事件のトリックであるとかに関して言えば、比較的、地味と言う印象は拭えないものの、時代設定の妙と合わさって非常に味わいある作品に仕上がっている。
急激な時代の変貌の最中にある日本。そんな日本の様子を、第三者の目で映し出す、と言う形そのものが面白く、しかも、それはただ「物珍しいものを見る」というようなものではなく、あくまでも一つの文化として認めているウィリスとワーグマンの視線の温かさが感じられる。
派手さのある作品ではないが、しっかりと描かれた良質の短編ミステリだと思う。
(07年11月23日)

BACK


影踏み鬼
著者:翔田寛

狂言作者は語る。若き日、自分が師匠から聞いた誘拐事件の顛末を。それは、浮浪人の言葉から始まる。ある商家で、若旦那の息子が誘拐された。そして、身代金500両が要求される。だが、監視の中、身代金は消え、そして、子供は…(『影踏み鬼』)。など、5編を収録。
「時代小説集」なんていう言葉がわざわざ書かれているのだが、物語の舞台は江戸時代〜明治の頃。ただ、明治の頃でも、回想を中心とした物語が多く、全体としては江戸時代の後半と言う感じだろうか…。そして、小説推理新人賞受賞作でもあるように、それぞれミステリー調の作品が多い。
もっともすきなのは、やはり表題作『影踏み鬼』だろうか。奇妙な誘拐事件。そして、浮浪人の語った顛末と、そこに残された謎。そこから狂言作者が見つけ出したもう一つの結末は…。狂言作者が語る上で、浮浪人が語る、と言う二重の語り、と言うちょっと変わった構成。その語りが脱線したり、何なり…と非常に面白い。短編ではあるものの、捻り方とかあってすごく読み方があった。
他のものだと、5編目の『奈落闇恋乃進行』も形としては同様。舞台中、救いのない大恥をかき、自ら命を絶った歌舞伎役者。その自殺騒動の真実。これも、芸者・小浜と役者・彦助の哀しい想い。そして、そこからのどんでん返し…。良かった。
逆に、『藁屋の怪』あたりは、ちょっと、登場人物とかがわかりづらかったかな? という風に思う。
というか、語り部が台詞で…って形式が好きなだけか?(ぉぃ) でも、物語の捻り方だとか、そういうところに巧さを感じる作品なのは確か。
(08年1月7日)

BACK


黒人ダービー騎手の栄光 激動の20世紀を生き抜いた伝説の名ジョッキー
著者:ジョー・ドレイプ
翻訳:真野明裕
アメリカ競馬の頂点、ケンタッキーダービー。その長い歴史の中で僅か二人しかいない連覇達成者。その一人、ジミー・ウィンクフィールドの生涯を追ったノンフィクション作品。
サブタイトルに「激動の20世紀を生き抜いた」という言葉があるんだけれども、まさしくその言葉がピッタリ来るような凄い人生だ、というのが読んでいる最中、そして、読み終わって感じる第一の感想。
18世紀の終わり、奴隷解放宣言は出たものの、その反動とも言うべき形で次々と黒人差別法が生まれつつあった時代。ケンタッキー州で生まれ、馬と慣れ親しんだ黒人の少年・ジミーは、黒人であっても平等になれる競馬という世界に憧れ、その世界へ飛び込む。そこでメキメキと頭角を現し、19歳でダービーを勝つと、翌年も連覇して早くも頂点へ。しかし、アメリカ国内での黒人差別の嵐はますます吹き荒れ、アメリカを脱出。当時は帝政であったロシアへ。様々な人々がいるロシアで、差別されることなく「黒いマエストロ」と呼ばれ歓迎されたジミー。競馬を産業に仕上げたいと願う馬主との出会いをはじめ、彼の地で人生の最盛期を迎える。しかし、あまりにも勝ちすぎたがために次第に周囲の目は冷たくなり、さらに今度はロシア革命の波が襲う。妻子を残してロシアを脱出し、向かった先はフランス。騎手人生の終わりを迎えつつありながらも、暮らしているところへ、再び襲う第二次大戦の炎…。
うん…凄く簡単に書いているだけなのに、こんなに長く文章を続けることになるわけだから(笑) ハッキリ言って、どれもこれも世界史の教科書に太字で書いてるような項目。競馬に関する書籍も色々と読んではいるけれども、ここまで世界情勢に左右され、翻弄される騎手の物語というのは初めて目にした。と、同時に、騎手としての人生を描きながらも、それぞれの当時の様子が目に浮かぶようだった。
で、まぁ…この人物の面白いところは、騎手として初騎乗のレースでラフプレーをし1年の騎乗停止を食らい、その3日後に起こった大乱闘でふてぶてしさを学んだ、というエピソードからもわかるように決して高潔な人物ではないこと。それぞれの国で結婚し、そして裏切る。親としても、褒められることは殆どしていない。そんな部分が、より、そんなこのジミーという人物を人間らしく見せてくれるように思う。
以前に読んだ『シービスケット』(ローラ・ヒレンブランド著)同様、いや、それ以上に、当時の情勢を描くために、ジミーと直接関係の無い描写だとかが多い、という点での読みづらさはあった。けれども、文字通り「激動の20世紀」と、そこに翻弄された一人の騎手の人生は読み応え十分だった。
(07年4月23日)

BACK

inserted by FC2 system