奪取
著者:真保裕一
いつもの「バイト」に出かけた手塚道郎は、親友の西嶋雅人が暴力団の経営する街金で作った借金の保証人になっていることを知らされる。借金を返すため、二人が考えついたのは、大胆な偽札作り。それが全ての始りで…。
いや〜…これ、滅茶苦茶面白い。文庫の上下巻併せて960頁という真保裕一作品の中でも、かなり長い作品なのだが、全くその長さを感じさせず一気に読みきってしまった。
最初は、ヤクザから作った借金を返すための苦肉の策だった偽札作り。目的がハッキリとしていれば、やることもハッキリ。偽札と言っても万人を騙すのではなくて、あくまでも機械を騙すだけ。誰が見ても、すぐに偽札とばれる出来。しかし、そこから紆余曲折を経て、少しずつ、少しずつ緻密に、本格的になっていく偽札作り。この流れが、本当に面白い。
こう言っちゃ何だけれども、終盤の方の偽札作りは明かに「目的と手段が逆転している」んだ、これが(笑) 無論、目的はあるんだけれども、どちらかと言うと、偽札作りこそが重要。その目的の為に、名前を変え、顔を変え、金を稼いでは偽札作りに注ぎ込む。明かに、それ変でしょ(笑) でも、本当に楽しいんだ、この過程が。偽札作り、ではあるんだけれども、その情熱だとかは、青春小説とかにある「熱さ」と似ているのかもしれない。
また、偽札を作るたびに、道郎たちの前に現れ、妨害するヤクザ。そのヤクザとの駆け引きなども面白い。特に最後の章の作戦は「ここまでやるか!」とすら思わせてくれた。そして、その結末もまた「らしく」て良い。今は、この作品が出た頃とは紙幣そのものが替わってしまったわけだけど、まだ情熱を燃やしているのかな? なんて思ったりもしたわけだが…え? まさか、真保さん…あなた…?(笑)
軽妙な文章、テンポの良い展開、そして、真保裕一らしい緻密な取材、と全ての要素が詰まった傑作じゃないかと思う。文句無しにお勧めできる作品。
(07年1月5日)

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真夜中の神話
著者:真保裕一
研究にかまけた結果、夫と娘を事故で失い、現在はアニマルセラピーの研究へ志を移した晃子。そんな彼女は、研究のために訪れたインドネシアで飛行機事故にあってしまう。意識を取り戻した彼女が見たのは、森林に住む少数部族。そこで、神秘的な治療に出会う。しかし、彼女はそのことを「誰にも言うな」とだけ告げられ村を出されてしまう。そんな頃、都市では首を狩られた遺体が発見される…。
うーん…らしくない…というか…。真保作品としては、物凄く異色の作品ではないかと思う。
真保作品、というと、初期の「小役人」シリーズを初めとして、極めて現実的な、極めて緻密な取材に基づいた地に足のついた作品を書く作家…というイメージがある。例えば『奪取』などでは、そのストーリーそのものはともかく、読んでいると本当に偽札が作れそうな感じがしてくるし、『ダイスをころがせ!』では、選挙というものを舞台にしたリアルな描写が面白かった。あくまでも、「現実的」な部分の緻密さが武器になっている作家だと思っていた。が、本作は、それとは一線を画し、不思議な能力を持った少女…を巡っての争い、葛藤…などなど、ファンタジーというか、ホラーというか、そんなカラーの強い作品となっている。
無論、新しい試みを行うことに反対はしないし、どんどんと取り入れるべきだとも思う。ただ、本作に関しては、それが失敗しているように感じられてならない。
作品として言うのならば、テンポの良さは抜群だ。単行本で430頁あまりあるのだが、一気に読めてしまうほど、テンポ良く物語が展開していく。飛行機事故から、不思議な治療、さらには、不可思議な事件…とめまぐるしく展開していく物語は見事。宗教とは何か、アニマルセラピーに関する考察…などもつまらないわけではない。…が、どうにも空回りしている印象。上手く作られたホラー作品とかの場合、そういうものを入れながら、科学的に説明できるのか? それとも、科学の範疇を超えたものなのか? その境を彷徨いながら世界観にどっぷりと入れるものなのだが、この作品の場合、どうもそれが上手く行っていない印象。何か表面的になぞっているだけで終わってしまった感じがするのだ。
また、細かいところでの間違いのようなところがしばしば見えるのも気になった。例えば、イタリア人ジャーナリストが「ニュースソースの秘匿はジャーナリストの義務」という場面があるのだが、これはおかしい。ニュースソース秘匿というのは、日本の慣習であって、海外ではむしろオープンにすることの方が一般的だったりする。こういうミスがどうにも気になって仕方がない。そして、オチについても、かなりバタバタしてしまった感じであるし…。
著者の挑戦は買いたいが、正直、この作品についてはそれが成功したとは言いがたいと思う。
(07年6月27日)

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取引
著者:真保裕一
公正取引委員会の審査官・伊田の下へ振り込まれた謎の大金。マスコミの取材。何者かに嵌められたことを悟り、調査を始める伊田だったが、それはある計画の始まりだった…。日本、フィリピンを巡っての物語が始まる…。
以前読んだ真保氏のエッセイ集『夢の工房』の中で乱歩賞受賞後第1作目である本書の執筆に非常に苦しんだ、と言うことが記されていた。そして、その苦労は、本書(文庫版)あとがきでも綴られている。実際、読んでいてその苦労の様子が強く感じられる。
冒頭は、嵌められた公正取引委員会の人間が、その内情暴露をしながら暗部へ切り込む…と言うある種・江戸川乱歩賞で良くあるパターンの作風に思えるのだが、そこから大きく舵を切って、ODAを巡る談合へと話が切り替わる。さらにそこから思わぬ方向へと話が転がる…と、序盤は物語がやや肩透かしに感じるような部分を残す方向転換を繰り返す。この辺りに特に強く、真保氏の苦労を感じさせられた。また、作品のタイトル、主人公の位置は「公正取引委員会」と言う立場で、確かに生きては来るのだが、実のところ、物語の大半ではあまりそれが感じられなかった、というのもある。終盤、その辺りでの伏線も生きて、上手く纏めてはいるのだが、全体的なバランスはちょっと悪いかな? と感じざるを得なかった。
ただ、じゃあ全くつまらない作品か? と言えば、そんなことはない。非常にテンポの良い展開、アクションあり、どんでん返しありと言う形で読者を飽きさせないで読ませるだけの力はある。また、フィリピンと日本と言う経済格差のもたらす問題であるとか、そういうところで後の作品でメインに語られるようなテーマを含んでいたり…と、そういう点でも面白く読めた。
完成度、と言う意味ではちょっと劣る部分があるのは確かだが、「あとがき」で真保氏が書いている通り、この作品が後々の作品を書くに当たって大きな意味を持っていた、というのは間違いないと思う。
(07年10月27日)

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発火点
著者:真保裕一
十二歳の夏、父を殺された敦也。それ以来、人々の好奇の視線に苛立ち、孤立して暮らしてきた。そんなとき、敦也の前に現れた雑誌記者は、父を殺した犯人・沼田が仮釈放されることを伝える…。
父を殺されて以来、苛立ちを隠せずに、周囲に当り散らし、そして、結局、周囲に甘えているとしか取れない日々を送る21歳の敦也。父が殺されることになった12歳の夏の敦也。物語は、その2つの時系列を、さらに将来の敦也が解説する、と言う形で展開する。
「父を殺された」と言うことに対する周囲の好奇の視線、同情。そういうものに苛立ち。けれども結局、何も出来ないままの敦也の姿は見ていてただの甘え。けれども、その気持ちもわかる。けれども…と言う連続。そして…。
一方で12年前の思い出。子供のような素直な性格の父。辛抱強くそんな父と付き合う母。そんな家へと闖入した沼田。旧友であり、けれども性格は正反対の二人。崩れかかった家庭に入ってきた闖入者…。しかし、世間で言われているような母と沼田…というのとも違う…。二人の抱えていた傷。その結果…。
「苛立ち」と「成長」。物語のテーマとしては、そんなところだろうか。物語の展開そのものは最終的に、沼田は何故、父を殺したのか? と言う部分へと迫るのだが、それは本当に後半に入ってからで、それまではただひたすらに敦也の「苛立ち」が綴られる。物語終盤の展開はミステリのそれだが、やはり、序盤に書いた敦也の苛立ちと、真相を辿ることによる成長なのだろうと思う。
ただ…最終的に明らかにされる真相は…ちょっと飛躍しちゃったかな? と言う感じ。流石に、それは思いつかないが、却って「え?」と言う感じに…。これはどうかなぁ…? 最終的な結末部分もちょっと無理矢理綺麗にしてしまった感じがあるし、ちょっと終盤、失速した感が拭えない。
(08年1月2日)

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108年目の初恋
著者:末永外徒
私、この春から「旧校舎」になってしまいました。生徒は立入禁止。仕方が無いけれども、寂しい。だから、一人の少年が探検に来てくれたのは、とても嬉しかったんです。けれども、彼、新くんを助けたことで…。
この時期は、ラノベの新人賞作品が続々と出てくる、ということで、これはファミ通文庫のえんため大賞優秀賞の受賞作。
先日読んだ電撃小説大賞の『ミミズクと夜の王』(紅玉いづき著)もそうなんだけど、こちらも非常に「まっすぐだな」というのを第一に感じた。勿論、方向性は全く違うんだけど。
この作品、読んでいてずっと「ういのぉ、ういのぉ…」と、どこの爺さんだ、っつー感じの台詞が頭の中を飛び交っていた(笑)
山の中の中学校の旧校舎。使われなくなって、寂しく思っていたときにやってきた一人の少年。ひょんなことで、彼を助けたことで、自分を幽霊と間違って毎日のようにやってくるようになり、それを嬉しく思う。で、そんな中、彼のことを思う女の子を応援して見守っていたり…としていたら、いつの間にやら自分もまた惹かれるようになって…というような辺りが凄く初々しくて初々しくて…。その対象である新の方もそうだから、見ていて、やきもきする(笑) この初々しさが凄く良い。
で、その二人のやりとりの初々しさと同時に光っているのはその周囲の人々だと思う。副会長リアン、新に想いを寄せながらも背中を新の背中を押す夕子、常にえびす顔でありながら、しっかりとした友久といった面々が凄く良い味を出している。ただ初々しいだけの主人公二人だけだと、弱かったと思うんだけど、彼らが支えることで良い塩梅になったんだと思う。
細かく見れば、新がどうしてコウを好きになっていったのか…とか、その辺りに弱さを感じるとかはあるんだけど、デビュー作でそこまで完璧を求める必要も無いと思う。十分に楽しめる出来だと思う。
(07年2月20日)

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インサイド・ワールド
著者:周防ツカサ
『エスケープ×エスケープ』『放課後の虚構』『透明少女の無色なランデブー』の3編を収録した連作短編集。
対人関係が上手く築けないなど、心に何かを抱えた人々が中心となって織り成される物語…っていうことなのかな? その心の中のモヤモヤみたいなものを中心に描いた作品…とでも言うか。
えっとねぇ…正直、微妙。
こういう作品だから仕方が無いのかも知れないけれども、まず、感情移入がしにくい。特に、『エスケープ×エスケープ』が特にそう。鬱屈としたものを抱えているのはわかるにしても、感情移入しにくい。しかも、対人関係が築けないはずなのに、なぜか毎日にのように足しげく少女の元へと通う。…なんでよ? 3編目の『透明少女の〜』辺りになると大分緩和はされるんだけど、それでもちょっと…という部分はあるんじゃないかな?
と同時に、個人的に物凄く気になったのは、「小惑星が地球に接近していて、地球に衝突するかも知れない」という妙な設定。えっとね…この設定って、必要なものだったんでしょうか? 宇宙、宇宙飛行士ってのがキーワードではあるんだけど、「宇宙に行きたい」っていう夢だけで十分だと思うんだが。なんか、作風に加えて、この余計な設定のおかげでどうも作品に集中できなかった。
とまぁ、思いっきり酷評しまくってるんだけど、読んでいて1編目よりは2編目、2編目よりは3編目と完成度が高くなっているのは感じられた。そういう意味じゃ、見所がある…のかな?
(06年1月29日)

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ラキア
著者:周防ツカサ
何度も繰り返す7月1日。そのことに気づいているのは、ごく一部の者だけ。そんな気づいている者の前には、彼らの姿が見えるという黒衣の少女が現れ…。
というような設定の作品を4本収録した連作短編集…といったところかな。
以前、著者のデビュー作である『インサイド・ワールド』を読んだとき、かなり酷評したんだけれども、この作品については「なかなか面白いやん」という風に素直に思えた。
作品としては、冒頭に書いたけれども、何度も繰り返す7月1日。その状態に、それぞれの主人公が気づいて…という話。まぁ、設定としてはよくあるパターンではある。あるんだけれども、それぞれ、一歩踏み出せない状態を抱えている主人公たちが、何度も何度も繰り返す1日の中で変化していって…という辺りの流れが丁寧に描かれていて、なかなか良い感じ。それぞれ、綺麗過ぎる、と言っちゃ何だけれども、なかなか上手くまとまっているとは思う。
もっとも、連作短編集という割には、あまり関連性がなく、その割に同じ「7月1日」という日付である必然性があるのか? とか、気にならない点がないわけではない。少なくとも、この巻ではその辺りが説明されていないわけだし。
ただ、少なくともデビュー作の出来に比べれば、格段の進歩を遂げているな、っていうのは感じられた。
(07年6月1日)

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羞恥心はどこへ消えた?
著者:菅原健介
正直に告白しよう。私は、この本をタイトルと内容紹介文を見て、かなり批判的な意味で読もうとして購入した。その意味ではちょっと裏切られた気分だ。…って、批判のために買うなんて、我ながら嫌な趣味だと思うが。
本書で描かれるのは「恥」である。「恥」という感情は何のために存在するのか? 人間にとって「恥」という感情があるというのはどういう意味を持つのか? そもそも「恥」の基準は何なのか? といった内容が1〜3章で描かれ、その上で、近年増えている(とされる)「羞恥心が無いように思われる人」がどうして増えたのか、という事が考察される。
本書によれば、他者とコミュニケーションを必要とする「社会」を形成する人間にとって、「恥」とは、その社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っている。そのため、社会によって「恥」の基準は大きく違うし、また、年齢・立場などによる違いも大きい。日本の場合、血縁・地縁を基準にしたミウチ、セケン、タニンによって「恥ずかしい」と感じるかどうかが規定され、「セケン」が最も恥ずかしいと感じるものだと言う。そして、ジベタリアンなどが増えているのは、地縁の弱体化によって「タニン」の領域が増え、同時に趣味などの多様化によって「狭いセケン」が乱立したことが原因では? とする。つまり、「恥」の基準そのものが多様化している、というわけである。例え話、調査、図などをうまく用いて説明されているため、実に読みやすく納得もできる。なるほどなー、と思ったことも多い。
もっとも、ジベタリアンなどが恥ずかしくない、ということにやや批判的な視線が注がれるのだが、その事自体が悪いのかどうか、というのは議論の別れるところだろう。「恥ずかしい行為」と「迷惑行為」は、重なる部分も多いのだが同一ではない。そこだけがちょっと気になるところではあった。
とはいえ、なかなか面白かった。
(05年11月29日)

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神様のメモ帳
著者:杉井光
高校1年。人と関わるのが苦手な僕は、クラスメイトである彩夏に誘われ園芸部に入り、そして、あるラーメン屋へ赴いた。そこには、様々な「ニート」と出会った。そして、「ただの探偵じゃない。ニート探偵だ」というアリスとも…。
あー…気になる。すっげー気になる。とりあえずねぇ…何か定義とか語ってはいるけれども、それでも作中で語られる「ニート」は微妙に間違ってますから。つーか、基本的に本人の資質の問題に還元するのは、色々と問題なんだよな。本編とは関係ないんだけど、こういう「流行っているから」という理由でこういう言葉を使われるのはエラく気になってしょうがない…。
と、とりあえず苦言を呈したところで…
なんか、もっとギャグっぽいのかとか思っていたけど、結構。シリアスなハードボイルドって感じですな。人付き合いの苦手な少年・ナルミが、クラスメイトである彩夏に誘われ園芸部に入部。彼女に連れられて様々な「ダメ人間」と出会う(個人的に先の理由で、ニートとは呼びたくない)。そして、心を開き始めたところへの事件…。
主人公の彩夏を巡る思い。後悔…なんていうものが物語の中心になり、事件のカギを握るであろう「エンジェル・フィックス」と呼ばれるドラッグの調査をすることに…なんていうのは、実に王道なハードボイルド展開。なんだけれども、その調査の過程でダメ人間たちが立ち上がっていくのは、実に熱い。そういう意味じゃ、上質なハードボイルド作品に仕上がっていると思う。
ラノベ的な部分としては、ヒロインである(はずの)アリスなんだろうけど…最後の最後になってデレ状態になるしね。でも、今作について言うと、彩夏の方がヒロインという感じ。この辺りは2巻以降で巻き返し、じゃないかな?
いや、冒頭でちょっと気になった、ってのは書いたけど、話としては面白かった。
(07年8月30日)

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神様のメモ帳2
著者:杉井光

アリスの助手となったのと同時に、「はなまる」でのバイトを始めた鳴海。そんなとき、「はなまる」に、アリスへ依頼をしたいというタイ人の少女が現れる。2億円の入ったバッグを抱えた少女・メオは、「お父さんを助けて」と訴える…。
うん…前作を読んだときも思ったんだけど、このシリーズ、「普通の」探偵小説、ミステリー小説として面白い。これ、電撃文庫じゃなくて、普通の文庫とかで出ていても違和感を感じないんだけど。
「お父さんを助けて」と言うメオの願いを聞き入れて調査を開始するアリスと鳴海と、仲間たち。そこで浮かび上がってくるのは、暴力団の絡んだやばい話。状況証拠としては、メオの「お父さん」昌也がわざわざトラブルを起こしたとしか思えない状況。
「今回の場合、大事なのは真相ではない」と言うアリスの台詞があるんだけど、確かにそうで、謎を解く必要はないんだよね(捜査のために、必要な部分はあるにせよ)。そして、その中で鳴海が試されるのは、どこまで「腹をくくるか」と言う部分。暴力団を相手にする、と言うだけでも勢いだけではダメ。時には、諦めるなどの決断も必要になる。中途半端な状況が一番、役に立たない。四代目の言葉だけど、そのことを身をもって経験していくことになる鳴海と、その上で決断…
今回の結末も、一応は「ハッピーエンド」に近いものの、やっていることは薄氷の上を渡っているようなものだし、それも、いつまで続くかわからないような危ういもの。それでも、そこに価値を見出せる、と言う危ういバランス。こういう終わり方も好きだなぁ…。
本当、このシリーズ、素直に「面白い」と思う。
(07年10月12日)

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さよならピアノソナタ
著者:杉井光
ゴミ捨て場で拾った部品を使い、家電をいじるするのが趣味の少年・ナオ。今日も、ゴミ捨て場に赴く彼は、そこのピアノを弾く一人の少女と出会う。その少女は、天才ピアノ少女として名を知られた蛯沢真冬だった。「忘れて」 真冬に言われる間もなく、その場だけの出会いと思ったのだが、ナオの学校へ転校してきたのは、真冬で…。
有名人である真冬。学校での態度は、決して良いとは言いがたく、級友と打ち解けるわけでもない。授業中はペン1つ持とうとしないし、美術の授業でもスケッチを見ているだけ。それでも、学校には真面目に通い、そして、放課後遅くまで(旧)練習室でギターを弾いている。そんな真冬に、自分の居場所を奪われてしまったナオと、そのナオをけしかけて、真冬をバンドに入れようとする神楽坂先輩。
ナオと真冬の二人が顔を合わせれば喧嘩ばかり、けれども…という結構、王道なパターンではあるんだけど、その展開の中にしっかりと伏線が貼られていて、後半、真冬の抱えているものとして表出させる辺りの仕掛けが巧い。本当、かなり露骨と言えば露骨なんだけど、読んでいる最中は全くそれに気づかなかったし(私が鈍いだけ?) この辺り、キャラクターの描き方が良いんだろうな。
話としては、『神様のメモ帳』同様、いや、それ以上に、ファンタジー要素はなく、現実的な部分が強い。それでも、終盤のちょっとした奇跡、そして…の締め。このくらいのバランスだからこその爽やかさがあると思う。
私自身は、音楽、特にクラシックなんてサッパリ知識のなく、洋楽も殆ど知らない人間なので、作中で語られた楽曲とかが頭に浮かべばもっと楽しめたのにな…と、ちょっと悔しい。そんなことを思うくらいに良い作品だと思う。
(08年1月13日)

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くさる前に抱きしめて
著者:すぎやまひろゆき

病で死んだはずの少女・彩夏は、気づくとゾンビとして生きかえっていた。そして、ネクロマンサー向けの商品となるべく、ゾンビの学校へと入学する…。

第1回スクウェア・エニックス小説大賞の佳作受賞作とのことだが、読みにくいであるとかそういうことは特になかった。ノリ自体も、まさにライトノベル的ではあるけど、良いと思う。
ただ、正直なところ、「ヒロインがゾンビ」という設定がそれほど生きていないような…。エネルギーを吸収しないと腐り出すとか、そういう設定があるのだが、そういったシーンは一切無く、結局のところ、特殊能力者が戦うだけ…という感じで、あまり個性が見出せなかった。折角、面白い設定があるのだから、それをもっと生かして欲しかったのだが…。その辺りが残念。
(05年5月4日)

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萌えるクラシック
著者:鈴木淳史
まず最初に告白すると、私は音楽というものに関する知識は皆無と言って良い。クラシックというと、ベートーヴェン、バッハ、ショパン、シューベルト、モーツァルト…など、ごくごく有名な作曲家の名前が数名浮かぶだけである。まぁ、流石にベートーヴェンの第九くらいならば、聞いた瞬間に「あ、第九だ」とかわかるけど、それ以上はサッパリわからない。ショパンの代表曲って何? レベルだ(笑)
そんな私なので、この書にかかれている演奏者、指揮者などの名前は誰一人として知らなかった。そもそも、演奏者として浮かぶ名前すらないのだから当然なのだが。聞くところによると、演奏者の中でも、通好みの人が多いらしいのだが。
ただ、そんな私であっても、読んでいて色々と感じる部分があった。正直、同じ楽譜をなぞっているだけだから同じだろう、と言う印象があったクラシックも演奏者の解釈やセンスなどによって異なった味わいがあること。そこに至るまでにあっただろう、演奏者を取り巻く環境…こういうものについて語られ、興味を覚えたのは確かだ。そういったものが、専門用語が連呼されるわけではなく、非常にわかりやすく語られるので非常に読みやすい。そういう意味では、なかなか面白かった。
…が、一方で、タイトルにもある「萌え」という言葉を使った解説の部分は大失敗だと思う。ハッキリ言って、その言葉を使った部分が一番意味がわからない。「ローカル萌え」って何やねん!? 「ヘンテコ萌え」って何やねん!?
例えば第4章「ツンデレに萌える」という章。ここではまずツンデレとは「ふだんはツンツン、2人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃつく」とある。この解釈自体に違和感を覚えたのは私だけ? 私なりのツンデレの解釈は「本当は相手を想っているのに、上手くその感情を表現できず、ついついツンツンと当たってしまう」というようなものである。その中で時折見せる気遣いであるとか、本心みたいなところ、という二面性が「ツンデレ」の魅力だと思っている。ま、私の解釈が正解かどうかは知らないが。で、著者は、最初の解釈に基づき、二面性のある演奏をする演奏者を示して行く。…もはや、ツンデレというのは程遠い気がして成らないのだが。「萌え」なんかにしたって、ハッキリした定義のある言葉ではなく、『電車男』以来の流れの中で色々と膨らみまくった言葉である。それを説明の最後に用いられても、よくわからないのである。また、他の言葉で十分に説明できるのに、無理矢理「萌える」という言葉と置き換えているだけのように感じた部分も多々あった。
恐らくは、「萌え」ブームに便乗したのだが、私が読んだ限り、その試みは成功したとは思えなかった。
…いや、タイトルによって手に取った私のような者がいるのだから、これはこれで成功か?(苦笑)
(06年8月4日)

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空とタマ
著者:鈴木大輔
秋。家出の季節。7回目の家出をしたオレ、天野空は、田んぼのそばにぽつんと立つ廃倉庫へと逃げ込んだ。だが、そこには先客がいた。人気アーティスト「青井春子」を名乗り、タバコに難癖をつけてきたそいつをオレは「タマ」と呼ぶことにした。そして、ひょんなことから、そいつとの攻防戦が始まる…。
うん、なかなか良いじゃないですか。
廃倉庫という閉鎖空間。そこにいる二人。とにかく、空のことを排除しようとし、攻撃を仕掛けてくる「タマ」。一度、その近くに向かった際に大切な「あれ」を落としてしまい、引く引けない空。非常にバカバカしい攻防戦ではあるんだけど、ちゃんと「戦う」理由があって、なおかつ「タマ」の正体は何者なのか? 「あれ」とは何なのか? で物語が引っ張られる。終盤の展開としても、一旦は、結構、平凡なところに落ちついたのかな? と思わせてもう一段階くる辺りの作り方も好印象。
まぁ、あれだけ「何者なのか?」という部分で引っ張っておいて、実物の「タマ」を見た時の描写が殆ど無いとか、もう少し上手く処理していれば文句無し、というところではあるんだけど、全体を通して見れば十分にお勧めできる作品じゃないかと思う。
(06年7月23日)

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子どもは和食で育てなさい
著者:鈴木雅子
まず、最初に告白します。この書、私はボロクソに叩くつもりで読みました(ぉぃ) 個人的に「食育」に関する胡散臭さみたいなものを持っているし(食育の題目そのものは尊重するものの、そこに「和食が何が何でも素晴らしいんだ!」みたいな変なナショナリズムが入ったものを目にするので)、「心を元気にする」なんていうサブトイトルにも胡散臭さを感じていた為に。結論から言うと、そこまでボロクソに言うほど酷いものではなかった、ということか。
本書で最も多く扱われるのは栄養学的な説明。各種の栄養素が身体にとってどのような働きをしているのか、とか、どういう食品にその栄養素が多く含まれるのか。また、無理なダイエットであるとかが、栄養学的どう危険であるのか? なんていうのが中心に描かれる。著者が専門家ということもあるのだろうが、過剰に危険性を強調しているわけでもなく、バランスが良いと感じた。そして、それを克服する為のちょっとした工夫のアドバイスであるとか、簡単な料理のレシピの紹介なんてものもあり、そういう意味では良心的であると感じた。
ただ、やはり、というか、予想通りに「心の健康」とか言う辺りにはちょっと…と感じる部分がある。例えば、栄養の偏りが「キレる」原因だ、などと言うのは首を傾げざるを得ない。何度も書いていることだが、凶悪少年犯罪の増加などは無いし、また、日本では「20代より50代の方が殺人を犯している」なんてデータもある。今の子どもはスナック菓子や清涼飲料水などで…とあるが、矛盾していないだろうか?
また、本書で根拠とされているのは、2つの中学校で実施した食事状況とイライラ感、イジメの関係であるが、これも詳細なデータを見ると疑問が出る(詳細なデータが載っている誠実さは評価する)。つまり、ここでは食事状況とイライラと感じる、ということしか考慮してないためだ。本書の中に摂食障害は、家庭環境などが影響する、と例があるのだが、こちらだって同様のことが考えられないだろうか?(だって、食事が滅茶苦茶な家庭環境なら、他も滅茶苦茶な可能性高いでしょ?) また、問題行動を起こす子どもの食事を変えたら改善された、というのも同じ理由で栄養の問題、と言いきるのはどうか?
さらに終盤、食品添加物であるとか、ADHDの原因について…なんていうのが語られるが、これらは否定できないとは言え、確実なものとは言えないことは頭に入れておくべきことだと思う。原因論は、様々な説がある。
と、まぁ…気になる点はいくつかあるものの、比較的良心的な書であると思う。
(06年9月10日)

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