とらドラ5!
著者:竹宮ゆゆこ

二学期に入り、文化祭が近づいてきた。出し物を巡っての争いに、ミスコン、様々な思惑が絡みながら当日へ迫る中、大河の父が現れる。そして、竜児と大河の関係にも変化が…。
別に、思いっきり出遅れた分けでもないのに、周囲は皆読了し、感想をUPしている…ということで、この出遅れ感は何だろう? とりあえず、他の感想サイトでも、みんな叫んでいるので、私も叫んでおきますか。
ゆりちゃ〜〜〜ん!!!(ぉぃ)
いや、この作品で最も好きなキャラって、大河でも、みのりんでも、勿論、亜美でも兄貴でもなくって、ゆりちゃんなんですけど、私って変? これでメガネっ娘なら、完璧なんだけどねぇ…(ぉぃ)
というところで、今回は大河の事情を中心として、かなりシリアスな内容ではあるんだよね。勿論、そうは言っても、この面々で真面目な方向に行くわけはないんだけど、それでもボケの上塗り…にならず、締めるところは締めている、とでも言うか。竜児もみのりも、大河について真面目に考えてはいるんだけよね。結局、どちらもある種の言葉足らず、というか…。と、同時に亜美が明らかにキャラ違うような…。
ところで…?
竹宮さん、たらこスパはどうしました? 貴女のあとがき=たらこ、のイメージしか(失礼)
(07年8月14日)

BACK


とらドラ6!
著者:竹宮ゆゆこ

文化祭も終わり、強制的に日常が戻ってきた学園。竜児が大河に振られたという噂が広まったり…などはあるものの、平穏な日々が続いていた。そんな中、文化祭以来、燃え尽きたようになっていた北村。しかし、生徒会選挙を目前に…。
なんていうか、切ないな、おい。この作品って、こんな切ない作品だったっけか?
いや、ある意味じゃ、これまでのところで暗示されていたものの再確認、と言う形でしかないんだよ。でも、そこまで溜めに溜めていたものが一気に噴出しただけに、読了後の感想がやたらと切ないんだ。
生徒会役員選挙を前に一気にグレちゃった北村。右往左往する竜児に、陰謀を企む大河。そして、正論で切り捨てる亜美。細かいところでギャグは当然のようにあるんだけど、当初からそんな雰囲気が漂っているだけにね。そして、色々とやった挙句の、北村の立候補と、その後のやりとり…。
今回のエピソードなんかを見ていると、シリーズそのものも終盤に差し掛かっているんだろうな、と言うのを感じる。今回で、それぞれの掛け違いの部分は大分明らかになったわけだし…。いや〜…まさか、こんなに切ない展開が待っているとは思わなかった。
しかし、『スピンオフ』のときもそうだけど、今回の竜児&大河の穴に棒を突っ込みあうところとか、無意味にエロく読めるような文章を書くのが得意ですな、竹宮さん。あと、今回はたらこトークもあって一安心(阿呆)
(07年12月21日)

BACK


とらドラ・スピンオフ! 幸福の桜色トルネード
著者:竹宮ゆゆこ
超不幸体質の富家幸太。生徒会庶務であり、会長・すみれにその優柔不断な姿を叱咤される日々。そんな彼が、ひょんなことで知り合ったのが、中間試験で全部赤点の少女・さくら。さくらは、なんとすみれの妹で、その追試の勉強を見てくれ、と頼まれてしまい…。
あま〜〜〜〜い!!!
某お笑い芸人みたいな叫びをしてしまったわけなんだけど、正直、どうしてもその感想が先立ってしまうわけですよ、これが。とにかく、超不幸体質の主人公・幸太と天然少女・さくらの話なんだけど…、もう最初から最後まで二人のバカップルっぷりなわけですよ。勿論、二人のすれ違いとかはあるんだけど、最初から両思いみたいなものだしね。二人で延々藁っているシーンとか、どーしたもんか…くらいに思うわけですよ、うん。
勿論、作品としてはしっかりとまとめっているし、字面だけ見ると妙にエロティックな台詞の応酬とか、押さえるべきところ押さえているな言う印象。流石は…というか。
それよりも何だな…北村、切ないよ、北村…。なんか、最後の最後で感じたのはそれだわ。幸太のバカップルっぷりよりも、北村のせつなさが最後に残っちゃったよ、うん…。
(07年5月20日)

BACK


キララ、探偵す。
著者:竹本健治
アイドルオタクの大学生・乙島侑平。そんな佑平の元へ、従兄弟であり、天才科学者である益子博士から荷物が届いた。あけてみると、中に入っていたのは美少女メイドロボットのキララ。人間と見分けのつかないキララのモニターとなった侑平だが、彼女には裏モードもあって…。
ウヒハ! これ、なんてエロゲ!?(マテ)
いや、確かにちゃんとミステリー小説をやっているし、日常の謎系の作品として悪くは無いんだ。でもね…それよりも、その…何だ…ソッチのシーンのインパクトばかりがやたらと記憶に残るんだ(苦笑) 作中で、そういうシーン自体は、決して分量として多くは無いのに…その少ないシーンがやたら濃厚だし。
…と…そこばかりを強調しても何なので、作品全体として考えた場合、なんていうか…物凄くベタな展開ではあるよね。アイドルオタクの青年のもとに届いた、美少女メイドロボ。勿論、ソッチ方面の奉仕とかの機能もあって、しかも、そのメイドロボは、ドジな部分でしかも、ぶりっ娘な喋り方。この上なくベタベタだもん。ただ、ある意味、徹底的にはなっているものの、ちゃんとキャラクターを作っている、というのは好感が持てるところ。
と、同時に、探偵役がメイドロボなんだけど、ちゃんと、その設定を生かしての謎解きである、という点も良いと思う。ロボットであるから、地理的なデータが全て入っている、とか、データを取っている…とかね。設定だけじゃない、ってのも良いとは思う。
ただ…まぁ…やっぱりこれはキャラクター小説ってことになるんだろうな…。あと、これ、「みんなには秘密」みたいなのが序盤で約束にあったけど、明らかに情報、かなり広まってるよね、うん。
(07年5月5日)

BACK


テレビ画面の幻想と弊害
著者:田沢雄作

いや〜…また、面白い本を見つけてしまった。以前読んだ、『ITに殺される子どもたち』(森昭雄著)で取り上げられていた書なので、ちょっと手にとってみたわけなのだが、うん、凄かった(笑) なんていうかね…『ITに殺された子どもたち』っていう書は、この書に、森昭雄氏独自の(彼しか使っていない、という意味)脳波データをつければ出来あがり、って感じだね。ちなみに、著者は、「ゲーム脳」を全面肯定している。ついでに言うと、著者の専門は小児肝臓、消化器、栄養疾患、社会医学であって、脳などの専門家ではない。

著者は、近年急増している(とされている)凶悪犯罪や、不登校の原因は、脳の慢性疲労にある、としている。そして、その慢性疲労の原因となるのが、テレビであり、テレビゲームであると言ったITというわけである。
そりゃ、一日に何時間もテレビを見たりして、夜更かしするのは身体に良くないし、それが原因となって不調を訴える人が出るのも確かだろう。しかし、ITが原因だ、などというのは飛躍し過ぎである。
この書の中で著者は、テレビゲームは、薬物中毒やアルコール依存症と同じ状態になる。また、光刺激によって興奮状態になるので、眠れないし、眠っても眠りが浅くなる。それが、慢性疲労に繋がり、不登校や問題行動の原因になる、というのだ。そのコンピュータ依存になるのは、テレビやゲームによってコミュニケーション能力が低下しているからだし、取り上げればゲーム脳で前頭前野が機能しないからキレて凶悪事件を起こす…と繋がってしまう。おいおいおい…。
まず、もし光刺激によって…というのならば、普段からコンピュータの前で仕事をしている人たちはどうなのだろうか? 大人の方が影響が少ない…とは言っても、時間は桁違いだ。PCを前に仕事をしている人たちは、みんな慢性疲労を抱えていて、(ゲーム脳を信奉しているわけだから)キレやすいということになってしまうわけだが? 勿論、著者の言葉を借りれば、薬物中毒のような状態かも知れない。
著者は、自ら診断した19人の子供たちは、いずれもIT好きで、ゲームを取り上げることで回復した、としている。それを持って、「ゲームを取り上げれば、身体を動かす遊びをするようになるから回復する」と言う。そもそも19人というサンプル数にどの程度、一般性があるのかわからないのだが、もしこの書を読んで、ただゲームを取り上げれば、私は更に問題が悪化するのではないかと危惧している。本書に示されていた診断例を見ても、不登校などの子供たちは、ITに依存するきっかけとなる他の要因を感じるのだ。著者のところへと行く、ということは、親の側も子供のために動こう、という姿勢があるということである。だから、ゲームを取り上げてからも、問題が起こらなかったといえよう。もし、この書を読み、原因も何も考えずに依存している子供から逃げ場を奪ってしまったらどうなるか…。少し、考えてみて欲しい。
(05年10月9日)

BACK


真っ当な日本人の育て方
著者:田下昌明
戦後、日本には海外から様々な育児論が入り、日本でかつて行われていた教育論は否定された。しかし、そのことが近年の凶悪少年犯罪の急増、モラル崩壊につながった…というのが、本書の論。
まず最初に断っておくと、私自身は医学を勉強したわけじゃないし、また、育児論みたいなものを学んでいる人間でもない。ただ、それであったとしても「おかしい」と感じる部分が多かった。と言うか、著者は、私を笑わせたかったのだろうか? 序文から、全く調査とかをしないことは明らかであるし、また、それを見越してか「育児は科学だけで出来ない」とか言い出す(それ自体は、そうだろうが、自分で散々、自分は医師だと述べているわけだ。読者が何を期待するかはわかっているだろう)。
まず、著者は、戦後、海外からの育児論が入ったことが…という概要が述べられる。著者によれば、終戦後、日本は過去を否定して日本流の育児論を捨て、海外からのものを入れるようになった。しかし、1950年代、60年代くらいまでは、まだ伝統的な方法を持つ人々が多かったが、70年代、80年代と進むに連れ、そういうことを知っている人が減った。それが…と続く。しかしね…少年犯罪の件数をなどを見れば、それと正反対の曲線を辿っているのが良くわかる。戦後の少年犯罪のピークが60年代であることは、何度も書いている通り。
著者の言っている育児論の基本は、「赤ちゃんは常に母親と一緒にいるのが良い」と言うもの。その根拠として、J・ボウルビィの論を出し、「母親が一緒にいることが大事」と訴える。ただ、J・ボウルビィ自身は、英国の人物であるし、また、母親との別離というのも孤児院であるとかの調査になる。著者の訴える「24時間、常に一緒に」と言うものの根拠とすることは出来るのだろうか? (と言うか、著者の論が正しいとすれば、全世界で24時間、常に一緒にいる文化が広がるはずだが)
更に、著者の言う、「子育ては文化を継承させること」と言う思想も果たして…。無論、その意味が無い、とは言わない。しかし、著者の言う物は変化を認めないものとなってしまう。「それぞれの文化は、その土地の風土・風俗に適するように発展した物だから、合理的」と言うのは間違いではないが、それは「社会状況によって変化する」ことも含むわけである。平安時代と戦国時代と江戸時代ではそれぞれ違っているはずである。
著者は、海外の育児論が伝統的なものを破壊したのは戦後としているが、当然のことながら、明治維新以来、戦前にも色々と入っている。また、著者の言う「戦前」については全く考慮がされていない。そして、お約束通り「真っ当」の定義は無く、「今はダメ」との連呼…。
このようなことを考えると、本書の根底にあるのは「昔は良かった」と言う懐古主義だけと言えるだろう。
(06年12月21日)

BACK


平井骸惚此中ニ有リ
著者:田代裕彦
大正12年。世に『探偵小説』なるものが広まり始めたこの時代、その作家の一人・平井骸惚先生の元へ、一人の学生が書生として弟子入りを志願いたしました。その学生、姓は河上、名は太一。奥さまの取り計らいで下宿させてもらえることにはなったものの、弟子にはしてもらえず、娘さんには嫌われる。それでも、なかなか楽しい日々を送っていたある日、評論家の池谷氏の葬儀から帰った骸惚先生、河上くんに一言こう漏らします。「自殺などしていない」と。好奇心に狩られた河上くん、早速、調査に乗り出すのでございますが…。
……なんか、明らかに文体が影響受けている上に、長ったらしいことこの上ない内容説明だ(苦笑)
田代氏の作品と言うと、『キリサキ』『シナオシ』という捻りに捻ったSFミステリ作品がまず頭に浮かんだのだけれども、デビュー作であるこの作品はいたってシンプルなミステリ作品。
自殺したと見られていた評論家の死は実は他殺。しかし、そこには密室の存在が…。正直に言うと、トリックそのものは非常に初歩的なもの。ただ、個人的には下手に捻ってわけがわからないものにするのであれば、このくらいで十分だと思う。理屈としての説明も十分に出来ているわけだし。
むしろ、個人的に好きなのは登場人物たちだと思う。お調子者だけれども、時々鋭いところを突く主人公の河上。冷静なんだけれども、奥さんには全く頭の上がらない骸惚先生。河上に常に食って掛かる骸惚の娘・涼…などなど、それぞれの登場人物が実に魅力的。そして、その人物たちを語る講談調の地の文が実に効果的に効いている。
斬新なトリックなどに期待している人には物足りないかもしれないけれども、作品としての完成度は高い作品だと思う。
(06年6月13日)

BACK


平井骸惚此中ニ有リ 其弐
著者:田代裕彦

まず最初に、タイトルの「弐」の字なんだけど、本当はもっと難しい字です。機種依存とかだったら拙いので、勝手に変えました。

担当編集者の緋音嬢の誘いで、華族・日下家の所有する那須の洋館ホテルへと避暑に赴いた骸惚先生一家と河上くん。無論、車での送迎に無料で宿泊、というのには裏があり、それは、日下家当主・直明様からの「私は命を狙はれてゐる。」という封書を渡されてのものでした。何事も無く辿りついた、と思いきや、翌朝・当主の直明様が不可解な死を遂げて…。
前作に引き続いて、講談調の紹介文を書こうと思ったものの、自分のセンスの無さに呆れて諦めた(笑) ということで、平井骸惚シリーズの2作目。
前作に引き続き、今作は閉じられた洋館に集う人々。子爵家の跡目争いの中で次々と起こる事件…というある意味では王道パターン。前作はキャラクターとか、独特の文体とかは良かったものの、肝心のミステリーとしてのトリックのちゃちさが勿体無かった、という部分があったんだけど、今回はそこの部分が大幅に改善。結果として、より良くなった、という風に感じる。いや、なかなか面白かった。
キャラクター造形に関していっても、前作ではあまり描かれていなかった骸惚先生の人間性だとかがしっかりと描かれていて好感触。なんか、妻と娘にないがしろにされる情けないお父さんキャラになってますがな(笑) で、そんな骸惚先生と河上くんの間で交わされるミステリー論とでも言うべきものもなかなか…。「探偵小説には事件のことしか書かれていない。勧善懲悪の物語だから」。
うん、満足できました、と。
(06年7月16日)

BACK


平井骸惚此中ニ有リ 其参
著者:田代裕彦
残暑厳しい帝都。探偵作家・平井骸惚先生の書生・河上くんの元へお客さんが。翠子と申すその女性。河上くんの幼馴染でございまして、皆を前にこう宣言するのでございました。「私のこと、お嫁さんにしてくれるって、約束したじゃない」。これが、全ての幕開けなのでした…。
女の戦い勃発!(笑)
ここまでの2作で、河上に惚れる涼と、それを全く気付かない河上という展開ではあったんだけど、今回はライバル登場っと。おかげで、涼嬢の活躍があんまりなかったりして(笑) というかさ…個人的には、この二人よりも、それを見守る骸惚先生と澄夫人のやりとりの方が面白い、と思っているんだけど。
で、事件の方は、誘拐事件。そして、その途中で起こる殺人事件。…そして、実にここもわかりやすい。なんていうかな…純粋にミステリーとして考えた場合は、どうしても弱さを感じざるを得ないんだよな。ま、これは私がミステリー作品好きだから、と考えるからなのかもしれないが。ただ、全体の3分の2過ぎで出てくる殺人は、ちょっと取ってつけた感があるだけにね。
むしろ、この作品でも、骸惚先生の語る探偵論、ミステリ論みたいなものが面白い。迷う河上に対する言葉であるとか、色々と考えさせられるものがある。
3作目ってこともあるんだけど、安定した面白さはあるな、うん。
(06年8月8日)

BACK


平井骸惚此中ニ有リ 其四
著者:田代裕彦
もう8月も末だというのに、暑さも続く東京。そんなある日、骸惚先生の元へ一通の手紙が。絶縁状態の実家からの帰郷を促す手紙に、骸骨先生は澄夫人と連れ立ってお出かけになったのでした。涼嬢と撥子嬢を託された河上くんでしたが、そんな東京を未曾有の惨事が襲ったのでした。そう、大正12年9月1日、後に関東大震災と呼ばれる大地震が…。
なんていうかね…涼さんが、思いっきり世話女房になっとります(笑) なんか、これまでの拗ねたりとかってのじゃなくて、思いっきり大人の女性って感じで。一体、何があったんでしょ?(笑)
で、まぁ、この4巻では、関東大震災に襲われ、避難した先で事件が…という流れに成るわけだけど、なんか、先の涼さん以上に作品のテイストが違っているように思う。まぁ、全体の3分の1くらいまでは、事件というよりは、関東大震災の発生から避難先まで、みたいな部分が続く為だと思う。実際に事件が起こるのは中盤に入ってからで、今回は骸惚先生自体が殆ど出てこないし。
そして、今作最大のポイントは、これまで作品の本編には関わってこなかった「現代」の人々の部分が、かなり重要な意味を持ってきた、と言う部分でもあると思う。このシリーズ、次回作である其伍で完結するわけだけど、そこへの接点を導いたってことなのかな?
事件そのものに関しては、これまで以上にシンプルかも知れない。クローズド・サークルとは言うものの、密室とかそういうものがあるわけではないからね。この辺りもこれまでのテイストとの違いを感じさせる一因ではないかと思う。
今作に関して言うと「ミステリー」というよりは、「愛憎劇」的な要素が強いと思う。これまで、シンプルではあるものの本格ミステリというところを行っていただけに、ちょっと違和感を覚える作品になっているように感じられてならない。これをどう見るかは好みの問題なのだろうけど。
(06年9月30日)

BACK


平井骸惚此中ニ有リ 其伍
著者:田代裕彦
大震災から一月。骸惚先生は、慈善夜会を兼ねた異母弟の結婚披露パーティーに澄夫人とお出かけになることに。一方、涼嬢もまた、女学校の級友の開くホーム・パーティーに河上くんを伴ってお出かけになることになったのでございます。しかし、その両方で事件が起こってしまいまして…。
シリーズ完結作、ということで、それらしく非常に大掛かりなトリックになったな、というのがまず第一。二つの館で起こった首なし殺人事件。二つの館で推理を行う師弟…と、そういう部分でも集大成といえると思う。実のところ、こうなるとある程度、トリックは見えちゃうんだけど(ぉぃ)
と、同時に、やっぱり涼と河上くんの関係なんかも良い感じなんだよな。最後の挿絵の部分とか、凄く良い感じだし。結構、田代氏の作品ってキャラクターが弱いのもあるんだけど、このシリーズに関して言えば、問題無く楽しめたし。終わってみると、結構、寂しかったり。
まぁ、唯一、不満点があるとすれば、結局、最後まで語り部である「あの人」がぼやけたまま、ってことかな。著者自身も認めているし。ここがもうちょっと何とかなっていれば、より…と思うだけにそこが残念。
でも、全5作、楽しかった。
(06年11月6日)

BACK


シナオシ
著者:田代裕彦

生前、人を殺めた事を後悔して賽の河原をさまよう「僕」は、「案内人」と名乗る者の手によって別人・今見かずみとして蘇った。すっかり「僕」の記憶を失っていたが、突如現れた「案内人」と遭遇し、「僕」の犯行が近いことを知る。そして、「僕」の犯行を阻止するために調査を始める…。
とりあえず、最初に書いておくか。「富士見ミステリー文庫」で初めて「ミステリー」らしい作品に出会った(笑) いや、別にどうでも良いんだけどね。
また、随分と難解な形に持っていったなぁ。ちょっと混乱してくるよ。基本的に話は、今見かずみとしての「僕」と、犯行を計画している「僕」の2つの視点が交錯する形で進んで行く。この形式だから、そういうトリックかな? と思うと、早々で、「僕」の正体は読者にわかる仕掛け。で、いつその関係に気付くのかな? と読み進めているうちに、二転三転していって…なるほど、こう来ますか…という感じの感想になった。いや、かなりひねった話だなぁ…という感じ。この辺、ある意味では、乾くるみ作品とかを読んだ時の感覚と似ているかも。
これ、富士見ミステリー文庫ってことで、ただのライトノベルみたいな扱いをされるんだろうけど、十分に一般受けするだけの内容あると思う。この作品と似た雰囲気だという『キリサキ』も読んでみたいと思った。
(05年12月21日)

BACK


キリサキ
著者:田代裕彦
「まだ寿命が残っている」。案内人と名乗る者にいわれた「俺」は、行き返ることを選択した…はずだった。しかし、気付いたとき、「俺」の魂は「霧崎いずみ」という少女の体に乗り移っていた。「いずみ」としての生活を始める「俺」だったが、連続殺人鬼「キリサキ」による事件が発生する。「キリサキ」の正体は「俺」だと言うのに…。
先日、この作品の姉妹作である『シナオシ』を読んで、なかなか面白かったのでこちらも読んでみることに。なるほど、「案内人」の存在であるとか、舞台であるとか、そう言うところの共通点があった。
なるほど、「連続殺人鬼」である主人公が預かり知らぬところで起きた「自分の犯行」を調べて行く…という辺りの設定は『ハサミ男』(殊能将之著)にも似ている。ただ、『ハサミ男』はあくまでも、現実世界を舞台にした作品であるのに対して、こちらは、その特殊な舞台設定がキーポイントとなる。『シナオシ』の時にも書いたんだけど、作品のイメージとしては乾くるみ作品っぽいひねり方だと思う。ただ、「謎」というものを中心に話が展開する作品を「ミステリ」と呼ぶならば、見事に「ミステリ」作品として成立している。
『シナオシ』を読んでいたためか、ある程度、終盤のひっくり返し方が予想できてしまったのが残念。ただ、『シナオシ』よりも、ドタバタ感は少なく抑えられているので、素直に「なるほど」と思えたわけだけど。そういう意味じゃ、こっちの方が完成度は高いかもしれない。
多少、人物造形がステレオタイプかな? と思うところがあるわけだけど、十分に楽しめる出来だったように思う。
(06年1月14日)

BACK


セカイのスキマ
著者:田代裕彦

高校に入学した小澤哲。文学部を見学しようとして間違えて迷い込んだ古めかしい図書館で彼はオカルト研究会(のような存在)・四の辻の会に所属する宮守みこと出会う。そんな時、四の辻の会に、「座敷童を退治して欲しい」との依頼が。「狭間の住人」を自称するみこ、さらには顧問であり、旧知の仲だった悠美に脅迫により、「退治」を手伝うことに…。
うーん…。これを読んで、ずーっと思っていたことなんだけど…、京極夏彦氏の「京極堂」シリーズに似ているな、というのがまず最初に感じたことだろうか? 勿論、登場人物の設定、時代設定なんていったところは全くの別物だし、京極堂シリーズのようにやたらめったらな薀蓄話があるわけでもない。京極堂シリーズだったら、この3倍や4倍のページ数だ(笑) ただ、「妖怪」というものの存在についての説明だとか、論理的説明だとかの課程がやはり似ている、と感じるわけだ。
うん、構成を考えると、なかなか面白いとは思うんだ。まず、妖怪という存在を信じている人から、その信じていることを論理的に否定して行く過程。そして、その後に「本当の妖怪」を退治する過程という二重の展開だとかというのも面白い。
…のだけれども、どうも、京極堂シリーズとかが頭にあって、それと比較してしまうからなのかも知れないけど、インパクトが弱いと感じてしまった。『キリサキ』『シナオシ』辺りによって、期待過剰になっていた部分もあるかも知れない。
ともかく、シリーズ展開をしていくみたいではあるし、2作目以降で、どうこの作品独特の色をどうやって出していくか、が課題になるんじゃなかろうか?
(06年6月22日)

BACK


セカイのスキマ2
著者:田代裕彦
ドッペルゲンガー? 哲が出会ったのは、どう考えてもみこ。しかし、明かに反応がおかしい。「四つ辻の会」に出席した哲は、みこに同学年の年子の妹・りこがいることを知り、謎が解けたのだが、そのりこから、依頼が舞い込み…。
「おい、そこのツンデレ」に素で吹いた(笑) 悠美せんせー…あんた、凄過ぎるよ(笑)
で、まぁ、シリーズは2作目。前回の座敷童に続いて、今回の「妖怪」は火車。前作は、多少、戸惑いもあったんだけど、今回は、2作目ということである程度の予想が出来ていたし、また、そのパターンを踏襲していたので、それなりに素直に楽しめた。と、同時に、新キャラであるりこの登場で、シリーズそのものがどういう方向へ向かおうとしているのか、っていうのも見えたかな、というのはある。
で、まぁ…「京極堂っぽい」作品らしく(?)、霊感、幽霊なんて言った類に関する考察なんかはなかなか面白い。向こうと比べればかなり短いんだけど、むしろ、このくらい短い方が読みやすいくらいかも。
ただ、いくら「洞察力に優れている」というのが主人公・哲の特技とは言え、この謎解きの方法はどうなのだろう? 何ていうか、「物証がない」んだよね。このシリーズに限らず、安楽椅子探偵タイプの作品であれば、こういうのもアリ。しかし、そうでもないのに、主人公が「こういう部分に矛盾がある。だから、こうなんじゃないか?」と推理すると、犯人が「その通りです」と認めて謎解き終了、みたいなのはちょっと…と感じるわけだ。あと、前作でも感じたんだけど、第一の妖怪退治と第ニの妖怪退治がちょっと弱い。今作の場合、さらにもう一段階あるのだから、ここは素直で良かったんじゃないかと思うんだけれども…。
あとがきによれば、「最初からシリーズ化を前提にした作品」とのことなんだけど、それゆえに力が入りすぎて空回り気味の部分があるように感じるのだが…。
(06年10月12日)

BACK

inserted by FC2 system