子どもの脳に生きる力を 学級崩壊とキレる子どもの治し方
著者:寺沢宏次
70年代を境に子供達の脳の発達に異変が起こり始めた。そして、校内暴力、学級崩壊、キレる少年などと言った諸問題が表出しはじめた。子供達を変えてしまったのは何か?
とのことなんだけど…なんていうか…著者は笑いを取りたいのか? 理論飛躍やら自己矛盾が多すぎて最早滅茶苦茶になっているのだが。
この書において、全ての基本となっているのは、1969年から79年、98年の3度に渡って行われた「GO/NO−GO課題」である。ランプの色とそれを見た時の行動を先に伝え、その支持通りに正しく行動できるか? という課題である。これが、69年の調査では、年齢上昇に伴って間違いが減る形だったのが、78年、98年は悪化していた。だから、脳機能の抑制をつかさどる前頭葉の機能が低下している、というのである。
まず、根本的なことなのだが、「GO/NO−GO課題」だけで、前頭葉の抑制機能が働いているかどうかが判断できるのだろうか? 著者は、学級崩壊しているクラスの生徒に学級崩壊している状態と、取り組みによって改善した後の検査で点数が上がっていることなどを根拠にしているが、学習ということを考えると本当に脳機能によって、といえるのだろうか?
そもそも、この脳機能の発達がおかしくなった、という前提そのものがかなり怪しいものであることは間違い無い。著者は「69年は正常」と連呼しているが、この69年の調査そのものがかなり危うい代物であることは臥せられている。『子どもたちのライフハザード』(瀧井宏臣著)によれば、69年の調査は、幼稚園児〜大学生まで合計104名に対して行った、とのこと。だとすると、各学年について6〜7名しかサンプルがいないことになる。これで足りるのだろうか? このサンプルの不足については、69年の調査を行った篠原菊夫自身も認めており、自身のブログで「あの統計処理をしたのは私で、正直、ギリギリなデータだった。とにかく肝心の60年代データが少数過ぎる。いくつかのテクニックを駆使しないと統計的には何もいえない程度のものだ。だから私自身、このデータに言及するときは、相当言い訳がましくなる。」と述べている。つまり、かなり誤差率の高いもの、と言えるのだ。
著者の言葉によれば、「78年と98年は同じ」と述べている。しかし、その一方で、テレビ・テレビゲームなどで、体を動かさなくなったのが原因と言う。しかし、テレビの視聴時間、さらには外遊びの環境などを考えれば、78年と98年では98年がより悪化していなければおかしいのではないだろうか? そのクセ、現代の子ども達はより状況が悪化している、という。おかしくないか?。少年犯罪件数で考えれば、もっとも少年による凶悪犯罪が多かったのは、「正常」だったはずの1960年である。79年より、校内暴力が…と述べているが、「何を校内暴力と呼ぶか?」は、学校側の判断による為、流行に左右されるのである。
また、著者が関わって学級崩壊を直したケースファイルがあるものの、果たしてこれが「脳機能の改善」によるものなのか? 教師、保護者の意識改革などで、治ったとしているのだが、それは脳機能と関係があるのだろうか? この書から、それを読み解くのは不可能である。同様にキャンプで「脳機能が向上」などもである。
そもそも「キレる」とは何なのかが曖昧。他人と一緒に行動すること、運動することが無条件で「良いもの」とする考え方(熟年者対象のスポーツ教室の感想など、何の参考にもならない。「スポーツが嫌い」という人間はわざわざ参加しない)。読書や音楽鑑賞すらも「悪いもの」という考え。非常に独善的な偏見に基づく部分が多いように感じられてならない。
(06年10月13日)

BACK


孤独の歌声
著者:天童荒太
一人暮しの女性が監禁され、全身を刺されて絶命する…。そんな凄惨な事件が連続して発生していた。警視庁盗犯課に所属する風希は、連続するコンビニ強盗を追う一方で、ある事情からこの事件の調査も独自に進めていた。コンビニのバイトをしながら音楽活動をする潤平は、孤独が好きだった。そんな時、潤平の勤めるコンビニに強盗が入り…。
人間社会で最も必要とされるのが、人々の繋がり、関係。それが無ければ成り立たないし、一方で、それが原因で悩み、ストレスを抱える原因ともなる。そして、その中で求めることがあるのもまた「孤独」というもの。本作のテーマがこれにあたる。
本作は基本的に、風希、潤平、そして、犯人である「彼」の3つの視点で展開する。この三者は三者ともに、孤独を抱えている。孤独を抱え、それ故に自らを閉ざしてしまう風希。他者と関わらず、孤独であることに心地よさを抱く潤平。孤独からか、異常な執念で「家族」を求める「彼」。三者三様の孤独であるが、「孤独」「家族」「社会」などというものについて色々と考えさせられる。
ミステリとして見た場合、犯人の「彼」の視点がある関係もあって、「謎」という部分は弱い。ただ、その分、サスペンス作品としての出来が秀逸。かなり凄惨な描写が多いので、その手のものが苦手な方にはお勧めできないが、そうでなければ素直にお勧め。
(06年4月5日)

BACK


幻世の祈り 家族狩り第1部
著者:天童荒太

まず最初に。この作品、天童荒太氏の単行本『家族狩り』を文庫版にするに当たり、大幅改稿がされ、5部作として刊行されたもの。5部作、として刊行されている以上、5冊まとめて…ではなくて、1作ずつその感想を書き、全部読了した後に1部〜5部の感想を全て合わせた記事を書くことにする。

高校教師の巣藤浚介、刑事・馬見原光毅、児童虐待防止に勤しむ氷崎遊子。3人は、女子高生・芳沢亜衣の起こした生涯事件によって引きつけられて行く。そして、事件が起こる…。
第1部・『幻世の祈り』の感想を一言で言うと、「壮大なるプロローグ」といった印象だろうか。ここでは、それぞれの人物の紹介、そして、関連付けられていく過程。そして、事件の発生…で物語は締めくくられる。
『家族狩り』というタイトルの通り、テーマは家族。主人公たちもそれぞれ、家族にまつわるエピソードを抱えている。巣藤は、恋人と家庭を築くことに対して抵抗感を覚え、ギクシャクした関係に陥っている。馬見沢は、仕事にかまけた結果、長男を失い、家族を破壊してしまった。しかしながら、いや、だからこそ、家族に理想を抱く。氷崎は、児童虐待という悲惨なる家族をいくつも目の当たりにし、亜衣は表面的な家庭によって心を蝕まれていく。そして、一家惨殺事件…。
物語としては、始まったばかり。しかし、それぞれの抱えるもの、特に馬見原の家族の物語は立派に成立している。まだ、巣藤、氷崎の抱えるものはあまり見えてこない。事件と、それぞれの抱えるもの。それがどう繋がるか…。物語は始まったばかり…。
(06年8月20日)

BACK


遭難者の夢 家族狩り第2部
著者:天童荒太
麻生家の一家惨殺事件。その光景を忘れようと、巣藤は酒に溺れていく。事件を耳にした氷崎は、その一家の家庭内暴力があったことに心を痛める。捜査する馬見原は、息子による惨殺とその後の自殺という結論に一人反対し、孤立していく…。
第1部は、衝撃的な事件で終わるが、今回は、そこから。当然、第2部の中心はその事件が中心になる。…と言いながら、実は、それぞれの主人公たちが、それぞれの矛盾を表に出していく過程と感じられた。
衝撃的な光景を見たことがきっかけになり、酒に溺れ、さらにある事件にも巻き込まれる巣藤。麻生家の事件に、教師でありながら関わろうとしなかったことを責められ、酒に溺れながらも、その軌道を変えようと考える。しかし、一方で自分の育った家庭の経験から、恋人と家庭を持つことには二の足を踏む、という矛盾を抱える。
事件の捜査で孤立しつつある馬見原。心の病を抱える妻を思いながらも、事件の方に没頭。さらに、過去の虐待事件から知り合った綾女と、元夫・油井の関係に私情も含めてのめり込んで行く…。
両者ともに、完全に矛盾した行動とは言える。一般論と私情の乖離とでも言うか。第2部では、事件が背景にはあるものの、事件捜査に関する大きな進展はなく、とにかくこの堕ちていく過程がひたすらにクローズアップされた印象だ。無論、氷崎、亜衣についても、状況の進展はあるのだが…。
第2部の最後では再び衝撃的な形で締められる。この繋ぎ方は巧みだ。
(06年8月23日)

BACK


贈られた手 家族狩り第3部
著者:天童荒太
麻生家に続いて起こった実森家の悲劇。巣藤は、麻生家に続いて関わった家での事件に、心を痛め、動き始める。馬見原は、何とか両者の共通点を探ろうと食らいつく…。
家族狩り5部作もいよいよ第3部。頁数から言えば、ちょうどここまでが前半戦と言ったところか。
物語が中盤に入ってきて、それぞれの立ち位置が少しずつ変わり始め、また、事件そのものの概要も大分見えてきた感じ。無論、私の予想が大外れという可能性も十分にあるわけだけど。
この『贈られた手』で注目すべきはやはり巣藤だろう。麻生家の事件、そして今回の実森家の事件を通し、無関心でいた自分を食い、様々な葛藤が訪れる。しかし、ただ、それで行かないのが現実と言うか…。作中に「「愛してる」の一言でいきなりハッピーエンドに嫌気が…」というような部分があるが、まさにその通り。巣藤の変化はあっても、それは全て空回り。動けば動くほど追い込まれて行く過程はまさに「ピエロ」…。
堕ちていく、と言えば亜衣。表向きの家族の中で追い込まれ、悪化して行く摂食障害。しかし、それが更に追い詰めて行く。綾女と妻との間で揺れ動きつづける馬見原…。
事件の概要は見えてきたが、全ての結末は未だ見えず…。
(06年8月26日)

BACK


巡礼者たち 家族狩り第4部
著者:天童荒太
一人、事件を追う馬見原のもとへ巣藤から連絡が入る。事件を繋ぐ筋を見出した馬見原は、ある人物を調べるため、急かを取り妻と共に四国へ向かうが…。一方、自分が保護した玲子のことを心配する氷崎は、玲子の父・駒田との間に新たな火種を作り始める…。
ストーリーも後半にはいり、一気に事態が加速してきた印象。
妻・佐和子と綾女の間で揺れ動く馬見原。四国への捜査を兼ねた旅行である結論を得る。しかし、そのままハッピーエンドといかない辺りが辛い。綾女には綾女で、どんどんと油井の影が迫る。駒田と氷崎のやりとりも佳境に入ってきている。玲子との生活を取り戻したい駒田。駒田のやりなおしを願いながらもどこかで信頼しきれない氷崎。そして…。どんどん症状の悪化していく亜衣…。
3部で見えてきた事件を繋ぐ糸は、どんどん大きくなってきた。事件そのものの概要は既に見えてきたといっても良いかも知れない。けれども、それと同時進行で進むそれぞれの物語は全く先が読めない。全てにおいて、はっきりとした結論というのは有り得ないかもしれない。けれども、それぞれがどう決着をつけていくのか…。5部は、最長の約500頁なわけだが、これで足りるものなのか…?
とにかく、最後までぐんぐん引っ張ってくれるなぁ…。
(06年8月30日)

BACK


まだ遠い光 家族狩り第5部
著者:天童荒太

駒田に刺された氷崎。彼女を見舞う巣藤と、二人の心は次第に近づいていく。綾女を巡り、油井と争いを続ける馬見原は、決着をつけるべく動く。大野と山賀、二人は哀しみを抱えた家族を救うべく家の扉を叩く…。
いよいよ最終巻ということで、これまでバラバラに同時進行していた物語が一気に収束していく。あるものは、アッサリと、あるものは執念深く。
それぞれの主人公の「その後」まで含めて描かれるわけだが、やはり最後にクローズアップされるのは、大野夫妻の物語だろう。第4部で一応の物語は説明されていたものの、彼ら自身が語る物語は、客観的なそれとは一線を画す。しかも、そこには客観的な目で見る読者からは、大野夫妻が、狂信的に道を踏み外して行く様がよく見える。しかし、その言葉すらも彼らには届かない。
その哀しみの物語とも言えるのだろう。

ここからは1〜5部、全てを通して。
『家族狩り』というタイトルのとおり、本作のテーマは家族。第1部のあとがきに「家族にもどろう、というフレーズにうさんくささを感じていた」との言葉があるが、まさに「家族」の抱える様々な問題を描き出したのが本作であると思う。それは、児童虐待といった直接的なものから、互いの無関心によるものまで幅広い。それぞれで一本の物語を描くことができる題材でありながら、それらを絡めていくあたりが見事。
当然、それぞれの登場人物にも家族観がある。自らの行動で家庭を破壊してしまいながらも、その家庭に対して強い終着を見せる駒田、油井。自らの教育方針によって、家庭を破壊してしまい、それでありながらも他の家庭を守ろうと奮闘する馬見原。そんな一方的な家庭の方針によって、家庭、世間に関わることを避ける巣藤。家庭内の環境で狂って行く亜衣。そんな家庭を外から見る形の氷崎…。それぞれにそれぞれの家族間があり、当然、どれが正しい、ということもない。そして、極端ではないにしても、それぞれの抱える問題に共感できる部分があるのではないだろうか?
やや終盤、まとめる部分であまりにもアッサリと解決し過ぎかな? という点。あまりにも綺麗なまとめだな…と思う部分はある。しかし、ここまで長い物語を最後まで読ませる力といい、よくできた作品だったと思う。
(06年9月2日)

BACK


包帯クラブ
著者:天童荒太
みんな、ちょっとした事でちょっとずつ傷ついている。体の傷は治す事が出来る。心の傷は? 少年少女たちは、心の傷を癒す為、傷ついたところに包帯を巻くことにした。
日常で出会う、ちょっとした言動、仕種…そんなもので心はちょっと傷つく。ほんの些細なこと。でも、体の傷でもちょっとしたもので、変な動きに成ってしまったりするように、心の傷だって色々と響いたりもする。そんな心を癒そうとする「包帯クラブ」の活動。けれども、その活動の中で、やっぱりそれぞれがちょっとした言動に反発したり、して傷ついたりもする。
「心の傷」は他人からは見えない。身体の傷ならば、客観的にその深さや酷さは理解できる。でも、心の傷は、他人からは見れない。他人には浅い傷でも、自分には深い傷かもしれない。「優しさ」って何だろう? そんなことをふと考えさせてくれる。
これまで私が読んだ天童作品と違って、本作には、大きな事件と言えるようなものがない。読んでいて、結末も何となく予想できる。だけど、だからこそ、そのちょっとした心の傷を得る少女の心情、その傷が思いのほか重傷になったりする様がリアルに映るのだと思う。
小説としては、かなり短い作品になるわけだけど、凄く爽やかな後読感を得ることが出来た。
(06年9月21日)

BACK


あふれた愛
著者:天童荒太
『とりあえず、愛』『うつろな恋人』『やすらぎの香り』『喪われゆく君に』の4編を収録。
これはあくまでも私の感覚であるが、天童氏の作品というのは、「家族」というものに主題を置く場合が多い。例えば、『家族狩り』などは、その典型であるが、本作も家族、身近な人間関係というものに焦点が置かれる。いや、衝撃的な事件がない分、より本質を突いているかもしれない。
本作に収録された4編は、それぞれ最小限度の登場人物しか登場しない。そして、その最小限度の登場人物が、それぞれすれ違い、傷つく、という様を描き出す。
妻の言った些細な言葉から、娘を虐待しているのではないか? と疑心暗鬼に陥り、すれ違って行く武史。心の病と戦いながら、結婚への準備を進めるも、妊娠という「うれしい」はずの事態で距離を感じてしまう香苗。目の前で死んだ男とその妻の心を考え、それによって恋人とすれ違ってしまう浩之。皆、些細な事件ではある。しかし、些細な事件であるからこそ、すぐそばにこれらのことが感じられるし、また、身近な存在であるからこそ、互いに傷つけ合ってしまう人間の弱さ、愚かさ、不器用さ…なんていうものを感じずにはいられない。
ただ、本作の良さは、それだけで終わらせないところだとも思う。それぞれ人間の弱さなどを感じさせる。しかし、それで終わらず、必ず皆、何らかの形で救いの手が差し伸べられる。そんなところに、「弱いところがあったって良いんだ」というメッセージ、そして、著者の「優しさ」を感じるのは私だけだろうか?
(06年11月3日)

BACK


永遠の仔 一 再会
著者:天童荒太

自らを省みず、老人介護の仕事に打ち込む看護師・久坂優希。どんどん名を挙げる若手弁護士・長瀬笙一郎。有能ではあるが、どこか危うさを感じさせる刑事・有沢梁平。三人は、かつてある病院で同じときを過ごした。そして、秘密を抱えている。そして、三人は再会する…。
以前、同じ著者の作品、『家族狩り』を読んだときも同じようにしたのだが、このシリーズは長いということ、5部作として作られている、ということもあるので1部づつ感想を書くことにする。
さて、この第1部であるが、まさしく「プロローグ」という印象。山登りの印象的なプロローグから始まって、優希、笙一郎、梁平の現在が描かれる。それぞれ、極めて普通の日々を送っている、普通の人々。しかし、その中に、それぞれ何かの危うさを感じさせる。そして、躊躇いも覚えつつの再会…。
第1部では、事件が起こった、というのを感じさせる描写そのものはある。だが、まだ事件そのものは表面化しておらず、それぞれの日常だけ。互いに「家」というキーワードが危うさの裏にあり、そして、精神病院での出会い。皆が抱えている秘密も(裏の内容説明では書かれているけど)まだわからない。
とにかく、この段階で何を言えばよいのだろう…という感覚が一番に残った。ただ、様々な展開が考えられる。そのワクワク感というか、予想の不可能性がひきつけてくれる。導入部としては十分、機能していると思う。
(07年5月8日)

BACK


永遠の仔 二 秘密
著者:天童荒太
聡志は、姉のかつての入院に疑念を抱き、四国へと旅立つ。そして、起こった事件…。優希、笙一郎、梁平の平穏な日常は崩れ始める…。
1巻のときもそうだったが、今回も3人の主人公…と、優希の弟・聡志の4人を中心とした人間関係が物語の中心。かつて、同じ精神科に入院していた3人。それぞれ、その事を隠しての生活。しかし、次第に、その秘密を隠し続けることが難しくなっていく…。
とにかく、この巻の中では、聡志も含めた主人公4人がどんどんと不安定な状況へと堕ちていく…ということだろうな。仕事を仕事と割り切っていた笙一郎は、それが出来なくなっていくし、刑事である梁平は、虐待を行っていると思しき母親に怒りを隠せず、しかも、自らの暴力衝動を高めてしまう。そして、優希、聡志も…。
そして、今のところ、メインのテーマとはなっていないところで起こっている事件の方も興味深いところではある。この事件が、3人の関係を白日の下へと晒すことになっていく…というのはわかるものの、一方で事件の背景に3人と似たような境遇があることは予想できるところ…。
作中ではまだ繋がっている、ということも知られていない事件、そして、4人の行く末…これらがどう繋がっていくのか興味深くなってきた…。
(07年5月12日)

BACK


永遠の仔 三 告白
著者:天童荒太
燃え上がる久坂家。火事の現場からは、優希の母・志穂の遺体が見つかり、弟・聡志は行方をくらませる。その状況に傷つく優希。そして、その優希を巡り、笙一郎、梁平の気持ちもすれ違っていく…。
物語も折り返し、そして、これまで語られていた様々な謎の部分も少しずつ明らかになり、本格的に動き出した印象。
物語の中心は過去の出来事。病院での、登山療法を支えに日々をすごす優希。しかし、その希望に対しての両親の思惑は異なる。そして、その結果としてついに語られる優希の抱えたもの、笙一郎、梁平の抱えたもの…。
この3巻に関して言えば、収録される3つの章の構成が上手い。現代のパートで語られるのは、優希、笙一郎、梁平の3人の関係がどんどん崩壊へと向かって動いていく様。しかし、それとあわせるように語られる過去のパートは、3人の関係がより強固なものへとなっていく過程。17年という時間を挟んで、丁度、正反対に動いていく様が描かれることで、より皮肉な、より哀しい印象を鮮明にさせているように感じる。シリーズで最も短い巻ではあるものの、そこでの計算はしっかりと機能しているように思う。
ついにハッキリと語られた3人の抱えているもの。素人目にも劣悪といえる環境で育った笙一郎と梁平。一見、平和で問題なさそうな家庭に育った優希。笙一郎と梁平のそれも重いのだが、優希のそれは、「どこの家でも起こり得る」というだけによりそのリアリティ、怖さを呼ぶ。
まだ、事件そのものが何なのか…という部分から謎は多い。終盤に向け、俄然盛り上がってきた。
(07年5月18日)

BACK


永遠の仔 四 抱擁
著者:天童荒太
姿をくらませたままの聡志。彼を追う梁平は3人の関係の終わりを感じつつも、一方で、そのことに一つの安堵を覚えていた。家を失った優希の手当てをする笙一郎。彼は、再会から、自分自身が変わりはじめていることを自覚する。優希は、仕事に没頭しつつも、聡志の言葉が頭を離れない。そんなとき、聡志が…。
いよいよ話も後半。4巻は3巻とは一転して現代が中心に。秘密を共有した3人それぞれの対比が、より克明になってきた。
母、そして弟を喪った優希。次々と周囲の人々を喪っていく状況へと自暴自棄になっていく状況。しかしながら、彼女自身には最後に光が射す。決して良い状況とは言えないのだろうが、彼女については、一筋の光が見え始める。その一方で、笙一郎と梁平はさらに複雑な状況へと進んでいく。聡志の問題、自らの変化による仕事への意欲の減退、そして病床の母…と次々と問題を抱えて追い込まれていく笙一郎。優希、奈緒子、二人の女性を傷つけてしまいながらも一方で安堵も覚える梁平。養父母の言葉によって、そんな状況からも希望を見出した直後に訪れる悲劇…。希望が見えてきた優希と、そうでない2人…という対比だけでなく、全く希望が見出せない笙一郎と、現れた希望が目の前で破壊されてしまった梁平。この対比も大きい。どちらが苦しい…というよりも、どちらも苦しい…。主人公3人の関係が一貫してこの作品の中心に添えられているわけだが、それぞれに全く違った状況に置かれて、それぞれがどうなっていくのか気になる。
一方の過去のエピソード。秘密を共有していらい、安定してきた3人の状態。そこに現れるのは「退院」の文字。しかし、「退院」は優希にとって地獄ではない。そんな状況で、考えたのは…。現代のパートとは反対に、過去のパートは淡々とした印象。ただ、その中で、作品冒頭のシーンへ向けてラストスパートに入ったことを感じさせる。
現代パートの3人が、ここからどうなるか? 置いておかれた事件は? そして、過去の物語…最終巻に向けて、俄然、盛り上がってきた。
(07年5月22日)

BACK


永遠の仔 五 言葉
著者:天童荒太
母に続き、弟も喪った優希だったが、岸川夫妻の言葉に一筋の光を見出す。そんな彼女に、梁平の恋人・奈緒子が殺害され、梁平が失踪したことが伝えられる。そして、笙一郎もまた、様子がおかしく…。
全5巻というシリーズもいよいよ最終巻。4巻で、それぞれの置かれた状況が鮮明になって、一気に加速…と、同時に物語としての着地点も次第に見えてきた…と思っていたが大間違い。最後の最後に来て、これだけの展開を見せてくれるとは思わなかった。
「優希の父・雄作を殺す」という「目標」へ向かって進んで行く18年前の3人。その目標のために、退院の準備をし、また、そのことによって再び病状の落ち着いていく…。そして、当日…そのとき…。で、場面は切り替わり、いよいよ事件の真相へ…。
ミステリー作品としてみても、終盤のどんでん返しに次ぐどんでん返しは見事。それぞれが心に秘めた18年前の秘密。その秘密から出発したことで次々と引き起こされた悲劇。普通、こういうどんでん返しの連続は、それを繰り返すことによる快感を覚えるものなのだが、今作に関してはそれがない。それは、ミステリーとしての欠点…ではなくて、どんでん返しに次ぐどんでん返しによって明かされるのが、それぞれの抱えていたもの。そして、それが明かされるたびに露になるのは、それぞれがボタンの掛け違いをしていたことと、それが悲劇の引き金になってしまったことだから。それぞれが想いを閉じ込めていたからこそ…という結末は哀しすぎる。
文庫で5巻、「家族」がテーマ…という意味では、『家族狩り』とも通じるものがある。ただ、衝撃的な事件、衝撃的な出来事によって一気に突っ走った『家族狩り』と、主人公3人の思いを中心にじっくりと描いていった本作ではその色合いが全く異なる。どちらが良い、というわけではないが、丁度正反対の印象を抱いた。
4巻のときに「この部分はどうなるのだろう?」と書いた、殺人事件の部分の解決に関してはちょっとアッサリとしすぎていたかな? と感じたところがないでもないが、それを差し引いても十二分に高く評価したい作品であったと思う。
(07年5月29日)

BACK


ビーストシェイク 畜生どもの夜
著者:戸梶圭太

稀少動物のオークションに集まる大金を狙う強盗。ひょんなことから、そのリーダーとなった職業犯罪者・鉤崎はその準備を開始する。そのオークションには、動物の所有・飼育に執念を燃やすジャンキーたちが集う…。
いやぁ…病んでるなぁ(笑)  何はともあれ、そう思う。
強盗計画を立て、その準備をしていざ決行。しかし、思わぬ形になって…という話の流れそのものは、極めてオーソドックス。それ自体は、決して目新しいものじゃない。
けれども、「病んでいるなぁ」とずっと思わせるだけのものがある。
とにかく、登場人物が変態だらけ。主犯である鉤崎自身はまだしも、その仲間たちは揃いも揃って、何とも安っぽい人々。でも、これもまだ弱い。それ以上に強烈なのが、オークションに集う人々。生活費を全てかけて動物収集を行う者、動物に噛まれたりすることに至上の喜びを見出す者。外では厳格なヤクザながら、家では動物収集に全てをかけている者。みんな変態ばかりだ。ついでに言えば、オークション会場両隣の二人も変人だ。とにかく、この面子で物語が進むのだから、常識通りにいくわけがない。
とにかく、変人が沢山いて、妙にテンションが高く、非常にあっけらかんとスプラッタ描写やら何やらが展開される。そして、ブラックユーモア。初めて戸梶作品をよんだわけだけど、みんなこんな感じなのだろうか? 良くも悪くも、その個性だけはよくわかった。

そう言えば、この作品は、シリーズ2作目になるらしく、この前段階のストーリーがあるらしい。今度は、そちらを読んでみよう。
(06年8月11日)

BACK

inserted by FC2 system