新本格魔法少女りすか3
著者:西尾維新
夏休みが始まって1週間。佐賀を旅立ち、福岡を訪れた創貴、りすか、ツナギ。『六人の魔法使い』の二人目、地球木霙をアッサリと倒し、旅は順調。が、そんな創貴の前に、『六人の魔法使い』最後の一人、水倉鍵が現れる…。
約1年ぶりのシリーズ新刊。次の新刊はまた来年?(苦笑)
ということで、これまで基本的には1話完結だったこの『りすか』シリーズだったのだけれども、今回は物語りも核心に近づいて、かなり1話1話のつながりが濃くなってきた印象。水倉鍵によって伝えられた、水倉神檎の計画の概要。りすかの存在の意味。そして、矢継ぎ早に仕掛けられる『六人の魔法使い』からの攻撃…。一気に物語が進んだ印象。
『部外者以外立入禁止!!』のりすかをめぐる創貴の決断と、それを拒むりすかの台詞とかも印象が強いのだけれども、それ以上に驚いたのは、『夢では会わない!!』の話。最初、番外編かと思いました(笑) これまででも多少出ていたことではあるんだけど、何だかんだで創貴もまだまだ子供なんだな、と思わせるところが多くて(ある意味)安心。きずなさん、良いキャラしてるよな〜…とか、そんなことを思いながら読んでしまった。
そして、この終わり方…。次の巻が、最終巻っていうことなんだけど、次の巻出るのいつですか? 『刀語』シリーズとかで忙しいのはわかるんだけど…こちらのまとめも、早いところお願いします。…と、切に願うところ。
(07年4月9日)

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ニンギョウがニンギョウ
著者:西尾維新

書評を書くのは書籍を読んでしまったからだ。私は平素より著者情報については淡白を貫く主義なので、西尾作品を読むのも実に五ヶ月ぶりのこととなり、感想を書くのも、矢張り五ヶ月ぶりだった。
と、いきなりこんなわけの判らない書き出しで申し訳無い。なんとか字数を誤魔化そうと、作品の冒頭を私の読書経験に置き換えてみたわけで。とりあえず、文章のイメージだとかをご理解いただければ、と思う。
作品の概要としては、23人の妹を持つ「私」が、見に行った映画で「熊の少女」と出会い…という話。いつも死ぬのは17番目の妹。逆さまに上映する映画館では、自らも逆さまになって映画を見る。腐り出す右足。ガラスの雨…。不条理とでも言うか…。
まぁ、その何だ…。これまで、色々と言葉を重ねているんだけど、つまりは…だ…。訳わかんねぇってこと(笑) 純文学とか、何とか、まぁ、早い話が私には向かないってことだ。それぞれのものが、何かを表しているのかもしれない、そうではないのかもしれない。書いてあるものをそのままイメージしても訳がわからなくなるだけ。そんな作風をどう捉えるか…が、評価の分かれ目になると思う。
正直、こういう作品、私は苦手である、ということだけを認識させられた。
(06年4月2日)

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不気味で素朴な囲われた世界
著者:西尾維新

退屈な日常を嫌う串中弔士。時計台の壊れた上総学園中等科の3奇人や、病院坂迷路先輩らとの付き合いを持ちながらも、そんな欲求にかられていた。そして起こる事件…。
『きみとぼくの壊れた世界』の姉妹作ともいえる作品で、その登場人物・病院坂黒猫も登場するわけだけど…別に単独で読んでも大丈夫そうだな、これは。
なんていうか…西尾作品もそれなりには読んでいるつもりではあるけど、その中でも最もスッキリとした形になっている作品じゃないかな? と言うのがまず思ったこと。物語の舞台は、上総学園と言う時計台が象徴的な学園。そこで起こる事件と、真相究明に動く弔士と迷路。そして…と。
最初から最低限度しかいない登場人物に、ある意味ではお約束ともいえるトリック。形式ではしっかりと「本格ミステリ」ではあるんだけど、ただそうなのではなくて、しっかりとアンチ本格とでも言うか、皮肉たっぷりのやりとりが個人的にはツボ。確かに、「そうだよな」とか感じる部分は多いし。そして、最後の最後に現れる真相部分の何とも苦い結末も含めて、良いね。
西尾維新作品、最近、やたらと刊行されまくっていて、正直なところ、追いつけてない部分はあるんだけど、このシリーズは、ずっと追いかけたいと思ってる。
(07年10月23日)

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化物語・上
著者:西尾維新
高校2年と3年の間の春休み、ある体験をしてしまった阿良々木暦。ある日、そんな彼の元へ倒れ掛かってきた少女・戦場ヶ原ひたぎには、体重と呼べるようなものがなかった。そして…
と言う一応、連作短編集。
なんつーか…西尾維新節炸裂! ってな感じですな。
物語としては、主人公・暦が、怪異に取り付かれた少女・ひたぎと出会い、恩人でもある忍野の助言を借りながらも怪異と向き合い…っていう、京極堂シリーズとか、そんな感じ。『りすか』シリーズ的な言葉遊び的な要素とか、そういうのもあるんだけど…殆どが、登場人物との漫才状態(笑) 「馬鹿な掛け合いに満ちた楽しげな小説を書きたかった」と言うあとがきの通り、殆ど、掛け合いのシーンしか記憶に残ってない。
ひたぎは、暴言とかいいまくるし、真宵は真宵ですげぇこと口走ってるし、駿河さんは駿河さんですっげー性癖の持ち主だし。いや、私、そういう属性の人好きですよ?(ぇ)
どれでも、基本的には掛け合いが楽しい、がメインに来たんだけど、ひっくり返し方の上手さとか、どれが好きか? と問われれば3編目の『するがモンキー』かな? 作中で最も長い、ってこともあるんだけど、掛け合いの楽しさだけでなく、最後のバトルの熱さとかもあって満足。
下巻の方も手元にあるんで、すぐ読むつもりだけれども、まだ「ザ・委員長」の羽川さんとかが目立ってないし、その辺りに期待しよう。
(07年11月29日)

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化物語・下
著者:西尾維新
『なでしこスネイク』『つばさキャット』の2編を収録。
上巻もそうだったけど、下巻も相変わらず、凄まじい掛け合いの応酬。下巻になて、ひたぎの出番がかなり減ってしまったわけだけど、代わりに駿河とか、ブラック羽川とかが大活躍。八九寺もかなりのものだけど…。
やっぱり、駿河、すげぇキャラだな。なんていうかね…ここまでわけのわからない属性が積み重ねられると、最早、感心するしか…。てか、どう考えても、こいつらの掛け合いを必要最小限にすると、作品の分量が半分くらいになるよな…。無論、そうなったら、作品の魅力も半減すると思うんだが。
上下巻の下巻ということもあるんだろうけど、どちらかと言うと、ただ、事件に首を突っ込もうとしていた阿良々木の、その状態に対する問題だとかも出てきて、シリアスな部分はシリアスな部分できっちりと出している辺りは流石。
あとがきで触れられているけど、確かに、趣味で書いた、っていう部分が強いんだろうな。ここまで徹底的に、くだらない掛け合いに終始するような展開を、「割り切って」書くのは難しいと思う。でも、小説とかに関しては、そういうほうがらしらが前面に出てくる、と言う好例じゃないかな。
これで終わってしまうのは、ちょっと勿体無い気もするけど、そのくらいの方が良いのかな?
そういや、中身に殆ど触れてないな(ぉぃ)
(07年11月30日)

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かのこん
著者:西野かつみ

田舎から都会の学校へと転校した小山田耕太は、転校したその日に、学校一の美少女と呼ばれる源ちずるに呼び出されて…。しかも、彼女は実は…。
結構、人気の有るシリーズだし、ってことで読んでみた。うん、ベッタベタ(笑) でも、ベッタベタではあるんだけど、悪い意味ではない。これはこれでアリだと思うし。ステレオタイプといえば、その通り。ただ、その良いところを上手く切り取っているな、という風に思う。
キャラクターで言うとね…たゆらが可愛いよ、たゆらが。いや、私、ソッチの気はないけど。耕太とちずるの二人を見ながらな微妙な感情に揺れている様が凄く可愛い(笑) …あー…たゆらって、ちずるの弟(?)だから(ぉぃ)
ま、デビュー作っていうこともあって、少し展開の粗さみたいな部分はあった。また、シリーズ1作目ということもあるのだろうけど、全く開かされていない部分がある。その辺りは今後に期待、ってところかな。
とりあえず、感触としては悪くなかった。
(06年8月4日)

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天使の傷痕
著者:西村京太郎
恋人とやってきたハイキングで、新聞記者・田島が見たのは、男が殺害される場面だった。男は「テン…」との言葉を残して絶命した。被害者・久松は、性質の悪いトップ屋で、「天使は金になる」という言葉を残していたことが判明。捜査する刑事・中村は、久松の部屋からエンゼル片岡というストリッパーを発見する。一方、事件を目撃した田島もまた、独自に調査を開始し…。
第11回江戸川乱歩賞受賞作。
西村京太郎氏といって思いつくのは「トラベルミステリ」「時刻表トリック」と言ったもの。十津川刑事シリーズを始めとして、現在のテレビドラマでは欠かせない存在と言って良いと思う。そんな西村氏のデビュー作は、非常にオーソドックスな社会派ミステリ。
「天使」というキーワードを元に事件を追う刑事と新聞記者。双方が独自の捜査をしながら進んで行く展開。そして、犯人が捕まりつつも明かされない動機。そこにあるのは…。こんな流れを見ても、非常にオーソドックスな流れと理解していただけると思う。実際、(業界の暴露的要素はないものの)近年の乱歩賞などの作品などのお手本となるような流れで、スムーズに読むことが出来た。また、そこで提起される問題などについても、40年前の作品にも関わらず決して過去のもの、と言いきれないものと感じられた。
一方で、非常にオーソドックスな流れと、かなり露骨な伏線の張り方などから、意外なほどに意外性が感じられなかった。これは、後発の多くの作品を読んでいることが影響しているのかも知れないが。次に、頁数の関係もあるのだろうが(当時の乱歩賞は、近年の乱歩賞作品の4分の3程度の長さしかない)、ややご都合主義的な部分がある。もう少し、この辺りに書き込みがあれば、と思う。最後に、殺害トリックが曖昧なままにスルーされてしまっている点。前2つについては、欠点とまではいかないが、最後の部分はもう少し説明が欲しかった。
とは言え、後の西村氏の活躍を予感させるだけものは感じる作品だった。
(07年1月18日)

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二四〇九階の彼女
著者:西村悠
無数の階層が連なり、「塔」のようになった世界。神の代行者アントロポシュカたちによって、それぞれの階は運営されている。僕・サドリと、言葉を喋るカエルは、そんな世界の外を目指し、下へ下へと降りていく…。
作品の形で言えば、連作短編集。外の世界を目指し、塔を降りていく僕とカエル。世界を構成するにはあるルールがあり、それは、まず、世界はアントロポシュカという「神の代行者」によって運営されている。そして、各世界には必ず「門」という場所と「鍵」という人物がいて、「鍵」という人物を「門」へと連れて行くことによって、次の階層へと降りることが出来る。というもの。それ以外は、各階層ごとに全く違う世界を形成している。ただただ戦争を続ける世界。何万、何億もの可能性を記した図書館の世界。人々がカエルになってしまった世界…などなど…。
「優しくて残酷な、神様と世界のお話」と、説明にはあるんだけど、全体を通してみるとその「残酷」さがすごく感じられた。「人々を幸せにする」ために作られたはずのアントロポシュカ。しかし、その運営する世界はそれぞれ、何かが狂っている。主人公・サドリとカエルは、その世界の住人ではあるものの、その世界に疑念を抱いているし、また、各世界では「よそ者」であるがゆえに、その狂いが良く見える。比較的、読者と近い存在。だから、それを感じ、おかしい、とも感じる。けれども、それは決して、その世界の人々には伝わらない。それが「当たり前」だからこそ。そして、それに疑問を抱いたりした人々に待っているものも…。とにかく、その「痛さ」っていうのが、物凄く感じられる。それだけに、カエルの世界は、物凄くほっとできる良いアクセントにもなっている(笑) まさか、カエルが「○○○」だなんてねぇ…(笑)
読んでて多少、その世界のルールであるとかが頭に入るまで時間がかかる、と感じた部分はあった。けれども、それもある程度読めばクリアできると思うし、なかなか独特の味があって面白い作品だと思う。
(07年3月31日)

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声に出して読めないネット掲示板
著者:荷宮和子

どうしようかなぁ…コレ。一言で言えば、どうしようもない。
著者は匿名掲示板の利用(2ちゃんねるの話が多いので、2ちゃんねらーだろうが)を「『負け組』が憂さ晴らしでやっている」とし、それを元に様々な要素に切り込んで行く。
…が、そもそもの分析からして、全く根拠が無いし、そこから更に、社会問題にまで言及してしまうため、完全な妄想のレベルへと達してしまっている。しかも、誹謗中傷などを批判しながら、自ら誹謗中傷を行っているのだから始末におえない。

あまり言及する気にもなれない書なのだが、最後に一つ言うのであれば、「2ちゃんねるは、負け組の憂さ晴らし」というのであれば、そこについて知った顔で語っている著者は何なんだろう?
(05年4月26日9

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若者はなぜ怒らなくなったのか
著者:荷宮和子

現在、若者を巡る経済状況は極めて厳しい状況にある。だが、彼らは怒ろうとしない。「決まったことは仕方が無い」とあきらめているためだ。なぜ、最近の若者は起こらなくなったのか…。
というようなところが、この書の主題になるのだろうか。脱線もやたらと多い気がするのだが。
この書を読んでいて、私はふと思うのだ。この著者は、ある種の天才じゃなかろうか、と。何の天才? それは、自己陶酔とか、我田引水っぷりとかの。何せ、本書の話の展開の仕方は「我思う、故に○○だ」である。「私には、○○と思えて仕方が無いのだ。でも、裏付けるデータとかはない。でも、正しいと確信している」と話が続き、次の段階では既にそれが自明の事として話が展開してしまう。自分で、思っただけの事が、次では前提にされても困る。
文章中、映画、アニメ、宝塚などを例に出すことも多いのだが、どれだけの人がその「例」を理解できたのだろうか? しかも、明かに著者の間違いもあるのだから手におえない。例えば、第一章で、『バトルロワイヤル』を出し、「なぜ高校生は、理不尽な教師を殺そうとしないのだ」と言い出す。しかし、遠隔操作によって爆発する爆弾をつけられ、実際に反抗した者が殺される、という描写がある。つまり「怒りたくても怒れない状況」に設定されているわけなのだが。しかも、小説のラストは、生き残った者が為政者を倒すために野に下る。どこが、著者の言う「決まったものは仕方ない」なのだろうか?
結局、著者の言うことをまとめると全くの主観のみに基づいて、今の若者・団塊ジュニア世代はおかしい。ダメだ。そして、それは、親世代である団塊の世代がおかしいからだ。その両者に挟まれた自分達の世代は、いつも少数派だったから割を食らってきた。だから、自分達の世代こそ一番正常なのだ、とでも言いたいのだろう。しかし、それは「無意味に偉そう」と著者が気って捨てた団塊の世代と何処が違うのか。そもそも、若者に影響を与えるのは親だけではない。団塊ジュニア世代より10歳ほど年上の著者だって、十分に影響を与える立場にいるわけだから。そこを忘れられては困る。

しかし、105頁で文章のプロがすべきことは「その文章を読んだ人が「不快」にならない類の文章をかけるようになる、という点もその一つ」には驚いた。根拠も無く散々、「今の若者はバカ」などと述べておいて何を言っているのだ。「ネットは匿名で言いっぱなしが許されるから、何でもかける」「本は、自分の名前を出すから責任が生じる」というけれども、責任が生じてこれとはねぇ…。匿名だったら、著者はどんなに凄いのだろう? そういや、『縦に書け』という書で、石川九楊氏も散々暴言を吐きまくったあとに「ネットはノリで書くから、とんでもないことでも書ける。紙に縦書きならば、自制が働く」とか書いていたっけ。どっちも、自分の文章を一度、自分の文章を読み返してみて欲しいところだが。
(05年11月10日)

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被害者は誰?
著者:貫井徳郎

いや〜・・・はっちゃけるなぁ・・・・っていうのが第一声。
良くも悪くも、他の貫井作品とは一線を画す作風。
どちらかと言うと、重いテーマの作品が多い著者だけに、ユーモアがふんだんに盛りこまれたこの作品には驚いた。
これまでにも、中篇集『光と陰の誘惑』収録の『二十四羽の目撃者』とか、ユーモアの盛りこまれた作品はあるわけだが、ここまで徹底的に、という作品(作品群)は珍しい。
勿論、トリックというか、仕掛けもしっかり施されていて、そちらも面白いのであるが。

4作が収録されているわけであるが、それぞれの仕掛けは、決して目新しいものではないし、ある程度すれた人間ならば予測がつく範囲内かもしれない。長篇でもないし、仕掛けられるものにも限界があるわけで、致し方あるまい。それでも、上手く落ちが聞いていて、十分に納得できる。

「本格小説」としても通用するわけだが、どちらかと言うと、全体的な作風などの方で、貫井氏の新たな一面を見出せた書のように思う。
(04年12月24日)

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烙印
著者:貫井徳郎

この作品をベースにして書かれた作品、『迷宮遡行』を先に読んだので、ストーリーの大体の流れ自体は理解している状態でこの作品を手に取った。そこで、『迷宮遡行』との比較で書いてみる。
両者の間での大きな違いと言えば、やはり最初と最後であろう。『迷宮遡行』では「行方不明になった妻を捜す」、というところなのだが、こちらでは「行方不明になった妻が、遺体となって発見された」というところから話がスタートする。また主人公・迫水も、『迷宮遡行』ではリストラにあって失業中の元サラリーマンだが、こちらでは警察官であり、その妻の死を契機に退職する、と言う形になる。
その後の流れとしては、ほぼ同様である。勿論、微妙なところで設定が異なっていたり、結果的には同じ内容であっても少しずつ言いまわしが異なるだとかはあるのだが。そして、ラストがまた大きく異なる。ラストに関しては、ネタバレになるのであまり言及するつもりは無いのだが、ちょっと苦しい、というのが感想だ。

正直に言うと、実は『迷宮遡行』に関しても不満点がなかったわけではない。だが、こちらと比較してみると明らかに完成度が高くなっている。例えば、主人公の設定。ヤクザに痛めつけられる主人公が、元警察官でした、というのと、リストラにあったサラリーマンというのであれば、サラリーマンという方がリアリティを感じるし、感情移入もしやすい。また、オチの部分に関しても、この『烙印』のオチよりも、『迷宮遡行』のオチの方がはるかにスムーズに感じる。勿論、『迷宮遡行』を読まずに、この作品を読めばまだ納得できたかもしれないが、反対となると、その違いがよくわかる。
あくまでも個人的には、作品そのものというよりも、この作品と『迷宮遡行』によって、著者の成長というものを感じた。…って、私などが偉そうに言う事でもないのだが…。
(05年4月17日)

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さよならの代わりに
著者:貫井徳郎

個人的に「貫井作品」は「ドロドロしたものが多い」と思っているわけだけれども、勿論、例外はこれまでにもあった。青春モノという意味では『転生』だとかもそうだし、『被害者は誰?』みたいに、ギャグを前面に押し出した作品もある。でも、同じ青春モノでも、『転生』とは全く別物だなぁ…という風には感じた。多分、ミステリとしての部分に主眼が置かれていないからだと思う。
劇団に所属している青年・和希はある日、劇団のファンだと名乗る少女・祐里に出会う。そして、その祐里は和希に「公演の楽日、看板女優の部屋に誰も出入りできないようにして欲しい」と頼む。そして、楽日…。
勿論、この作品中の事件にも一応の説明はつけられている。が、あくまでもそれは主題ではなくて、おまけ的な要素が強い。むしろ、祐里を巡る青春SFモノてきな部分が強いというか…。その辺りに重きが置かれていることも影響しているのだろう。作品全体として、これまでの作品には無かった爽やかさ、切なさのようなものが溢れている。確かに、貫井作品としては異色だ。他の貫井作品を好む人間としては戸惑うかもしれない。

そう言えば、『転生』も幻冬舎だっけ…。担当がそういう作品好きなのかな?(笑)
(05年6月13日)

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失踪症候群
著者:貫井徳郎

警視庁の捜査課が表立って動けない事件処理をする特殊チームの活躍を描いた「症候群三部作」の第1段。
環敬吾率いる特殊チームは、若者が失踪するという事件を追っていた。その調査の最中、メンバーの一人、私立探偵の原田は、娘に自殺未遂をされてしまう。そして、そんな中、事件が起こる。

貫井作品は、トリックを重視したものが多いのだが、この作品に関しては、そういう仕掛け・トリックというものは薄い。どちらかと言うと、スピード感、そしてドラマ性であるとかのエンターテインメント性を重視した印象。この作品にも社会派的な色はあるんだけれども、何よりもエンターテインメント性を重視しているいて、純粋に物語を楽しめる。
ただ、これは「三部作」の最初の作品と言う事があるんだろうけれども、序盤の人物紹介が、全く本編と関係の無い話が続く形でちょっと長い。そこが減点材料かな。
(05年6月17日)

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誘拐症候群
著者:貫井徳郎
警視庁の捜査課が表立って動けない事件処理をする特殊チームの活躍を描いた「症候群三部作」の第2段。
メンバーの一員であり、托鉢僧である武藤は、新宿駅の地下でティッシュ配りをしている男・高梨と意気投合する。が、ある日、その高梨の息子が誘拐されてしまう。犯人は、身代金の運び手に武藤を指名する。一方その頃、原田、倉持ら、環チームの他の面々は、「ジーニアス」を名乗る男が起こしている少額誘拐事件を追っていた。
症候群三部作の第二段にある作品なわけだが、比較的単純な構成であった『失踪症候群』と違い、2つの誘拐事件の同時進行という形を取る。この2つの事件が、どう交わるか、そして関わった人々…。内容的にも『失踪症候群』よりも、奥の深い作品に仕上がっているように思う。
ちなみに、この作品の中でインターネットを利用した誘拐事件、というものが出てくるのだが、これがなかなか面白い。この書は98年刊行と、丁度ネットが広まり始めた時期の作品なのだが、ハッカーだとかプログラマーだとかというようなものではない形での…という意味での先見性はあったと思う。リアリティも十分にある。そういう方面で見るのも面白いかも知れない。
(05年6月17日)

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