ミハスの落日
著者:貫井徳郎
面識の無い富豪から突如呼び出された平凡な青年・ジュアン。呼び出された先で彼が耳にしたのは30数年前、彼の母と富豪を巻き込んだ事件についてだった…。という表題作『ミハスの落日』ほか、海外を舞台とした短編5編を収録した短編集。
「○○さんらしい作品」という言葉は、非常にその作家に対して失礼な言葉であると思う。これはつまり、読んでいる人間が「○○さんの作品はこうなんだ」と決めつけ、それに適合しているかどうか、と判断しているからに他ならない。自分自身、良く使っているわけではあるが、少し反省すべきだなぁ…と思う。
と、言いつつ、敢えてここでは使わせてもらう。「この作品は貫井さんらしい短編集だ」と。
冒頭にも書いたように、本作に収録されている5編は全て海外を舞台にした作品。個人的に、海外を舞台にした作品というのは、地名を言われてもイメージが沸かないとかそういう理由で苦手な部分が多い。しかし、その一方で海外を舞台にしているからこそ、の物語もある。本作も、海外を舞台にしていなければ成立していないだろう。
インドネシアで起こる連続娼婦殺害事件を題材とした『ジャカルタの黎明』、カイロの観光ガイドが事件に巻き込まれる『カイロの残照』は、その土地の持つ事情・文化・慣習があってこそ成立する物語であるし、警察小説である『ストックホルムの埋み火』の仕掛けも日本でやろうと思えば不可能ではないが、やはり海外だからこその切れ味がある。『ミハスの落日』は、日本でも問題無い内容かもしれないが、アンダルシア地方の風景に実に溶け込んでいる。読み終わると、舞台はここしかないと感じさせてくれる。
無論、「らしい」と書いたのは、それだけではなく、それぞれに仕掛け、どんでん返しが用意されており、しっかりとそれが決まっているから。ここ最近の貫井さんの作品は、心理描写などに重点が置かれているけど…と感じる部分があっただけに、久しぶりにこういう作品に出会えた、という嬉しさみたいなものもある(それが、非常に失礼な物言いなのはわかっているのだが)。
素直にお勧めできる良質な短編集だと思う。
(07年3月10日)

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夜想
著者:貫井徳郎

不慮の事故で妻と娘を喪って以来、気力を失った日々を送る雪籐。そんなとき、ふとしたきっかけで不思議な力を持つ女性・遥と出会う。娘・亜由美との関係に悩む嘉子。娘のことを思う彼女であったが、ある日、その亜由美が自宅を出たことを知り…。
まず、内容とはあまり関係の無いところから書く。それは、貫井さんは、どうしてもデビュー作である『慟哭』の名前がまとわりついてしまうのだなぁ…ということ。『慟哭』と同じ東京創元社から出た『プリズム』『愚行録』の帯には、その名が出るし、また宗教を扱った『神のふたつの貌』もまた、『慟哭』との比較をされている。そして、本作も…。
本作のテーマは「新興宗教」ということになるだろうか。これは、『慟哭』と同様。導入もまた似ている。愛すべき家族を失った男。そんな男が、その世界へとだんだんと入っていく。これは、両作品に共通するところ。ただ、そこから先の展開は大きく異なるだろうか。
不思議な力を持つ女性・遥と出会った雪籐。遥の力に救いを見出した彼は、「誰かの役に立ちたい」という彼女の言葉に共鳴し、彼女の手助けをすることに。最初は、ほんの小さなサークルのような集まり。何もかもが手作り。しかし、その輪は少しずつ大きくなっていく。
作品の中心にいるのは、明らかに遥。一応は、「宗教」がメインテーマになるのだろうが、これはむしろあらゆる組織において言えることのように思う。発足当初の理想。しかし、動いていけば行くほど生まれるのは、様々な思惑。そんな中、一度動き出した組織はただ加速していくだけ。そんな中、理想に向けて抵抗を示していた雪籐自身もまた、加速していかざるを得ない。たの意味では、たまたま「宗教」だった、ということであり、また、一番、象徴的に動くのが「宗教」なのだろう…。
そんな作品も終盤に一変。「救い」とは何か? へとシフトしていく。雪籐のやっていたこと、雪籐にとっての救いとは? 雪籐にとって、かなり厳しい現実を突きつけられる形になりながらも、一筋の光を見出す結末の後読感は爽やかだった。
終盤の展開のさせ方は、ちょっと評価が分かれそうな気がするものの、「信仰」「救い」と言ったものをストレートに考えさせてくれる作品だと思う。
(07年6月10日)

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九月が永遠に続けば
著者:沼田まほかる

精神科医の夫・雄一郎と別れ、高校3年生の息子・文彦と暮らす佐知子。雄一郎のことが忘れられない彼女は、夫の再婚相手の連れ子にあたる冬子の恋人・犀田との関係に溺れる。そんなある日、文彦が失踪。翌朝、犀田が事故死する…。
ホラーサスペンス大賞受賞作、ということなのだけれども、ホラーではなく、純粋なサスペンス作品。
読み始めていきなり、主人公・佐知子の罪悪感というか、暗い情念のようなねっとりとしたものを感じたのだが、その雰囲気がこの作品の特色を上手く出しているように感じた。
犀田との関係に夢中となり、失踪した息子の変化に気づけなかった後悔。その中で起こる、息子へ対する疑惑。別れた夫へ対する思いと、現在の妻・亜佐実とその娘・冬子への思い。もともとの人間関係そのものが複雑であるのに、それが読み進めるうちにますます複雑になっていき、そこで次々と、人々の多面性みたいなものが垣間見えてくる…。そういう風に書くだけでも、かなり混乱しそうになるのだけれども、その辺りが、きっちりと整理されている辺りがお見事。
読み終えて感じるのは、やはり最初に感じた情念のようなものであり、そして、複雑に絡み合いすぎてどうにもならないという苦しさ。そして、結末もまた、救いとは感じられないもの。内容としてはかなり重い。ただ、それだけに、著者の力量は十分に感じられる作品だったように思う。
(07年8月8日)

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彼女がその名を知らない鳥たち
著者:沼田まほかる

かつての恋人を忘れられない十和子は、飲み会で出会った中年男・陣治と関係を持ち、そのままともに暮らすようになる。不器用で、うだつの上がらない陣治を嫌悪しながら、それでもずるずると過ごし…。
作品紹介のところでは「純愛サスペンス」と書かれていて、終盤は確かにそんな感じはある。あるのだけれども、それはあくまで最終的に、と言う感じで、作品の殆どは、十和子と陣治の日常にスポットが当たる。
かつての恋人・黒崎のことを忘れられずに引きずり、日々を無為に過ごす十和子。ともに住んでいる陣治のことを生理的に嫌悪し、徹底的に非難し、罵倒する。けれども、経済的にも、全て陣治がいるからこそ成り立つ。そんな十和子に、それでも尽くそうとする陣治。何か歪んでいる関係が見えるのだけれども、それが何かはわからない。とにかく、そんな二人の奇妙な関係が延々と描写されていく。実に、物語の中盤くらいまで、延々とこの感情移入の出来ない苦しい物語がつづられるので、結構、読むのは辛かった。
物語が動き出すのは、中盤、十和子が百貨店に勤める水島と関係を持ち始めてから。行方をくらませている黒崎を知り、水島の周囲で起こる事件。そこから少しずつ膨らんでいく疑惑。そして…。
とにかく、この作品の特徴であり(多分)魅力は、主人公・十和子の情念だと思う。著者のデビュー作『九月が永遠に続けば』の感想で、「ねっとりした情念のようなものを感じる」と書いたのだけれども、今作も凄い。多分、前作以上に、強烈なのではなかろうか。凄くさわやかな装丁になっているんだけど、中身は正反対。全く爽やかとは言い難い。そして、最終的に明らかになる陣治の情念もまた…。
前作もそうだけど、やはりこの作品も、ミステリーという部分はそれほど強くない。むしろ、そこでこれでもか、と言う心理描写が凄い。読んでいて、心底、疲れた(笑) ただ、それでも不思議と後読感は良かった。
(07年10月11日)

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殺し屋シュウ
著者:野沢尚

ヤクザよりヤクザらしい刑事である父を持つ修、通称「シュウ」は、母が父へ対し抱く殺意を感じ、父を殺害する。そして、母が身代わりになった時、シュウは、父の友人の下、殺し屋になった。

シュウの父殺害のエピソードから始まって、様々な「依頼」をこなして行く全7篇プラスエピローグという構成の短篇集。各々のエピソードでそれぞれ殺しが入るわけだが、派手なアクションがあるわけでもなく、また謎解きのようなものがあるわけでもない。殺すターゲットを調査し、準備し、実行へ移す。淡々とした流れの中で、シュウの心情、とくに殺害する相手へのものであったり、父へのものであったり…といったものが描かれて行く。
その淡々とした文体のためか、派手さがあるわけでもなく、迫力があるとも言いがたいのだが、そんな文体がシュウのロマンチストな印象を際立たせていて面白い。
(05年4月21日)

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破線のマリス
著者:野沢尚

第43回江戸川乱歩賞受賞作品。99年には、黒木瞳、陣内孝則らの出演で映画化もされている。

首都テレビのニュース番組「ナイト・トゥ・テン」で映像編集を担う遠藤瑶子は、とある事件を自らの捏造とも言える映像によって犯人を自白へ追い込むことに成功する。そんなところへ、郵政省官僚の「春名」を名乗る男が、弁護士殺害事件とある郵政省官僚の関わりを仄めかす内部告白のビデオテープを持ち込み…。
この作品も、江戸川乱歩賞によくある、業界の内部告白タイプ。著者、野沢尚氏は人気脚本家でもあるし、その通りに放送業界の話。
この作品。評価する場合に、2つの部分がポイントになる。
1つ目は、作品そのもののメッセージ性。この作品だと、いわゆる「報道の側の真実」というものがどのようなものなのか。「捏造」「やらせ」というものはどの程度まで許されるものなのか? 序盤、その放送で事件を解決する…というところから、一気に話に入り込ませる力強さは確かにある。
2つ目が、「ミステリ」としての評価。実のところ、この作品、これが物凄く弱い。というか、そっちに関しては、全く解決しないで終ってしまう。メッセージ性は認めるにしても、この部分がなんとも弱いものだから、逆にこの結末に肩透かしを食らわされる可能性は高いと思う。それをどう見るか…。
メッセージ性を重視すれば高く評価できるし、ミステリとしてのまとめ方を重視すると評価しにくい、そんな作品。
(05年6月20日)

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砦なき者
著者:野沢尚
『破線のマリス』の続編にあたる作品。
前回の事件から数年。責任を追及されながらも生き残ったニュース番組『ナイトトゥテン』で、売春の元締めとして紹介された女子高生が自殺した。彼女の恋人を名乗る青年・八尋樹一郎は、番組に恋人を殺されたと訴え、カリスマへとのし上がって行く。
『破線のマリス』が、マスコミ自身の暴走を描いた作品であるのならば、この作品は、悪意を持った者によってマスコミが利用されてしまう危険性を描いた作品。事件であるとか、自殺であるとかを「祭」として持ち上げるマスコミというものの機能。それが利用されてしまったらどうなるか…そういうメッセージが込められている。
が、正直なところ、人物が全く描けていない。八尋の登場、そして次にはカリスマになっているのだが、課程が一切不明。そんな状態で、いくらカリスマとは言っても、何の説明も無く、ただ命令一つで、多くの若者がその行動に従うように…っていうのは流石に納得できない。ある意味、作品の根幹となる部分だけに、それがダメということは…。
ちょっと、苦しいな…。
(05年6月23日)

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深紅
著者:野沢尚

会社経営の秋葉家を襲った一家惨殺事件。修学旅行中だったために、家族で唯一難を逃れることができた奏子は、心に深い傷を負ったまま成長する。大学生になったある日、奏子は、犯人に自分と同い年の娘がいることを知り、彼女への接近を図る。
第22回吉川英治新人文学賞受賞作で、05年秋には、内山理名、水川あさみらの主演で劇場公開も予定されている。
この作品もなかなかジャンルわけが難しい作品である。敢えて言うとすれば、心理サスペンスとでも言うのだろうか?
異論はあるかも知れないが、この作品、かなり前後半でイメージが異なる。小学校の修学旅行中のある夜、突如呼び出された奏子が事件を知り、続いて、犯人の供述調書と一気に畳み掛ける展開の前半に対し、成長した奏子が犯人の娘に接近する後半はゆっくりととした流れになる。勿論、両者がバラバラというわけではなくて、前半の畳み掛ける流れが、後半の心理描写の大きな伏線になっているわけであるが。この作品、後半が弱い、と言う評価をよく見るし、確かに、前半にあった衝撃的な事件に比べれば、後半に出てくる展開は小さな事と言える。でも、登場する人々にとってはどうか? と言えば、決して小さい事件ではないことはわかると思う。そして、その「小さな事件」に至るよう仕向ける「心の傷」こそが、この作品のテーマと言えるわけだし。
終盤に、多少、唐突な場面描写の挿入があるような感じがしないではないのだけれども、個人的に野沢尚作品の中でも1・2を争う傑作だと思う。
(05年7月20日)

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反乱のボヤージュ
著者:野沢尚
国立大学である首都大学キャンパスの一角にある古びた学生寮。大学側は早く取り潰してしまいたいところなのだが、そこに住む学生たちは気ままに暮らしながらも、反体制的な思想に酔っていた。そんな学生寮に対し、大学は舎監(管理人)として無骨な男・名倉を送り込む。寮の住人である薫平らは、名倉に反発するのだが…。
あくまでも私個人の主観なのだが、野沢尚作品というものに対する見方が変わったのがこの作品。私はこれまで、野沢尚作品というと、一つの典型的なパターンというものを描いていた。それは、序盤から読者の心を一気につかみ、そのまま全力疾走で駈け抜ける、というイメージである。映像を使った事件解決から始まる『破線のマリス』、一家惨殺事件という凄惨な事件で幕を開ける『深紅』、渋谷のスクランブル交差点の爆弾テロが象徴的な『魔笛』などがそれに当たる。この作品は、それとは全く趣を異にする作品である。
この作品でも事件は起きる。だが、それらは全て散発的なものであり、大した事件とは言えない。が、そんな事件を学生たちと名倉が反発し、あるいは協力して事件解決へと導き、同時に互いに信頼感を築いていく。そして、一番最後に待ちうける大事件へと加速的に進行して行く。
ジャンル分けをするのならば「青春小説」と言うのだろうか。テーマ自体も、お気楽で無気力な若者が、厳しいけれども真摯な大人と反発、協力しながら成長していく、というもので決して目新しいものではない。というよりも、古典的なテーマと言って良いかもしれない。が、それであっても十分に読ませるだけの力のある作品だ。
野沢尚氏のミステリ、サスペンス作品も面白いのだが(そうでなければ、追いかけていない)、こういう毛色の異なった作品ももっと読んでみたかった…と考えると、野沢氏の死が残念でならない。
(05年8月16日)

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リミット
著者:野沢尚

連続幼児誘拐事件を追う刑事・有働公子。その息子が誘拐される。公子は、警察をも敵に回して、息子の救出を計る。
こういう書き方が適切かどうかはわからないんだけど、この作品って、すごく映像的、というか、テレビ的だと思う(事実として、ドラマ化されたわけだけど)。
序盤は、誘拐事件の報告書という作品の形、それが公子の警察への裏切り、終盤は立て続けのアクションシーンと、とにかく目まぐるしく展開が変わっていく。しかも、臓器移植などの社会問題も描かれていたりするし。で、この作品の凄いことは、これだけ目まぐるしく変わっているのにも関わらず、全く違和感を覚えずに読める辺りだと思う。
実を言うと、一番最後にどんでん返しはあるんだけど、公子、誘拐犯、警察の3者の視点から物語が進むので、大体の目的だとかは、すぐにわかり、あまり驚愕の結末…という感じでは無いと思う。むしろ、公子の心情とかを楽しむべき作品じゃないかな? という風に思った。
序盤から一気に読者を引き込んで、目まぐるしい展開で最後まで読ませてしまう…野沢尚作品の王道とも言うべき作品じゃないかと思う。
(05年9月9日)

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烈火の月 The MOON IN A FURY
著者:野沢尚

有能だが、破天荒な刑事・我妻諒介、42歳。常に破壊を胸のうちに秘める。その破壊により、娘の心も破壊してしまった。そんな男の勤める愛高で、麻薬絡みの事件が起こる。
ジャンルとしては、アクション・ハードボイルドとでも言うのだろうか。我妻が、連続ホームレス襲撃事件の犯人の少年たちを(自主的な)囮捜査でぶちのめすシーンから始まって、常に暴力、硝煙、セックスと言った描写が続いていく。人口が急増している街という舞台、麻薬…と、事件もアンダーグラウンドの香りのするものばかり。そんな舞台に、破天荒な主人公が実によく似合う。そして、その中で、「正義」といものに関するテーマも綴られる。
こう言って良いのかどうかわからないけれども、ストーリーの展開、粗筋などに関しては、それほど個性的だとは思えなかった。といっても、著者の力量は流石で、それを全く弱点と感じさせない描写力があるわけだが。

ちなみに、単行本のあと書きで、今作と映画『その男、凶暴につき』、故深作欣二氏との話が綴られている。深作氏の1周忌にあわせて刊行された、などという話だが、今読むと、それがまた別の感想を抱かせる。何しろ、そのわずか半年あまり後に、野沢氏自身が自らの命を絶ってしまったのだから…。
(05年10月1日)

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ステイ・ゴールド
著者:野沢尚

修学旅行の前日、奈美はビルから身を投げた。修学旅行先でそのことを知った私、理沙、真琴は、生前、彼女が言っていた「永遠の友情」を与えるという「雫」を求め、密かに旅行を抜け出す…。
「野沢版スタンド・バイ・ミー」という名前がつけられているが、確かにそんな雰囲気である。
「雫」を求めて歩き出す少女たち。仲良しだった奈美の死を目の当たりにして、それぞれがその思いを語り、その言葉を語り、その行動を語り、少しずつ折り合いをつけようとあがいていく。そして、その少女たちを追いかける教師二人。古い付き合いであり、全く止まったままの状態の二人が、少女を追いかける中で少しずつ変わって行く…。全体を通して淡々としていて、なおかつ何か物悲しい、悲壮な雰囲気が漂っていながらも最後に何か温かいものを感じさせてくれる。
この作品は、著者が脚本を書いた映画を小説化したもので、既に発表から20年近い歳月が経った作品。著者が江戸川乱歩賞を受賞して、小説家デビューするのはこの10年後である。しかし、いきなり衝撃的な事件で物語を送り出すという形式は今後の野沢作品の特徴でもある。また、山の中をさまよう少女たち、というところは『呼人』の序盤に似ているし、修学旅行中に、というのは『深紅』とも共通する。個人的に、著者のその後の作品の原型を見ることが出来た、という部分を面白く楽しむことが出来た。
小説として考えた場合、(ヒロインが書いた私小説という形を取っているが)ヒロインにはわからないところまでヒロインの解説という形になっている部分にちょっと違和感を感じてしまったのがちょっと気になったが、とても優しい物語であると思う。
(06年6月12日)

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ふたたびの恋
著者:野沢尚
『ふたたびの恋』『恋のきずな』『さようならを言う恋』の3編(と、遺作のプロット)を収録。
うーん…これ、以前、『反乱のボヤージュ』を読んだときにも感じたことなのだが、やはり、野沢さんは、このような人々の心情を描かせるような作品で輝きを増す作家である、とことを再認識した。
タイトルにもあるように本作収録の3編は、恋を題材にした作品。それぞれの登場人物は、これでもか、というほどに少ない。『ふたたびの恋』は男と女の二人だけ。『恋のきずな』『さようならを言う恋』にしても、最小限度にとどめ、二人の関係を濃密に描く。それぞれの、登場人物の、特に主人公の抱える心情がしっかり描かれていて、感情移入させてくれる。
と、同時に、何とも言えない爽やかな後読感にさせてくれるのが魅力。決して、凄いどんでん返しがあるとかではなく、むしろ、これ以外に有り得ないと思う結末ではあるのに、そこに大いに説得力を感じさせてくれるのだから見事。
やはり、私は野沢尚作品が好きだ、ということを再認識させられた。
(06年9月28日)

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鳥は鳥であるために
著者:野島けんじ

他人の恨み・妬みなどによって発生した「呪」。
その「呪」を操ることができるようになった「呪受人」。
が、その力ゆえに、人々に忌み嫌われる。

ま、世界観そのものはアレだし、登場人物も明かに「萌え」を狙ったりしたような人物が多いわけだが、差別だとかそういうのの空気、そして、その当事者の抱えてしまったおびえだとは、共通している。
とはいえ、テーマとしてはややありきたりか・・・。
また、オチの部分は、最後の最後になって無理矢理次作に繋げるような形にしたか、はたまた、私の思いつきが結果だったか・・・。前者ならばちょっとなぁ・・・という感じだし、後者だと「無理ありすぎ」だし・・・。
(05年1月12日)

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鳥は鳥であるために2
著者:野島けんじ
小鳩の兄・倭を探す志朗たち。そんな志朗たちは、ある日、呪受者である毬藻と出会う。明るく、人見知りしないという意味で「呪受者」らしくない毬藻は、すぐに志朗たちと打ち解ける。だが、そんなとき、陸上部で「呪」による事件が発生。毬藻が陸上部の見学を良くしているということを付きとめるが…。
う〜ん…全体的な完成度は明らかに1巻より上かな? まぁ、1巻は、最後の最後で無理やり「次回へ続く」という形にしようとした感じで、最後が滅茶苦茶になっていただけ…という気もするけど。この巻では、この巻で一応は完結しているんだけれども、倭を探す…っていう方の本来の目的に関しては一切進行していないような…。今回、新キャラが出てきたわけなんだけれども、この調子で、どんどん増えて行く…とかないよなぁ…。
(05年7月25日)

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