漂流街
著者:馳星周
佐伯マーリオ。ブラジル系の父と、日系の母の間に生まれた日系3世。祖父の反対を押し切って日本へ出稼ぎへきたものの、待っていたのは劣悪な条件での労働。引き取り先の工場を飛び出した今は、娼婦の運転手兼ボディガード。そんな日々を送る彼が、ある日、中国人マフィアと関西ヤクザの覚醒剤取引の話を聞いて…。
第1回大藪春彦賞受賞作。
基本的なストーリーとしては、中国人マフィアと関西ヤクザの覚醒剤取引から、金を強奪し、そして、そのことで、ヤクザ、マフィア、さらには警察、南米人コミュニティ…と少しずつ追い詰められていく…というもの。比較的、シンプルではあるのだが、その中で描かれるマーリオの心理描写が秀逸。
日本というのが、外国人労働者に多くを依存する一方で外国人に極めて冷たい社会、というのは、知られたこと。その中でも、日本人的なメンタルを持つマーリオは、一際それを感じてしまう。「日本らしさ」を強調する祖父に反発しつつも、自分がその祖父そっくりの衝動的な行動に出て、孤立し、逃げ道を失っていく。そして、そんな自分にまた苛立つ。とにかく、その負のスパイラルが圧倒的なパワーで描かれる。日本で生まれ、日本で育った私には、正確にその苛立ちを理解できるとは言い切れないのだが、それでもこの苛立ち、怒り、そして絶望はびんびん伝わってくる。
作中では、常に暴力、セックス…そんなものが描かれ、万人向けとは思えない。けれども、それがなければこのマーリオの苛立ち、怒り、絶望は描けないだろう…というのも感じる。馳作品は、これが初めてなのだけれども、面白かった。
(07年7月20日)

BACK


ビッグボーナス
著者:ハセベバクシンオー

パチスロの情報会社トリプルセブンに勤務する東。殆どガセネタで大金を巻き上げる形であるが、実は大手パチスロメーカー・ダッシュ電子との繋がりもある。そんな東はある日、ライバル会社でヤクザとも繋がりがある東栄企画で、ダッシュ電子のパチスロの「本物の」攻略法が扱われていることを知り…。
パチスロ攻略情報の会社っていうだけでもそうなのだけれども、とにかくB級テイスト満載。そのB級テイスト溢れる世界観と、それを存分に生かした軽妙なやりとりがこの作品の最大の魅力だと思う。とにかく、この「営業トーク」だとかのやりとりと、その本心だとかの部分が面白い。私はパチンコ・パチスロはやらないんだど、競馬は好きでこの手の「情報屋」は良く見かけるので、「あ〜…こういう噂とか良く聞くよなぁ…」とか思いながら読み進めた。
ただ、ミステリとしては微妙かな? 何か色々な意味で「人工的」という感じが拭えなかった。ちょっとご都合主義的とでも言うか…。
とは言っても、このテンポの良さだとかはかなり魅力的だし、こういう作品が出てくるのは歓迎すべきことだ。

どうでも良いんだけれども、著者のペンネームは、サクラバクシンオー号から取ったものだと思うんだけど、この馬のファンだったのかな?(笑) まさか、ハセノバクシンオーとかじゃないだろうし(笑)
(05年7月23日)

BACK


ダブルアップ
著者:ハセベバクシンオー
違法カジノ店のオーナーである早瀬の元へと、幼馴染である悪徳警官の小林が訪れる。ドラッグジャンキーでもある小林は、1キロの覚醒剤を買わないかと早瀬へ持ちかける。早瀬はその持ちかけを断るが、翌日、小林は何者かに銃殺された格好で発見される。訝しく思う早瀬だったが、数日後、今度は知り合ったばかりのキャバクラ嬢・真理子が同じ覚醒剤を持ちこみ…。
まず、この作品では、ある実在の事件の存在がモチーフにされている。それは、01年9月に新宿・歌舞伎町で起こったビル火災。勿論、この作品は架空の話であるが、なかなか面白い仮説であるとは思った。
この作品、タイトルは『ダブルアップ』であるが、ギャンブルそのものの話は余り出てこない。ギャンブルそのものの話というよりは、違法カジノ店を舞台に、警察、麻薬取締官、ヤクザ…そのような者達の持ちつ持たれつの微妙な関係を中心とした形で話が展開していく。
この作品、主人公は、違法カジノ店のオーナー・早瀬であり、謎の事件が相次ぐ形なのだが、中盤に別の視点が加わり、読者はその時点で大体の真相を知ることになり、それがどう重なって行くのか、が話の中心へと切り替わる。そういうわけで、話の謎自体はそれほど難しいものではないのだが、スピード感あるテンポの良い展開で進むのでそれでも十分に読みつづけられた。
やりとりのノリに少し悪ノリが過ぎるかな? と思った部分が無いわけではないが、ミステリ作品としての完成度は明かにデビュー作『ビッグボーナス』より高いと思う。
(05年12月22日)

BACK


ビッグタイム
著者:ハセベバクシンオー
パチスロコンサルタント会社「プリンス」。ここで売られる高設定台情報が漏れているらしい。社長の東に調査を命じられた和泉は、ある会社の存在に辿りつく。行政法人に勤め、そこの金を使って競馬に興じる二宮は、その金の返還をする必要が出てくる。二宮の利用するノミ屋の社長・橋本は二宮をカジノに誘い…。
正直、読んでいて苦笑が止まらなかった。今作も、ハセベ氏らしく、パチスロ、競馬と言ったものを舞台にして、そこに携わる小悪党による、小悪党同士の駆け引きを描いた作品。皆、上手いこと相手から金を奪い取ってやろう…というある種の「ダメ人間」状態。そんな人々の中で物語が展開していく。
で、何が「苦笑」なのか、と言うと、私自身が「そうそう、この気持ちわかるなぁ…」と同意してしまえるところが、なのだ。
競馬情報会社の怪しげな文句。「絶対、こんなのガセだろ」と思いつつも、「もしかしたら?」という気持ちが出来てしまう。色々と迷うから、結局、最後の一押しを誰かにして欲しい。渡される情報が少なければ少ないで、「むしろ、これは自身の現れだろう」と勝手に好意的に解釈してしまう。流石に、私はそんなところに金を払うつもりも無いし、二宮みたいにはなっていない(つもりなのだ)が、心情的に理解できてしまうのだ。この辺り、流石に…と思わされた。
実際問題として、競馬のレースに関する「陰謀説」、「主催者の思惑が働いている」というようなものは多かったりする。そして、その話というのは、聞いていて面白い。あくまでも、ヨタ話として、であるが。そんな話を詰め込みながらB級テイストたっぷりに皮肉のようなものを取り入れながら進行する物語はやはり面白い。
難点があるとすれば、ルールの説明なんかが、文字通りの「説明文」になってしまっている辺りだと思う。バカラのルールであるとか、競馬の予想をする辺りだとかが、やけに「説明文らしい説明文」に思えてしまってちょっと浮いていたように思う。この辺り、もうちょっと上手く処理して欲しかったかな。
ただ、良い意味で、「これまで通り」で来てくれたのが嬉しかった。
(06年12月9日)

BACK


百万の手
著者:畠中恵
親友であり、兄のような存在であった正哉が目の前で焼死してしまった。哀しみに暮れる夏貴だったが、そんなとき、携帯電話から聞こえてきたのは正哉の声。火事は不審火。死んでしまった自分に代わり、真相を探って欲しい、という言葉に、夏貴は真相を探る…。
『しゃばけ』などのシリーズで、名前は知っていたものの、著者の作品を読むのは初めて。初の現代モノというの聞いており、期待して読んだのだが…うーん…。
冒頭にも書いたように、死んでしまった親友が声だけの存在になって戻ってきた。そして、一緒に、その死の謎を探る…というファンタジー的な要素を持ったミステリ作品…と思っていたら、途中からどんどん別の方向へと進んでしまって、その導入部分はなんだったんだろう? という疑問へと突き当たってしまった。
なんていうか…真相の際に突き当たる疑問であるとかについては面白い。本当にそれは許されるべきものなのか? それとも、許されざるものなのか? 真犯人の言い分も(やっていることはともかくとして)完全に否定できるものはいえない。不妊治療であるとかと、倫理であるとかの問題は考えさせられる…。
ただ、物語の展開のさせかたにはどうしても疑問が残るのである。つまり、このような導入方法をする必要性が感じられず、また、ネタバレではあるが、親友同志の友情という面が途中でなくなってしまうのがどうにも納得できないのである。もう少し前半を工夫すれば、もっと素直に物語を楽しめたと思うだけに、ちょっと残念な出来だった。
(07年9月24日)

BACK


農業で子どもの心を耕す
著者:蜂須賀裕子

学校教育で「総合学習」の時間が取り入れられ、また、「スローフード」などと言う言葉の広がり、さらには「食育」などの広まり。これらによって、子ども達の「農業体験」が注目されている。その農業体験とはどういうものなのか、多くの事例を紹介しながら、その意義を考える書…と言ったところか。
まず最初に断っておく。私は、この書に対して、かなり否定的な考え方をしている。それは、私自身が農村育ちで、「食育」なんて言葉がない頃から学校で農業体験をしたからかも知れないし、農村の生活を見ているからかも知れない。また、「農業は産業の1つでしかない」と考えているからかもしれない。とにかく、私のこの書を読んだ感想は「胡散臭い」というものだ。
まず、私が何よりも「胡散臭い」と感じたポイントは、「プロフェッショナルな農業」と言いながら、本書にある事例は悉く「イベント」「遊び」の域を出ていないことだ。
何故、私が「イベント」「遊び」でしかない、というかというといくつか挙げられる。まず、現実に即していない農業がされている点。次に、結局、年に数回のみの体験でしかない点。3番目に、「いかに盛り上げるか」「飽きさせないか」など、イベントとしてのやり方に終始している点である。
まず、「現実に即していない」というところだが、これは非常に簡単だ。未だに手で稲を刈って、千歯こきで脱穀して、石臼で精米して…なんてやっている農家はない、ってことである。「農業を通して、食を考える」なんて言いながら、誰もやっていない農業をしてどうするのだろうか? 本当に現在の農業の実態を考えさせるのならば、現実にやっているとおりにすべきである。稲刈り機で稲を刈り…なんていうのは味気ないかも知れないが、そうしなければ人件費などでとても農業がやっていられない現実などを教える方がよほど「現在の農業・食」を考える契機になるのではないか?
次に、年に数回のみ、イベントとしてのやり方に終始している、はセットで考えられる。本書で紹介される事例の多くは、週末に1日、それも月に1〜2日開かれる、という程度の頻度でしかない。しかも、毎回、違ったことで飽きさせないようにしよう、としている。これは「農業の本来の姿」なのか? 農業は、殆ど毎日のように代わり映えのしない日々を送ることになるはずだ。水田での稲作であれば、毎日、水の調整をして、雑草が生えないように除草して、育成具合を見て…というのをひたすら続けるのが農業だ。月に1度様子を見る、では到底足りない。いや、毎回変えているのだから、そういうことすら年に1度か2度かも知れない。それって本当の農業か?
無論、こういう反論があるだろう。「本物の農業」ではなく、イベントでも、体験を通じて、子供が何かを得られるのであれば良い。ごもっとも。ならば、子供の意見を検証しなければなるまい。だが、この書を読む限り、それが検証された様子はない。本書にあるのは、農業体験を勧める側の意見(こうなると思う。こうなるように願っている)ばかりで、肝心の子供の意見がない。いくつか、農業体験後の宿題として出た作文の意見などがあるだけだが、このようなところに子供の「本音」が出るとは考えにくい(学校の課題図書の読書感想文に、つまらない、最低だ、なんて否定的な意見を書き連ねる子供はなかなかいないだろう。それと同じ)。教育効果を言うのであれば、ちゃんとその効果について追跡調査を行い、結果を検証すべきではないのか? 体験させたがっている側の願望だけを載せて、「素晴らしい効果がある」などと言われても困る。
「食育」だとかで、語られる「理想」について私は反対するつもりはない。だが、本当に効果があるのかどうかの検証もせず、「良いはずだ」のみでひたすら賛美されてしまうことに私はどうしても「胡散臭さ」を感じずにはいられない。

なんか、恐ろしく長くなってしまった(苦笑)
(06年8月22日)

BACK


水の時計
著者:初野晴
何でもありの暴走族「ルート・ゼロ」。その幹部で、仲間内での争いを抱えている少年・高村昴は、事件を起こし、危機に陥ったところを芥と名乗る謎の男に助けられる。そして、芥に連れられて辿りついた閉鎖された病院で、高村は脳死と判定されながらも意志表示の出来る少女・葉月と出会う。
横溝正史賞の受賞作ではあるのだが、どうも読んでいて、ミステリーという感じがしなかった。いや、確かに、ミステリー的なひっくり返し方などもあるのだが、あまりそこを重視しなくとも良いと感じる作品である。
本作は、長編ということになっているが、どちらかと言うと、連作短編のような趣が強い。第1章で、昴が葉月と出会い、葉月の願いによって彼女の臓器を移植の必要な人々へ送り届ける・・・となった後は、昴によって臓器を届けられる側の物語へと移行する。
極端に視力の無くなった少女、人工透析の必要な女性、心臓疾患を抱える男…それぞれの事情を抱え、そこに臓器移植にまつわる壁が立ちふさがり、一つの物語として形作られる。と、同時に、そこを通して、昴少年の周囲が固められて行く。この辺りの組み合わせ方は上手いと思う。
正直、終盤のまとめ方は、不満が残る。しかし、『幸福の王子』の物語のモチーフ、ファンタジー的な設定を取り入れつつも、臓器移植にまつわる問題提起を行った意欲は買えるのではないだろうか?
(06年10月11日)

BACK


刑務所の風景
著者:浜井浩一

様々な事件報道から、ミステリー小説、犯罪を扱うものの多くは、裁判で刑が確定するまでである。だが、加害者の人生はそこで終わるわけではない。加害者の生活の場となる刑務所。法務省心理技官として、3年間の刑務所勤務の経験を元に綴った書。
刑務所。犯罪者を受け入れる施設。高い壁で阻まれ、一般社会とは全く異なった形で機能している社会。本書では、その前半で刑務所の主役とでも言うべき受刑者たちの実態を描き、後半、そんな彼らを扱う刑務官や刑務所のシステムと言った部分へと焦点を移していく。
まず感じるのは、自分の普段感じているものと刑務所の実態の乖離であると思う。「過剰収容」「治安悪化」などの報道から見える「凶悪な人々ばかり」と言うイメージと異なり、ここで描かれる受刑者たちの姿は「社会に見捨てられた存在」ばかり。高齢や障害、コミュニケーション能力の低さから社会から見捨てられ、罪に手を染めた者が殆どで、「若く健康でなければ勤まらない」経理夫すら不足している実態。中には、その「経理夫」であると認められることが理由で、刑務所への入所を繰り返す者まで…。
一方で、01年に起こった刑務官による暴行死に対する感覚。数少ない受刑者を受け入れ、そこをきちんと統制しなければならない立場と「人権保護」と言う言葉の間にある乖離。そして、刑務所という特殊社会が持つ特殊性。ただ「暴行はけしからん」と言うのではなく、それらを理解した上で議論しなければならない、と言う著者の言葉は非常に重い。
一般の企業や学校などと違い、刑務所は「犯罪を犯したものは全て受け入れなければない」施設。序章の言葉ではあるが、そこに社会の一端を垣間見ることが出来る。社会から排除された人々の最後の受け入れ先であり、そして、「不審者狩り」により、さらに増やそうとしているのであれば、それは哀しい社会と言う言葉しかないだろう。
本書に関して言うと、そんなことを感じたのであるが、そこまで考えずとも、読み物としても十分に面白いものになっている。単なる好奇心で読む、ということでもお勧めできる書だと思う。
(07年10月18日)

BACK


三年坂 火の夢
著者:早瀬乱
明治末期の日本。士族の生まれで、働きながら中学へ通う内村実之は、兄が腹に傷を追い帰郷したことを知る。出来の良い秀才で、東京の一高に通っていたはずだが、学校を辞め、学資も使い果たしてしまっていた。そして、その兄は「三年坂で転んで…」と言い残して死んでしまう。実之は、一高受験のためと上京し、兄の形跡を追う…。一方、不思議な夢をしばしば見ていた、予備校講師である高嶋鍍金(メッキ)は、東京全体を焼き尽くす為の「発火点」なるものの話を耳にし、調査を開始する。
第52回江戸川乱歩賞受賞作。同時受賞に『東京ダモイ』(鏑木蓮著)。
非常に独特の雰囲気を持った作品。何はともあれ、それを感じずにはいられない。
冒頭の、火災現場を駆け巡る車夫という奇妙な描写から始って、明治の日本の風俗、生活水準などと言う物が生き生きと描かれる。この舞台設定が非常に独特である。
本作の場合、基本的には兄の痕跡を探る実之の描写を中心として、ところどころで「発火点」を探る鍍金の描写という形で展開する。兄の死の真相を探る、という意味では、非常にミステリ作品らしくあるのだが、受験生として予備校探しをし、はたまた下宿の大家にハッパをかけられ、決して豊富ではない資金をやりくりして…と、入口としてはミステリなのだが、中身は当時の苦学生の姿を描いた青春小説という趣が強い。
東京という都市が、他の国々の都市と比較しても非常に広く、なおかつ、極めて無計画に作られた街、というのは良く言われることである。この作品の舞台は、明治期であるが、その後の太平洋戦争などを経た後もその名残は多い…なんていうのも事実(東京五輪の際、土地が無いから公園を潰してその上を首都高にしちゃった、なんていうのはその一例)。そんな東京という都市を「坂」というキーワードで見てみる、という面白みみたいなものもある。
ただ、先ほどもかいたけれども、まず、ミステリ作品としての印象が非常に弱い。実之の調査などはあるものの、空回りの外れとか、受験生としての悩みのような部分が多く非常に平板な印象。また、終盤、実之と鍍金が交錯して…となるわけだが、そこまでが本当に重ならず、なおかつ、重なったあとはやや強引に纏め上げてしまった印象。もう少し、この辺りのペース配分が巧くいけば…と感じた。
(06年11月8日)

BACK


サロメ後継
著者:早瀬乱
1994年4月。東京郊外のC市の産業会館で指を全て切断された男性の左手が発見された。妻、そして娘を精神的に追い込み、リストカットを繰り返すようにしてしまった、という経緯を持つ刑事・井出川は、会場で就職セミナーを行っていた「約束の地」という会社の代表・瀬川真理亜にある予感を覚える…。
早瀬氏というと、06年の乱歩賞作品『三年坂 火の夢』を以前に読んだのだが、それと同じ人が書いたのか、と思うくらいに全く別の雰囲気を纏った作品。『三年坂 火の夢』もまた独特の雰囲気を持った作品ではあるのだが。
バラバラ事件か? と思わせる物を追いかけるサスペンス、ミステリと形で始まる本作。バラバラとなって発見される人間の肉体。そして、その周囲で起こる事件。そして、カリスマ的な評価を集める女社長の会社と、ネットを駆け巡るある噂…と、段々と狂気の方向へと話が進んでいき、真相は…とにかくグロいとでも言わざるを得ないもの。
「欲望は伝播する」。周囲が買っているからつられて…なんていうのは、良くあること。「みんな持っているから」なんていう理由でものを買うのは誰でも経験があるはず。それを支配できたら、それを強烈に増幅できたら…。この作品の事件は「異常」の一言だし、生理的な嫌悪感も抱くものだけれども、その一方でそれを支配するというものの怖さも感じさせる。そして、ワイルドの『サロメ』をモチーフとしたまとめ方も上手いと思う。
多少、ページ数の割に様々な要素を詰め込み過ぎかな? と感じるところはあるにせよ、楽しめた作品。
(07年2月23日)

BACK


レイニーパークの音
著者:早瀬乱
明治36年。平凡な生活を営む元屋セツの元へ送られてきた一枚のハガキ。10年前、失踪した澤田夫妻に関する模擬裁判を出来たばかりの日比谷公園で行う。そして、夫・夏雄ら5人がその被告。セツは、ハガキを見て失踪した夫の学生時代を調べ始め…。
『三年坂 火の夢』にも登場した高嶋鍍金の登場する、ある種、シリーズ2作目(別に、『三年坂 火の夢』を見てなくても全く問題なし)
前作が、かなり幻想的な雰囲気を持った作品であったわけだけれども、本作もなかなか不思議な作品。いきなり送られてきた「模擬裁判」の知らせ。そこで明らかになっていく、失踪した澤田夫妻。自称・詩人で革命家である伸太郎の語る「恋愛論」と、その崩壊。彼に対する失望と苛立ち。妻への学生たちの思慕。そして、互いに秘密を抱えることになる学生たち…。無論、「模擬」というだけで、法的な意味があるわけではない。セツの夫・夏雄の失踪はあるものの、生きていることは確実であるし、刑事事件が起こったのかどうかもわからない。けれども、わからないが故にどんどんと夫に対して疑念が膨らんでいく…何か派手さがあるわけでもないのに、主人公・セツの心理描写が秀逸でどんどんと引き込まれた。
前作は、正直、苦学生の日常、というような面があまりに強く出すぎていて、ちょっと冗長に感じられた部分があったのだが、今作は、日常を丁寧に描きながらも、メインとなるものがしっかりと繋がっていて冗長さみたいなものもなかった。さらに、前作ではあまり語られなかった鍍金の過去であるとか、そういうのもわかって、そういう意味での面白さもあった。後毒感も非常に爽やかで良かったし。
『サロメ後継』などのホラー路線とも、また前作とも違った雰囲気のある作品。本当、幅広い作風を持った作家だな、というのを実感。
(07年9月22日)

BACK


レテの支流
著者:早瀬乱

記憶の消去。学生時代から始めた音楽で一度は頂点を極めたものの、その後は転落一途の怜治。栄光の時代の記憶が、その後の失敗の原因と考えた彼は、記憶消去の処置を受ける。処置後、期待通りの平穏な日常を手に入れた怜治だったが、街でかつてのクラスメイトと思しき人物を見かけたことから、齟齬が生まれていき…。
『三年坂 火の夢』で乱歩賞を受賞した早瀬氏の実質的なデビュー作。
人間が人間である理由。それは、記憶というものが存在するから。無論、その中には、忘れてしまいたいものもある。それを消去したらどうなるか…。
記憶を消したことで崩れていく自我…というようなものは、この手のテーマの作品では王道ともいえる展開。本作も、その流れで途中までは進む。しかし、そこからどんどんと離れていく…。
過去の栄光を消したことで、平穏な日々を送るようになった怜治。しかし、そんな彼が出会った男は、実は死んでいた。しかも、自殺。何故、そのことを忘れていたのか? そして、死んだはずの彼が何故生きているのか? 消した過去は、それだけなのか? 推進したのは、自殺した男の父。その目的は何か? さらに、次々と死んでいくかつてのクラスメイトたち…。王道から少しずつ乖離していくこの展開というのは、文字通りに予想外の展開でその発想というのは確かに見るべきもがあるだろう。
ただ…その発想はともかくとしても、ちょっと予想外すぎて、何でもアリと言う感じの展開と感じたのも確か。読ませる力は確かにあるのだが、ちょっとトンデモ系に思えてしまうだけに。纏め方も、ちょっと強引かな? と。
読ませる力、そして発想力はあるけれども、一方でちょっと甘さも感じてしまう。その辺りが、ホラー小説大賞「佳作」と言う形だったのだろう。
(07年12月3日)

BACK


ニライカナイをさがして
著者:葉山透

朝、羽田空港のカフェで、拓郎は人気絶頂のアイドル・宮沢梨花に出会う。梨花の出ていたポスターを批判していた拓郎は、怒る梨花に引っ張られ、沖縄へと行く羽目に。拓郎と梨花、二人の旅が始まる…。
登場人物は必要最小限。終盤にちょっと出てくるけど、話の7割以上は、拓郎と梨花の二人だけで進行。人付き合いが苦手な拓郎と、我侭に振舞ってはいるもののどこか危なっかしさを感じさせる梨花。二人の心情が丁寧に描かれていて、沖縄の情景とあわさって綺麗な物語、という感じがする。話の筋そのものはベタっちゃあベタなんだけど、こういう物語も良いなぁ…と感じさせてくれる。
正直、終盤の展開に関しては、ちょっと唐突だなぁ…という感じ。著者の他の作品を読んでいないので、そちらの世界との関係とかそういうところもあるのかも知れないけれども、この作品のみに限定するのならここまで非日常の設定を唐突に入れる必要があったのかな? と思わざるを得なかった。そこがちょっと気になった。
とは言え、それは欠点を掘り返した形で、全体的に見れば十分に満足。
(06年2月16日)

BACK


タイアップの歌謡史
著者:速水健朗

CMやテレビ番組とあわせることで音楽を売り出す「タイアップ」と言う手法。欧米ではあまり見られない日本独特の手法といえる。戦前、ラジオ放送が始まった直後から始まったタイアップの歴史を追った書。
いや、なかなか面白い。内容としては、冒頭に書いたとおりに、音楽史を「タイアップ」と言う切り口で追った書なのではあるが、ただ音楽の売り方、と言うだけではなくて、音楽人の移り変わりであるとか、芸能界の情勢、さらに日本、世界の社会情勢などが大きく関わって、その都度、様々に変化していく様が克明に綴られていて興味深い。「タイアップ」と言うタイトルがついてはいるものの、日本の場合、常にタイアップが大きな意味を持っていただけに、その歴史の流れを綴った書と言っても良いのではないかと思う。
ただ、読んでいて多少、注意しないといけないかな? と言う部分は見受けられる。基本的に、様々な資料の証言などをつなげて一冊の書籍としているわけなのだが、その中には、『○○社史』であるとか、「自伝」のようなものを引用してそれで終わり、みたいな部分が多く、多少、割り引かなければならないだろう(誇張などもあるだろうし)。また、240頁あまりの新書で戦前から現代までを綴るので、全体的に駆け足気味であるという点(例えば、8〜11章あたりは『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道著)などの方が詳しい)。そういう意味で、一つ一つの部分には、物足りなさが残るかも知れない。
とは言え、これだけの資料を纏めるのは一仕事であったろうし、また、大まかな流れだとしても、それを把握するには良い書ではないかと思う。
(07年10月21日)

BACK


他人を見下す若者たち
著者:速水敏彦

恐らく、この書で著者が述べたかったと思われる、「仮想的有能感」というもの、即ち、「他人を劣ったもの、自分より下の存在がいる、として自己肯定をする」という理論(理屈?)はなかなか面白かった。ただし、それ以外は全くダメである。
まず、データがおかしい、という点だ。例えば、1章の「感情日記」などは笑うしかない。中学生247名に対して実施したものの、量の少ないものを除外して48名分を分析したって…そんなのごくごく特殊な例でしかない、と自分でいっているに等しいではないか。ただ、これなどはまだマシな方かも知れない。全体でみれば、データも何も示さずに、ただただ主観で「〜ではなかろうか?」という文章が続いているのだから。
さらに、著者は「仮想的有能感」があるのを、現在の若者特有のもの、として述べているわけだが、こちらもどうなのだろうか? 世代間での比較がされているわけではない(もっとも仮に今、年齢別に調査したとしても、世代の違いとは言い難い。人生経験の差などにより、考え方が変わることは十分に有りうるからだ)。社会情勢の変化などから、著者が勝手に思いつくままに書いているだけである。つまり、結論ありき、ということになる。
大体において著者はサボり過ぎである。1章冒頭で「感情を拾い集めて現在のそれと比較する、客観的かつ妥当な方法はない」という著者の言葉は事実である。だが、ちょっと調査すれば簡単に調べられることも一切調べていない。例えば、社会的な迷惑行為なんかがそうだ。「今の若者は〜」と続くわけであるが、JRで、駅職員に暴力行為を働いた人は40代、50代が最も多い、なんていうのはすぐに見つけられる客観的事実である。高校中退者の楽天主義、なんていう辺りもそうだ。「なんでそんなに楽天主義なのか?」なんて言うのも、インタビューなり何なりすれば良いではないか。著者の勝手な想像よりもよほど意味があるはずだ。他者の調査した資料の一部を抜き出して、そこに著者の勝手な想像で解釈を加えて行く、というものを評価する気にはなれない。
こんな書を書いた、という事実を持って、私は速水敏彦氏を見下すことにしよう。
(06年3月21日)

BACK

inserted by FC2 system