「準」ひきこ森
著者:樋口靖彦
まぁ、なんつーか、罵詈雑言を延々と書き綴った、ただそれだけである。
学校にはマジメに通っていて成績も良いが、バイトもせずサークル活動もしない。友達もいない。彼らには何かが決定的に欠けている…というのであるが、要は、コミュニケーション能力の低い奴はクズだ…と延々と罵っているだけである。
元々、この書は、ネット上に論文と名乗る物を挙げたことが話題になったわけなのだが、正直、著者にこれを論文として出したら単位が貰えるのだろうか? 私が教員だったら「やりなおし!」とつき返すだろう(笑)
サンプルにどの程度の一般性があるのか? とか、ツッコミどころは沢山あるのであるが、そもそも著者の言う「準ひきこもり」の定義すら曖昧。ちょっとコミュニケーションが苦手、となって、著者が「こいつはそうだ」と思えば、誰でも「準ひきこもり」になってしまうのだ。また、本書を読む限り、著者は「ニート」や「ひきこもり」と言うものの定義すらも理解できていないとみえる(例えば、ニート問題の背景に準ひきこもりがある、なんていうのはその証拠である)。
また、解決法も積極的に世に出ろ、というのもどうか? 著者は「精神疾患などはない」と言うが、それすらも著者の見たてだろう。社会不安障害であるとか、そういうものが関わっている可能性は十分にあるし、また、著者の行った調査らしきものでも「いじめ」を経験した場合があるわけだ。小さな子供のいじめなどは特に、身体的特徴とか、本人の努力でどうしようもない場合も多い。それらを「お前が悪いから」と言われてもねぇ。また、このような人々を社会に強引に連れ出すように追い込むことで問題を悪化させることも多いだろう。
基本的には何の価値もない本であるが(むしろ、リンクした載せた論文(?)の方が短くまとまっていて良いくらい)、痛々しいことこの上ない著者のポエムは大笑いできるかも知れない。
(07年1月26日)

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頭がいい人、悪い人の話し方
著者:樋口裕一

「こういう人もいるよなぁ」と思う部分はある。ただ、この書で書かれていることを、この書の章立てで説明するのならば・・・。

「こういう人は愚かだ」という著者の『価値観だけですべてを判断』している。しかもそれは『根拠を言わずに決めつけ』たものだったり、『スポーツ新聞などの意見』という『少ない情報で決めつけ』たとしか思えない『知ったかぶり』の人間像で『ケチをつけ』ていく。
しかも、対策も「相手にしない」という『差別意識を口に出す』だけのものか、「正直に指摘しろ」という『きれいごとの理想論』である『正論』の『お決まりの』形で解決しろと言う。正直、この本を『すぐうのみにする』と社会生活が送れなくなるように思えてならないのだが・・・。

まぁ、こうやって揚げ足取りをしている自分が好かれるとは思えないが。
(04年12月10日)

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本格推理委員会
著者:日向まさみち

小中高一貫のマンモス校木ノ花学園。中等部から高等部へと進学した修は、オリエンテーションの際に理事長の出した奇妙なテストにより、幼馴染の椎と共に理事長の組織した「本格推理委員会」に入れられてしまう。嫌がる修だったが、学園で最も古い校舎で起こった「幽霊」騒動を調べることに…。
うーん…。正直、微妙。
いわゆる「ライトノベル」的な形でスタートして、ドタバタやりながら、「本格推理委員会」へと入らされ、嫌々ながらも調査することになる。しかし、事件を調べて行くうちに、主人公の過去のトラウマに触れることになって…と、全体的に見ると鬱な展開が続く。まぁ、それ自体は構わないし、破綻なくまとめられてもいる。
ただ、全体的にもう少し洗練されていれば、という感じがどうしても残る。まず、登場人物が無駄に多い。本格推理委員会のメンバー、級友、家族…などなど多く出てくるのだが、はっきり言ってこの作品単独で考えれば不必要と思われる人物が多い。椎の妹・梢なんて殆ど出番すらないし、菜摘先輩とかもあんまり設定が生きていないような…。
さらに鬱展開への持っていき方にも、ぎこちなさが残る。こういう推理みたいなのが好きだけれども、過去の出来事で…という主人公の設定の登場もやや唐突。米澤穂信氏の「小市民」シリーズとかと比較してしまうだけに余計に。また、メイントリック(?)も、破綻は無いけど、序盤で「本格推理とは…」みたいな話がされてからやられると「それかよ」という感じがした。
骨組みは悪くないと思うだけに、余計な部分を削り、足りないところを足すなど、もう少し洗練されればもっと良くなるんじゃないか、という風に感じた。
(07年2月13日)

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かぐや日記
著者:日比生典成
4月。ルームメイトであり、親友でもある比呂美との涙の別れを遂げた翌日、私は様々な出会いを経験した。不思議な鳥のルーク、奇妙な声、風変わりな転校生に新しいルームメイト。そして、私自身も変わることに…。
あとがきで著者が「日記形式というコンセプトで」と書いているのが確かにあたっている。実に「日記らしい」感じがするのだ。で、実のところで、その辺りは長所であり、短所でもあるように思う。
はっきり言って、色々と詰め込みすぎという部分はある。主人公自身の秘密とかは、どの程度必要だったのか? という部分はあるし、ライバルなんかも、出番がなさ過ぎて…。ただ、その辺りも「日記」といわれると、そうだよな、と思えてしまうのだ。
メインの話としては、引っ込み事案で意地っ張りで、負けず嫌いなヒロインが、異世界からやってきた王子と出会い、彼との交流を通して変わっていく…という話。キャラクターはなかなか魅力的。というか、そこが殆どと言っても良いかも知れない。…いや、ヒロインがメガネっ娘だから、じゃなくてね(笑)
まぁ、全く本編と関係の無い作中作はいらないし、もう少し上手く料理できれば…という部分はあるものの、そこそこ楽しめた…かな?
(07年7月11日)

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海をみあげて
著者:日比生典成

10年前、浅霧町を襲った大地震。それ以来、なぜか町の上空に鯨の姿が見えるようになり、不定期に潮を降らせていく。そんな町で、部活を引退したばかりの少女・真琴は空を見上げて…。
設定そのものは、結構、ファンタジーみたいなものだけど、物語そのものは実にシンプルなボーイミーツガール…もとい、ガールミーツボーイ作品。空飛ぶ鯨を愛する少女・真琴と、ぶっきらぼうな少年・洋助のやりとりが中心に描かれる。
全体的に見れば、すごくのんびりしていて、また、凄く爽やか。真琴と洋助が出会い、鯨も物語に関わってくる1話目、ちょっと不思議な2話目、二人の関係が進展する3話目。それぞれ、展開は読めるんだけどね。
ただ…何て言うか、連載作品ってこともあるんだろうけど、毎回、町の設定説明はちょっと。また、それぞれの話で新しい設定が出る、みたいなところもちょっと引っかかった…。その辺りが課題だろうか?
でも、本当、読み終わって爽やかな気持ちになれるのは確かなんだけどね。
(07年9月17日)

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子どもたちに伝える命の学び
著者:兵庫・生と死を考える会
子どもたちの生死観が揺らいでいる。阪神大震災、酒鬼薔薇事件と言う二つの事件を経験した兵庫県で発足した取り組みを綴った書。
…とのことであるが、私には、「思い込みに基づく調査というものは、いかにおかしなものになってしまうのか」と言うことを実感せずにはいられなかった。
本書の前提となっているのは、冒頭にも書いた「現在の子供は、生死観が揺らいでいる」と言うもの。それを支えているのは、03年、04年にこの会が行った調査である。この調査で「もし自分が死んだとしても生き返ることができると思いますか」と言う質問に「生き返れる」と言う回答が10%から20%程度いた。それも、学年が上がって増える、と言うものなどの結果である。だが、そもそもこの調査そのものが信頼性に乏しく、かつ、偏見による分析ばかりがされている、ということを指摘しなければならない(本書2章前半が、これに当たる)
まず、この調査は、03年に兵庫県内の幼稚園児に聞き取り調査、04年に小中学校にて調査票調査を行った、とする。ただし、「死」についてダイレクトに聞く質問があるため、回答を断られたケースが多い、とのこと。まず、この時点でこの調査のサンプリングに問題があるのは明らかである(結果、どちらに回答が傾いたのかはわからないが)
さらに問題なのは、この調査の分析である。先ほど書いた「生き返るか?」と言うものに対する回答の理由として本書では2つの可能性を考えている。まず、第1に、生死観が揺らいでいて、死の絶対性への理解がない、という可能性。第2に、「生まれ変わる」などと言う宗教的な価値観によるもの、と言う可能性。後者ならば、悪いとは言えないが、前者ではあれば問題である、と言う。つまり、理由は調べていないわけである(ちなみに、長崎県の調査では他に、「医療の進歩により、生き返ることができるようになるかも知れないから」と言うものも多かった。これも「生まれ変わり」同様、死の概念を理解できていないわけではない) さらに、「死を怖くない」と回答した生徒が一定数いることについては、「死に恐怖を感じるのが自然なこと。怖くない、というのは普遍性が確立していないから」などと言う。本当か? しかも、それに「バーチャルの死などでリアリティーが失われているからと推測される」などと言うのは、明らかに誘導である。一番笑ったのは「いつか自分は死ぬと思いますか」と言う質問への回答に関する部分。まず年齢別の結果が示され、「死ぬ」が6歳で60%程度だったのが7歳で90%程度まで増加、8歳、9歳と微増…と言う結果を出し「7歳で深まり、9歳で確立する」と言う。が、その直後、小学校1年から4年の「葬儀経験」と「いつか死ぬと思うのか?」と言うので「経験なし」に「思わない」が多いのを示し、「葬儀経験が死の普遍性に影響を与える」とか言い出してしまうのだ。小学校1年から4年といったら6歳〜10歳である。1年生より4年生の方が長く生きている(それも1,5倍も!)のだから、葬儀に出た経験がある可能性は高い。この葬儀経験のない、と言う生徒は低学年に、あるという生徒は高学年に偏っている可能性が考えられる。そうすると、葬儀経験が普遍性に影響を与えるのではなく、先の年齢と言うことが考えられる(逆もまたしかり)。両方そうである、などと言うのはいえないだろう。
ちなに、この調査には細かい数値などは示されない。良く出てくる「ゲームを長時間やる子供は死の認識が弱い」と言うのが本当に統計的有意差があるのかは不明だ。先の葬儀経験のところで、ありが1413人中29人、なしが368人中22人「死なない」と答えたから「統計的に分析すると」割合が多いといえる、と言うようなことを言っているためである。これ、統計的分析ではなくて、ただの割合の計算でしか無いと思うのだが…。また、この調査はあくまでも「現在」の調査だけであり、過去との比較はない。これをもって「現在の子供は生死観が揺らいでいる」と言うことも不可能である。
ちなみに私は、本書で示されている「命(死)についての教育」を否定するつもりはない。それ自体は悪いことではないだろう。また、本書で主張される「死」を「タブー」としてしまうことが良いとは言えない、と言う意見にも賛成である。
ただし、ここで書いたように、この調査はただのゴミである。さらに、少年犯罪や自殺などが「命の教育」で防げるとも思えない(死んだら終わり、だからこそ相手を殺したい、と思う。自殺しようと思う、と言うことだって考えられる)。命の教育に効果がある、と言うこともいえないのである。つまり、ここで語られる効果もまた、ただの願望に過ぎない。
このように、本書は、偏見と言うものがどれだけものの見方を歪ませるか、と言うことばかりが際立った書である。
(07年10月28日)

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流星の貴公子テンポイントの生涯
著者:平岡泰博
1977年の年度代表馬であり、翌年の日経新春杯ではかなく散った名馬・テンポイントの生涯をオーナーの高田久成氏、厩務員の山田幸守氏、騎手の鹿戸明氏、生産者の吉田牧場…といった、テンポイントに纏わる人々のインタビューを交えて綴った書。
「亡霊の一族」と言われた血統から始まって、トウショウボーイとのライバル物語、海外への夢を目前としての故障とその後の闘病生活の末の死…とドラマチックな生涯であり、これまでにも何度もこの馬の物語はさまざまな媒体で描かれており、「またかよ」と感情がなかったわけではない。が、それでも読んで見れば、やはり胸打たれてしまうのは、何故だろう。
競馬をしていれば、目の前で競走馬が故障して散っていく…なんて光景は日常茶飯事なんだけど、それぞれの馬に関係者がいて、その関係者にとっては「唯一の馬」なんだなぁ…という風にしみじみと思った。
未だオールドファンを中心にして、この馬の人気は根強いものがあるわけだけど、書籍で読んだだけで惹かれてしまうのだから、実際に見ていた者にとって忘れられない馬となるのも仕方がないことなんだろうな…。
(05年9月2日)

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一応の推定
著者:広川純
年の瀬の押し迫るクリスマス・イヴの夕方。駅のホームから一人の老人が転落、列車に轢かれて死亡した。彼は、死亡保障3000万円の障害保険に加入していた。定年間近の保険調査員・村越は、提携先の保険会社からの依頼で、この事故が自殺か否かの調査を開始する…。
最初にこの作品のタイトルを聞いたときの私の感想。「一応の推定? 一応、じゃなくて、ちゃんと確定させようよ」というもの。物凄く、あやふやなもののように思えたのである。タイトルの意味であるとかは、読み始めてすぐに理解できたのであるが。
警察の捜査と、保険調査員の調査。一人の人間が死亡したその原因、要因を探る…という意味では似たようなもの。けれども、目的・視線は全く別のものになる。警察の視線というのは、「他殺かどうか? 事件性があるかどうか?」という部分に焦点が当てられる。一方、保険調査員のそれは、事件化どうかではなく、「自殺かどうか?」「保険をおろす必要があるかどうか?」に当てられる。ある意味では、警察のそれよりも、ずっと被害者の心情に踏む込む作業。そして、曖昧な部分が大きな作業になる。
事件の調査を開始する村越。亡くなった原田には、難病の孫がいた。助かるためには、渡米しての手術が必要で多額の費用が必要。保険金は大きな魅力。けれども、今一歩、確定がもてない…。そして、聞き込みを続ける内に現れる謎の男。そして…。
作品としては、物凄く地味。しかし、読者としてみれば、そんな中でも「保険金詐欺なのか? 被害者の孫娘を助けるためにも、お金を払ってあげて欲しい」…など、色々と考えが浮かんでくる。地味であるが、というか、ある意味では地味であり、凄く近い世界の作品だから、よりそれを感じるのかも知れない。
無理にキャラクター付けをする必要が無いとは言え、ちょっと主人公・村越の人物描写が弱いかな? とか、真相の部分がちょっと唐突かな? というところは気になった。ただ、逆に言えば、そういう欠点がありながらも、十分に読ませる作品だと思う。これらの欠点が克服されれば、さらに凄い作品が生み出されそうな気がする。
(07年8月25日)

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日本人のしつけは衰退したか
著者:広田照幸
昨今、よく耳にする「教育力の低下」という言葉。だが、本当に「教育力」は低下しているのか? 戦前から現代までの、家庭での「しつけ」「教育」に関する変遷を追った書。
ごく一部の富裕層を除いて、収入に直結する「手伝い」以外は放任と村のネットワークへの依存だった家庭での教育。それが、戦後の経済成長、総中流社会化の中での地域ネットワークの弱化と富裕層の持つ教育意識の広まり。総合してみると、決して教育力が弱まった、とは言えず、家庭においてはむしろ強化されている、とすら言える。
この書でも指摘されていることであるが、教育の主体が家庭に移ったことで、家庭に掛かる負担は大きくなっている。それなのに、「教育力が落ちた」「昔は、もっと教育されてた」という、あまり根拠の無い言葉によるプレッシャー。さらには、犯罪が起こった際の「家庭での教育の失敗」という言葉。これらによって、より家庭に負担を求めることは良いことなのだろうか? ただでさえ不安を抱えた親たちをより追いこむだけとは言えまいか? 
教育力の低下、などと言う事を考える際に、一度は目を通しておくべきではないか、と思う。
(06年4月21日)

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果てしなき渇き
著者:深町秋生
妻の浮気相手に暴行を行った結果、妻子に逃げられ、職も追われた元刑事・藤島。警備会社に勤める彼の元へ、その妻から連絡が入る。「加奈子が失踪した」 妻、娘とのつながりを求め、捜索する藤島だったが…。
第3回『このミス』大賞・大賞受賞作。同時受賞に『サウスポー・キラー』(水原秀策著)
以前、『サウスポー・キラー』を読んだとき、そこにあった選評に「非常に重厚なノワール作品」と言うものがあって興味を抱いていたのだが、なるほど、確かに極めて重厚、そして、全く救いのない物語。
失踪した娘を捜索する藤島。調べれば調べるほど判明してくるのは、自分の娘の「闇」。成績優秀な優等生、として扱われていたはずの娘。しかし、その裏で、不良グループ、暴力団とも関わり、さらに売春組織すらをも…という姿。「何かが欠けていた」と言われる娘がそこまでになった理由は何か…。それを知れば知るほどに、自らもまた堕ちていく藤島…。
一方で、語られる3年前の物語。部活動をやめ、その結果としてイジメにあっていた少年・瀬岡に近づいてきた少女・加奈子。少しずつ、加奈子に惹かれる彼の運命もまた…。
こういっては何だが、めまぐるしく物語が展開するとか、そういうタイプの作品ではない。とにかく、藤島、瀬岡、さらに登場人物たちの心の動き、文字通りの「渇き」、そして堕ちざまがこれでもかと描かれる。本当に読んでいて、非常に疲れた。なるほど、重厚な作品である。
ミステリとしての真相部分については、最後に極めてアッサリと明かされるだけでちょっと肩透かしに感じた部分はある。ただ、そこはあくまでも添え物くらいで考えれば良いのだろう。救いがないだけに、後読感は良くないし、どっと疲れる作品であることは間違いないのだが、そう感じさせるだけのパワーがある、とも言えよう。
(07年11月24日)

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ヒステリック・サバイバー
著者:深町秋生

アメリカで起こった銃乱射事件。目の前で親友を喪い、自らも大怪我を負った和樹は心に傷を負って帰国した。帰国後、彼の入った学園は、運動部員たちと、オタク部員たちの間の諍いを抱えていた。そして、モデルガン乱射事件を契機に、双方の緊張は一気に高まり…。
「学園バトルロイヤル」はねぇだろ…宝島社…。ちょっとそれは内容とかけ離れているぞ(笑)
著者のデビュー作『果てしなき渇き』は、圧倒的な「暗さ」を備えた作品だったが、本作においても「暗さ」は健在。そして、ここで描かれる「事件」そのものは極端であっても、学校におけるいじめ、差別感情の形を巧く描いているように思う。
かつて、世間を騒がせた猟奇犯罪者・モトヤマの出身地。モトヤマは、大量にアニメ、ホラービデオを所有し、次々と殺人を犯した。それ以来、土地に残るモトヤマの亡霊。同様の趣味を持つものは「犯罪予備軍」のように扱われ、蔑まれる。一方、同じ「趣味」であるはずの運動部員たち。こちらはこちらで、決してクリーンでも何でもない。しかし、世間は、学校は彼らを擁護し、褒め称える。蔑まれた者の鬱憤、理解できない趣味への恐怖。そこから発生していく軋轢。そんな中で、外部の存在として、そして、両者に共感する部分のある、そして、トラウマもある和樹の葛藤…。
両方の陣営、和樹にある行き詰まり感と言う辺りがメインになるのだろうが、ただ、単純に2つの陣営と言う形でない辺りも良い。一方に属しながらも、そこから外れることを恐れて、極端に動いてしまう存在であるとかも、かなりリアリティのある存在だろう。前作同様、非常に重苦しい作品ではあるものの、少なからず体験したことのある世界だと思われるだけに、より身近に感じられた。
最後のまとめ部分、そしてエピローグでの展開は、ちょっと唐突かな? と思う部分はあったものの、なかなか考えさせられる作品だった。
(08年1月11日)

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ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!
著者:深水黎一郎

小説家である私の元へと届いた一通の手紙。それは、「究極のトリックを高額で買ってほしい」というもの。「意外な犯人」の最後の砦、「犯人は読者」というトリックに興味を惹かれる私だが…。
第36回メフィスト賞受賞作。
さて、何を書こうかしら? 正直、これをネタバレ無しで書くのは結構辛い。
とりあえず言えるのは、よくまとまってはいるね、というところかな。主人公である「私」の元へと届く手紙から始まり、そこから延々と書き連ねられるのは、その「私」の生活。友人とのやりとり、保険外交員とのやりとり、手紙の主・香坂の綴った自らの幼少期の思い出…。どう考えても関係のなさそうなそれらのエピソードが、終盤、キッチリとその意味を持ってきて、伏線であったのだ、と感じさせるあたりの収束感は上手い。それはある。
ただ…やっぱり「メフィスト賞」だな、という変な感想も抱くな…これは…。最終的には、このトリックを受け入れられるかどうか…だろうな…。あと、気になった点としては、終盤がトリック明かし…というようりも、単純に解説文みたいになってしまっている点が気になるところ。その辺り、もう少しスムーズに行けば、より良かったんじゃなかろうか?
一つのアイデア賞としてはアリだと思う。
(07年6月30日)

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亡国のイージス
著者:福井晴敏

『川の深さは』『Twelve.Y.O.』の続編にあたり、前2作を続けて読んだのだが、福井氏は長篇向きなのだな、という感をますます持って感じた。国防というテーマだけでなく、特殊組織で鍛え上げられた無口な若者と、中年という組み合わせまで同じパターンを踏襲していながらもその2人、そして、前2作では殆ど駆け足のために存在感が薄いことすらあった他の面々もはるかに生き生きと描写されている。

下巻では、反乱を表明した「いそかぜ」と、その対応に追われる政府の混乱、そして、うちに潜んだ仙石と行、反乱を起こした「いそかぜ」のクルーたちの三方から話が展開。
不可思議なことが次々と起こっていった上巻とは異なり、下巻では駆け引きと、艦内での戦闘を中心としてストーリーが展開され、その中で登場人物たちの心理が描かれる。それぞれ、立場や情況は異なりながらも不器用にしかいきられない男達の生き様が心を打つ。

テーマである「国防」などについても十分に考えさせられる作品なのだが、それ以上に、登場人物達の生き様に感動できる素晴らしい作品だと思う。
(05年1月11日)

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月に繭、地には果実
著者:福井晴敏
かつての戦乱により、徹底的に環境を破壊した人類は、一部の人間その科学技術を持って月に移住し、地球の再生を図り、一部は地球に残り、過去の記憶を封印した。そして、二千余年、月の民は地球への帰還を開始する。その二年前、月から環境調査員として地球へやってきたロランは、その戦乱に巻き込まれていく…。
というと、普通のSF作品っぽいんだけれども、「ターンAガンダム」という、「ガンダム」シリーズの一作…に多分、数えられる作品の一作。もっとも、私は今やっている「ガンダムSD」とかは見ていないし、最後に「ガンダム」シリーズに触れたのは、多分『逆襲のシャア』の小説版以来と物凄いギャップ。この作品のアニメ版も見てないし。おかげで、全く人物の顔が自分の想像だけという凄いことに(笑)
自分のガンダムの知識との比較で言うと、まったく時代が違うなぁ・・・と。『逆襲のシャア』辺りは、この作品で言う「黒歴史」の真っ只中、ってことになると思う。ガンダムシリーズのOVAとかに関してもよく分かっていないんだけれども、それらのシリーズよりはるか先の時代になるのかなぁ…という感じがする。…そういや、『Gガンダム』ってどこの時代だ?(笑)
さて、作品を通して考えると…なんか、登場人物とかがいやに少なくない? というのが最初に思ったこと。戦争だとかは当然起こるんだけれども、いくつかの視点を通し、壮大な規模の割にはなぜかこじんまり…という感じがして仕方が無かった。多くの人々が犠牲になり、悲惨さも描かれている。…が、結局のところ、ここに登場する数名の愛憎劇に終始されてしまったような感じで…。
勿論、それはそれでありなのだろう。私は、「ガンダム」としてではなくて、『亡国のイージス』を書いた福井晴敏作品、として見てしまったからだろうし。あくでまでも、私の感想は、「福井晴敏作品」を期待した人間の感想として見て欲しい。
(05年8月12日)

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6ステイン
著者:福井晴敏
防衛庁情報局、通称・市ヶ谷。その市ヶ谷に何らかの形で関与した人々の活躍を描く6つの物語。
「ね? 短い小説だって書けるんです」という著者の文句が載ったポップが書店に並んでいたようなのだが、確かに、福井氏というと超長篇というイメージがある。そんな福井氏初の短篇集(分量的に、中篇だろ、というものもあるが)。
一言で言えば、「面白かった」。うん。冒頭にも書いたように、防衛庁情報局絡みの物語というのはいつも通りなのだが、緊迫感溢れる戦闘シーンが続く作品あり、贖罪の物語あり…など、読み応え十分。間違い無く「面白い」というレベルの出来ではある。
が、個人的には、やはり福井氏は長篇向きの作家である、ということを認識したのも確かだ。それぞれの物語は十分に面白いのだが、『亡国のイージス』などで感じた、大河ドラマ的な壮大さを感じなかった(いや、短篇だから仕方が無い、といえばそうなのだが)。ここに収録されている作品が悪いとは思わないのだが、超長篇で描かれた壮大な物語を読んでしまうと、どうしてもそれと比較してしまい、物足りないと感じてしまった。尤も、これは私が福井氏に求めているものが、そういう壮大な物語である、という認識の裏返しでもあるんだけど。
う〜ん…ある一篇さえなければ、福井作品を読んだことの無い人に勧めたいんだけど、これを先に読むと、『亡国のイージス』のあの人物に対して先入観を与えかねないからなぁ…、困ったもんだ(苦笑)
(05年8月24日)

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