看守眼
著者:横山秀夫
『看守眼』『自伝』『口癖』『午前五時の侵入者』『静かな家』『秘書課の男』の6編を収録。
横山秀夫作品と言うと、「警察小説」と言われるように、警察を舞台にした作品が多く、その中でも同じ舞台であるとかの何らかの共通点があるものだが、今作に関して言うとそれがなかなか難しい。主人公も、警察官あり、フリーライターあり、県知事の秘書あり、家裁の調停委員ありとバラバラだ。ただ、敢えて言うのであれば、一線を退いた人間、終わりの見えた人間というところだろうか?
表題作『看守眼』。刑事を29年も志望しながら、最後までその願いを遂げることなく退職を迎えることになった看守一筋の男が、その看守生活で培った「勘」を確かめるために、迷宮入り事件の捜査を独自に行う物語。二人の娘を無事に育て上げた離婚調停委員の女性が、娘を苦しめていた同級生の離婚を調停することになった『口癖』。それぞれ、その生活を続けてきて、価値観、生き方が決まっている。そこには、安定を求める心あり、最後の意地あり…と培ったものがある。そこに起きた事件…。他の作品同様に、切れ味は健在なのだが、最後を迎えようとした人々にとって起きる事件の真相は皮肉そのもの。今回はいつになく、後味の悪い結末を迎える作品が多かったような印象を持った。
(06年2月11日)

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ルパンの消息
著者:横山秀夫

忘年会の警察庁に入った一本のタレコミ電話。「15年前に自殺として処理された高校教師の墜落死は殺人事件」。時効まであと1日。捜査陣は、教え子3人組から聞きこみを開始する。彼らの行っていた「ルパン作戦」を辿り…。
横山秀夫氏の処女作にあたる作品、ということなのだがなるほどなぁ…というのが第一声。なんて言うか、良い意味で「若さ」を感じる作品だった。
個人的に、横山秀夫作品というと、「老成した」という印象を持っている。そもそも主人公の年齢そのものが高いものが多いし、一筋縄ではいかない曲者の人物が多いように思うのだ。が、本作に関しては、全く逆。現在と15年前のパートに別れるわけだが、過去のパートの主人公は、テストを盗み出そうという「ルパン作戦」を計画する悪ガキ3人組。どっちかといえば単純な性格の彼らが、計画を立て、実行をし、事件に巻き込まれ、自分の手で事件を探る。そして、15年後の現在に舞台が移り…。
作品として、「?」と思うところはある。強引さみたいなものも確かにある。ただし、それを補えるだけの勢いがあるように感じる。現在の横山氏の書く、「老成した」作品も魅力的ではあるんだけど、本作のような「若さ」「勢い」のある作品というのをもっと読んでみたいな、と感じる。
(06年2月27日)

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クライマーズ・ハイ
著者:横山秀夫
1985年、部下の死の責任を巡り、フリー記者のような立場にあった北関東新聞記者の悠木は、販売部員の安西と共に谷川岳の衝立岩登りの約束をしていた。だが、日航機墜落事故の全権デスクに任じられた悠木は約束を反故することに。一方の安西は、歓楽街で倒れていた…。そして、怒涛の一週間が始まる。
横山秀夫というと「警察」小説というイメージであるが、本作の舞台は新聞社。新聞社を舞台に、いつもながらの組織論が現れてくる。
現場に言って取材をするわけでもなく、かといって社内の立場としては決して高いわけでもない悠木。編集と販売という部局同士の対立、社長派と専務派という派閥対立。さらには、全国紙ではなく、地元紙という微妙な立場も影響する。日航機墜落事故という「純粋に」地元の話題と言えないものの扱い。さらには、全国紙との間にある組織力。様々な思惑が対立する。その中には、純粋なものだけでなく、「世界最大の事件を取材できる」と言うことに対する嫉妬であるとかの感情も入り混じる。さらには安西の残した謎と、悠木の過去と、家庭内不和。悠木の苦悩が積み重ねられて行く。
横山氏はこの事故当時、地元紙である上毛新聞(作中にも名前は登場する)で記者をしていた、という経歴を持っているわけだが、作中の臨場感であるとかは、その経歴が大きく活かされているのではないかと思わざるを得なかった。と、同時に、中曽根、福田(そして小渕)と言った大物政治家を輩出していた当時の群馬という土地の特殊性もまた痛感させられた。
最終的にまとめ方がちょっと綺麗過ぎるな、という感じがしないでもないのだが、読み応え十分の作品だと思う。
(06年4月10日)

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震度0
著者:横山秀夫
1995年1月17日。関西地区が阪神大震災で揺れたその日、神戸から700キロ以上離れたN県警本部の警務課長・不破が失踪する。本部長の椎野、ライバルの冬木など、県警幹部たちの思惑が錯綜する…。
「この小説の主人公は情報かもしれない」という著者の言葉があるのだが、確かに、そういう見方ができるかも知れない。主人公は、県警の幹部達(と、その妻たち)。それぞれの視点が何度も入れ替わりながら物語が進展していく。
出世競争の上で、互いに失点を出すまい、相手を蹴落とそうとするキャリア組の椎野と冬木。退官も迫り、最後のポスト、天下り先などの思惑を持って動く県警幹部達。さらには、部署同士の意地の張り合い。妻たちの戦い。その中で、情報を隠蔽し、腹の探り合い、駆け引きが続いていく。捜査、と言っても主人公たちは幹部であり、直接捜査するわけではなくて、部下から上がってくる情報に耳を傾け、指示を出すだけ。そういう意味では、全編、彼らの駆け引き、という感じである。そして、これがとにかくドロドロ(笑) とにかく密度の濃い作品となっている。
多少、人工的とも言えるかもしれないが、捜査の途上で出てくる不破の女性に纏わる話、4年前の県議選の話、交通違犯揉み消しに、ホステス殺し、さらには妻達の物語に出てくるちょっとした情報が、最後の最後になって紡ぎ合わさっていく様は見事、の一言。
ただ、気になる点が2点。まず、これは、私の読解力・理解力の問題かもしれないが、多くの主人公たちが次々と現れてくるため、それぞれの立場などの把握をするのにやや手間取ったこと。それぞれの立場が重要なポイントだけに、ちょっと苦労した。2点目に、阪神大震災というものの扱い。様々なところで出てきておきながら、結局、ある人物を縛り付けるだけにしか…というところに違和感を覚えた。なんというか…別にこの時間を部隊にする必要がどの程度あったのか? つまり、阪神大震災である必要性があまり感じられない…というのが気になった。
ドロドロの展開と、私の気になった2点。これをどう評価するで、意見が分かれそうな気がする。
(06年4月26日)

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影踏み
著者:横山秀夫
寝静まった住宅に忍び込み、盗みを働く「ノビ」師・真壁修一。通称「ノビカベ」。かつてのある事件で両親、双子の弟を失った彼を主人公とした連作短編集。
うーん…この作品を読んでいてまず思ったのは「あれ?」という違和感だろうか? なんか、他の横山秀夫作品と比べると、物凄く異色な作品のように思えるのだ。
というのは、主人公・真壁の設定がまず異色だからだ。主人公、真壁の中では常に弟の声が聞こえてくる。真壁が危険な仕事に動こうとすれば「やめなよ」という制止の声が。常に、真壁が大事に想う女性・久子のことを気にかけ、そのことを指摘する。真壁と弟との会話が常に、他者にわからないところで繰り広げられる。これだけでも十分に異色だ。
さらに、「組織」というテーマ、舞台を得意とする作品が多い横山作品にあって今作の主人公・真壁は常に一人(頭の中に住む弟も加えれば二人)で考え、行動をする。組織内での権力争いであるとかと言ったものとは遠い場所にある。また、久子や弟を巡る物語や、ストイックな真壁の性格・生き様みたいなものは紛れも無くハードボイルド小説。権力争いのエゴ剥き出しな横山作品の人々の中にあって異色だ。とにかく、そのような部分ばかりに目が行った。
短編の切れ味はいつも通り。その部分を残しながら、全く新しい一面を示した作品ではないかと思う。
(06年5月17日)

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臨場
著者:横山秀夫
L県警に「終身検視官」と呼ばれる男がいる。検視官・倉田。歯に衣着せぬ発言で上から疎んじられている一方で、若手からは「倉田学校」と呼ばれ、羨望のまなざしを受ける男。彼を中心とした連作短編集。
えっと…最初に告白しておきます。私、「けんしかん」と言う響きを聞いて、死体を解剖したりする「検死官」の方だと思っていました。この作品の「けんしかん」は「検視官」。不審な死を迎えた人間が、自殺によるものか、他殺によるものかを判断する職のこと。
横山作品というと、ある事件を題材に、その解決に動く一方で組織内での縄張り争い、綱引きなどが繰り広げられる、という「組織小説」というのが私の持っている第一の印象である。本作でも、その要素は含まれる。が、本作はいつになく、事件そのものを推理する、という探偵役の雰囲気を感じる。
物語の核にいるのは間違い無く倉田である。各編の主人公達は、それぞれの立場で事件に立会い、それぞれの立場で推理を張り巡らせる。が、倉田の意見にそれぞれの形で揺さぶられ、やがて答えへと導かれる。答えを導くのは主人公であり、刑事部であるが、既に答えを知っている雰囲気を持っている。また、流れはそうであっても1編1編のテイストが全く異なる部分も明記しておきたい。
ただ、欲を言うのならば、倉田本人の人間性が培われた過去であるとか、そういう背景がもっと描かれていて欲しかったな、と感じる。言葉は辛らつながら、実に人情味溢れる倉田自身の背景がどうしても気になるのだ。もっとも、謎だからこそ、という部分があるのやも知れないが。
(06年6月17日)

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出口のない海
著者:横山秀夫
「回天」。発射と共に搭乗者の死を意味する人間魚雷。第2次大戦末期、海軍が極秘に展開していた作戦。並木浩二。元甲子園優勝投手で、肘の故障に苦しんでいた男。「魔球を完成させる」と言っていた男。そんな彼は、何故、回天への登場を決意したのか…。
まず、読んでいて、『ルパンの消息』と同様、横山作品の中でも毛色が違うな、と感じたのは、ベースがデビュー前にあったからだったからか。組織内のドロドロとした人間関係と言うよりは、特攻隊と言う「死を約束された」立場に立たされた青年の心理描写に重きが置かれる。
戦時中、同世代の若者達が次々と戦場へ赴く中、ただ一つ召集されずに済む立場である学生。しかし、世間のムードとして、そのような人々に対する見方は厳しい。そのような「特権」が重荷となり、戦場へ向かう者まで…。そして学徒出陣…。出撃は即ち死を意味する特攻隊。
国のために死にたい。家族、恋人を守るために死にたい。しかし、逆に生きたい。死にたくない。そして、回天の故障などで戻れば「生き恥を晒した」ことに。そんな状況の中で、常に様々な方向へと揺れ動く並木の心情。
彼等を動かしていたのは、いや、当時の日本を動かしていたのは、「国総出の強がり」「国総出の我慢比べ」。それを作り出すようなムードではないのか。特攻隊隊員にあるのは、「己の中の戦争」に決着をつけるためではなかったのか。国という大き過ぎる組織、そして軍隊という組織の中で並木たちはそれを強いられ、翻弄されていく。
横山作品のテーマと言えば、組織と個人。何度も書いているが、本作のイメージは、これまでの作品とは異なる。だが、なるほど、確かに本作もまた、組織と個人だ。国という巨大な組織によって翻弄された並木という個人の葛藤、苦しみがそこにはる、とも言えるのかもしれない。
(06年7月29日)

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真相
著者:横山秀夫
全5編を収録した短編集。
本作のタイトルは、『真相』。表題作もそうなのだが、それぞれタイトル通りに「意外な真相」が隠れている。これは、確か。でも、それ以上に本作は特徴がある。それは、それぞれの主人公の心理描写が恐ろしく濃密である、という点。短編でありながら、長編を読んでいるかのような感覚を覚えた。
例えば、表題作である『真相』。自分の息子が殺されて10年。ようやく捕まった犯人から出たのは、息子が万引きをしていたとの言葉。殺された息子に対する信頼。その息子へ対する家族それぞれの思いの違い…長編でも十分に通用しそうなテーマである。『18番ホール』にしてもそう。「絶対に負けない」といわれて出馬したはずの村長選挙。しかし、落下傘候補に対する周囲の厳しい風当たり。自分自身が村に残してきた秘密。予想に反して苦戦する選挙戦。その焦燥感で、苛立ちが隠せなくなっていく様…。
とにかく、どの作品にしても、短編でやらなくても、と思うくらいに濃密である。それぞれの主人公たちが抱える様々なストレス、障害、苦しみ…それは人間の弱さと言えるかもしれない。そして、その真相もまた…。
(06年10月26日)

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ヤンキー先生の子どもがわからない親たちへ
著者:義家弘介
完全に守れているか、というと自信はないのだが、それでも私はひとつの書評におけるルールを設けている。それは、書評を書くときは、書籍の中身についてのみを対象とし、その著者が普段、どのような言動を行っているか、という点は気にしない、というもの。が、この書籍については、そのルールを無視することにする。
というのは、この書で語られることの殆どが著者の個人的経験及び著者自信が育った家庭環境に基づいているためである。つまり、著者の経歴・言動を無視して話を進めることはできないためである。
まず、本書を通しての感想であるが、一つ一つの意見については「なるほど」と思う部分もある。だが、全てが著者の個人的経験に即して語られ、根拠が薄い。また、非常に耳障りは良いのだが、そのような文言ばかりを集めているだけで、全体を通してみると極めて歪で薄っぺらい、というのが感想である。
著者は親は「聞く」「伝える」「学ぶ」3つのプロであるべし、ということを述べる。そして、著者は、その理想像を自分の子供時代の教育に求める。悪いことは悪い、家訓をしっかりと持つ、しっかりと子供に向き合う…それらを自身の子供時代の話を交えて語る(著者の家庭ではそれが出来ていた、らしい)。…なのに、なぜ、中学時代から不良行為に手を染め、高校で暴力事件を起こすという「してはならないこと」をしたのだろう? 非常に不思議な話である。
また、2章のイジメに関してもそうで、著者は「イジメは犯罪行為であり、絶対に許すな」と述べる。それは良い。だが、その一方で、1章では、自身が暴力事件を起こして退学処分になったことを「学校に寛容さがなくなったために起こったことでいけないこと」と述べている。イジメを犯罪だから許すな、と言っておきながら、同じく立派な犯罪行為である暴力事件には寛容さを、というダブルスタンダードは何だろう?
著者の言う「学ぶプロ」ということを考えても、著者が全く学んでいないことは読んでいると良くわかる。例えば「ニート」に関する言説。著者は完全に「甘え」によるもの、という態度をとる。しかし、「ニート」という言葉の定義をしっかりと捉えれば、そのような書き方は出来ないはずだ。不登校に関しても同じような視点でしかないし、また、学力低下、子供たちが荒れている、という言説についても「当然のこと」という前提でしか話をしていない。本当に学ぶ姿勢があるなら、そこから疑う必要があるのではないか?
結局、本書を読んで私が理解できたのは、著者は自分がかわいい、自分の経歴に対する肯定というのをひたすらに続けているだけなのだな、ということである。確かに、高校を中退したことが、非常にマイナスに働いている、というようなことは書いている。だが、暴力行為という犯罪を働いたことへの反省ではなく、あくまでも「世間の評価が下がる」という点での反省である。そもそも、本当に反省しているなら、恥ずかしくて自ら「ヤンキー先生」などと名乗るわけがないが。
正直、これまでも「?」と思うことの多かった著者であるが、本書を読んでより、その思いは強まった。このような人物が「妄想生産会議(教育再生会議)」なる政府の仕事に参加している、というのは極めて問題である。
(07年4月8日)

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「あたりまえ」を疑う社会学
著者:好井裕明
「社会学」にとって、重要な作業である「フィールドワーク」。その「フィールドワーク」を行う上で著者が大切と感じていることを著した書。…かな。
この手の書はこれまでにも読んできたのだが、この書では教科書的な書き方で理論や方法論が描かれているのではなくて、著者の体験談などを元に「大事なこと」が書かれている。フィールドワークを行う上で「こうしてはいけません」という教科書的な書ではわからないポイントが、実際の話を通して書かれているので実にわかりやすい。
タイトルにもあるわけだが、著者が最も大事というのは「あたりまえ」「普通」といわれるものに対する感覚。フィールドワークを通して自分にとって「あたりまえ」との違いを知る。「こういうはずだ」という「あたりまえ」の思いこみによって失敗してしまった聞き取り調査の話。物事をカテゴリー化して、「普通」を作り出してしまう社会学というもの。「普通」であること、というもの。ハッキリと描かれているわけではないのだが、タイトルの意味が読了後に感じられた。
著者のあとがきではないが、社会学であるとかを志す方にお勧めしたいと思う。
(06年2月26日)

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シャルロット・リーグ1
著者:吉岡平
天涯孤独な少女・すみれの元に届いた「入学許可証」。不穏な言葉に、無視を決め込むすみれだったが、拉致同然に学園に放り込まれる。傲岸不遜な「教授」、多種多才な生徒…そんな中で、第1の事件が起きる。
…………。
本当に「第1の事件が起きた」で終わってしまった…。
うん、怪しげな人々、雰囲気だとかを含めて、引きつけるものがあるのは確か。けれども、この「1巻」はあくまでも「導入部分」という感じ。舞台説明、人物説明を1巻を費やして行った、とでも言う感じ。勿論、これだけのページを費やしているだけにかなり詳細に把握できるわけだし、今後がどうなっていくのか、っていうのもなんとなくは見える部分があるのだけれども。
どっちにしても、この時点では何も言えないなぁ…。
(05年8月4日)

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シャルロット・リーグ2
著者:吉岡平
第一の被害者は麗だった。戸惑うすみれを他所に、各々は推理合戦を繰り広げる。やがて、その事件の真相が判明し、犯人は懲罰房へと収監される。だが…。
ということで、『シャルロット・リーグ1』の続き。ま、話もそのまんま、前作の続きから。
一応、ミステリと言って良いんだろうな、話の流れとしても。といっても、トリックというかは…正直、すっげー簡単。ま、これは仕方が無いんだろうけれども。むしろ、「ミステリ+バトル・ロワイヤル」なんていうように、その事件の連鎖とか、そこに至る心理描写とかを中心に読む作品なんだと思う。そういう意味ではなかなか面白い。
一応、関連性はある(と思う)連作短篇が収録されているんだけど、本編の方がどんよりした雰囲気の作品なだけに、こっちの陽気な作風でほっと一息つける。
後書きによると、その連作短篇が最後だから、3巻で終了らしく、かなりのボリュームになるらしいんだけど…だったら、分冊して3巻に本編+短篇、4巻は本編のみ…で良いんでない?
(05年10月2日)

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シャルロット・リーグ3
著者:吉岡平
束の間の平穏の日々。そんな中やってきた特別講師・中村。爆発物のプロである彼の登場が新たなる火種の元となる。その中で、すみれに秘められた謎も露になってきて…。
この巻で完結ってことで、購入したわけだけど…うーん…。
2巻で感じた、ミステリとしてもできていない…というのは相変わらず。と、同時にすみれの正体の方も殆どひねりもなく終わってしまったなぁ…というのが正直なところ。後日談、ということで終章はまとめられているわけだけど、この結び方も…。
後味がとかそういう問題じゃなくて、このまとめ方ならばどこからでもまとめられてしまうような気がする。正直、中途半端な謎解きの話を続けるのであれば、最終話で後日談として語られた内容を現在進行形の形でやってほしかった。第4話の森の中での戦いみたいなところはなかなか面白かっただけに、その内容で挑んでくれれば結構面白くなった気がするんだけどな…。
個人的には、あまり評価できない。
(06年4月2日)

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だまされない<議論力>
著者:吉岡友治
日本においては「議論」は不毛なもの、という感が強い。「もっと議論をしよう」などと言いながら、全く盛んになる様子がない。それは、議論そのもののルールが知られていないからではないか?
という問題提起から本書はスタートする。
そして、議論をストップさせてしまう「マジック・ワード」や統計データの見方などと言ったもの、さらには、議論を行う際に陥りやすいポイントを指摘して行く。要は議論の「ルール」を描いた書である。議論の妥当性、ルールを明らかにすることは、其の問題のポイントを明らかにする、と言う効果があるわけで必要なこと。そのためには、有用な書といえると思う。
もっとも、議論が日本で広まらない理由は、ルール以外の土壌もあるかと思う。その点については異論があるが、これは本論とはあまり関係ないか…。
(06年6月11日)

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血と知と地 馬・吉田善哉・社台
著者:吉川良

現在、日本の競馬界で圧倒的な強さでリーディングブリーダーの座を驀進する社台グループを築き上げた故・吉田善哉氏の生涯を描いた作品。吉田氏との著者との間であった思い出、また吉田氏と交流のあった人々の話を交えながら、その生涯を追って行く。

上巻では、善哉氏の祖父・吉田権太郎が北海道へと移り住んできたところから始まり、戦後、独立して社台ファームとしての独立、そして社台ダイナースクラブの設立までが描かれる。
祖父・吉田権太郎、父・善助譲り気質で、独立後、決して豊と言えない中でも積極的に海外へ出て競走馬の購入を行う。種牡馬ガーサント、そしてワジマ・ノーザンテーストによって安定した経営基盤を手に入れながらもひたすらに攻めの姿勢を崩さない方針。その一方で、普段の強気の陰で、ふと日本で大レースを勝てないことに対する愚痴をもらしたことなど、吉田善哉という男の人間性が現れているようである。
上巻は、そんな社台ファームが上昇気流に乗りはじめる辺りで終るのであるが、この後、一気に上り詰める過程でどうなっていくのか興味深いところだ。

下巻では、ダイナガリバーによる念願のダービー制覇、ギャロップダイナのフランス遠征、そして、吉田善哉の最期の仕事となるサンデーサイレンス導入・山元トレセン建設が描かれる。次へ、次へ…そんな吉田善哉の姿勢は、念願のダービー制覇を達成しても衰えず、常に世界を見据える。晩年までが描かれた下巻であるが、だからこそ、そんな吉田善哉の姿が際立つのかもしれない。

著者を含めて、吉田善哉に関わる人が多く、やや美化されすぎている感はあるし、また感傷的過ぎると思う人もいると思う。ただ、それを差し引いても、日本の競馬界をリードしたホースマン・吉田善哉という人物の人となりは伝わってくるのではないかと思う。
(05年5月30日)

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